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日記的なモノ①~横浜トリエンナーレに思う。子供から学ぶ~

3年に一度の芸術の祭典、横浜トリエンナーレ

横浜市で3年に一度開催する現代アートの国際展、横浜トリエンナーレ。2001年の第1回を皮切りにスタートし、今回で第8回のようです。
今回のテーマは「野草:いま、ここで生きてる」だそうです。

まず最初に申し上げておきますが、私は芸術やアートにこれっぽっちも造詣はなく、むしろそうしたものをシニカルな目で見てきた人間です。エコノミストという仕事をしてきた経緯もあり、経済合理性を重視する考え方が染みついてきました。

ただ、最近になって、社会科学やサイエンスという観点だけで物事を考えるには限界を感じ、むしろ大局的・俯瞰的な視点で物事を統合して考えるようなアート的な視点が重要なのではないかと思い、意識的に家族で美術館に行くようにしています。

美術館に行くくらいでは価値観の変化はあまり感じませんが、作品を見ているとハッとすることは多いです。今回の横浜トリエンナーレの作品では、順路冒頭に志賀理江子氏による猟師小野寺望氏への取材作品が飾られていたのですが、そこでは狩猟の変化や害獣駆除などを前提に、人間の消費活動や止まることを知らない欲求、経済活動に対する警鐘が記載されており、経済合理性のど真ん中を生きる人間からするととても頭をたたかれたような感覚がありました。ハッとした一節はここ↓

自然からほんの少しだけもらうことのできた命や資源を、定住したことで、いつの間にか人間同士で交換する必要が出てきて、「経済」は魔物になっちゃった

横浜トリエンナーレ・志賀理江子氏と小野寺望氏の対話録にて

全てをAgreeするわけではないものの、行き過ぎた考えを正すという意味では、非常に重要な示唆がありました。何事もバランスが大事。

子育てを通じて大人が学ぶ

美術館に行くと、息子の教育のために意識的にアート作品の前で「どう思う?何が書いてあると思う?」と聞いてみています。アート思考を養うために、子供に色々と考えさせたいなって思っています。

そうするとね、本当にバイアスが無いので思いがけない回答があり、ハッとすることが多いです。そうした子供の見方を聞くだけでも学びになりました。

私は作品の説明文に目を通してから作品を見るので、「きっとそういうことだろうな」とある程度ヤマをはるわけですが、まだ文字が読めない子供は作品を通じて「どうしてこの人は泣いているの?悲しいんじゃない?」なんて言ったりするんです(説明文にはそんなことは書いていない)。けど、確かに言われてみるとそう感じるし、きっと作者はそう思っていたかもしれない。そう思うと、知識の多寡が必ずしも正しい作品の見方を提供するわけではないと知り、自分の穿ったものの考え方や知識を持っていることの驕りを正されるような気持ちになります。

こういういわば常識外れを経験できるのもアートの素敵な部分なんじゃないかと感じます。日々勉強。

つまり、自分よ、いつも謙虚でいろよってこと。

今週もありがとうございました。

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