見出し画像

納豆卵かけご飯への理解、あるいは父との和解(2023.07.19)

おおげさなタイトル。「あるいは」とか言って村上春樹っぽい。理解と和解で韻も踏んでみてヒップホップにも造詣があるように見せかけている。しかし実際全然ない。

タイトルへ自ら自虐的に批判するのはそれくらいにして、先日「納豆と人生、そして父について」という記事を書いた。

そしてこの前の連休に実家へ帰った際、父と朝食を一緒にとるという機会に恵まれたので、これはあの告白をせねばならぬだろうと思った。すなわち「結局お父さんの納豆卵かけご飯が一番美味しかったよ」というあれだ。

父は私なんかとは真逆で、基本ご飯の準備は母任せだ。なんもしない。子育ても全くなんもしなかった。いつか、実家で子供のオムツを替えている私を見て「そがんこつはおれはいっぺんもしたこつはなか(訳:そんなことはおれは一回もしたことがない)」と平気な顔して言う父にイラッとしたのだが、今回も似た事があった。

私が下二人の牛乳を温めているのを見て「そがんこつはおれはいっぺんもしたこつはなか」と、オムツの時とまっっったく同じセリフをまっっったく同じような半笑いの表情で宣ったのだ。

私はまたもやイラッとしたが、まぁ時代が時代で、考え方や子育ての在り方、父親の家庭での立ち位置も今とは全然違うものだったので、仕方ない、そういうものだと気持ちを収めた。

そういう父との部分的な和解という意味合いもある今回の告白。父の前には母が用意したご飯、卵、そしてきちんと器に盛られた納豆(パックでそのまま出したったらいいんだよ!)、そして味噌汁が置かれていた。

さぁいよいよ父が卵かけ納豆ご飯を作るぞと、私は身構えた。んで、私も目の前で同じように卵かけ納豆ご飯を食べれば尚の事良いのだが、私はそうできなかった。なぜか?すでにパンを食べていたから。なんか母が絶賛するトライアルで売ってる食パンを2切れも食べていたのでお腹いっぱいだったのだ。

しかし味噌汁を母に少しだけもらって(ちゃんと丁寧に出汁を取った味噌汁の良い香りがする。うちでいつも作っているほんだしの味噌汁とは違う)、私は一応体裁を整えた。そしていよいよ父に「結局お父さんの納豆卵かけご飯が一番美味しかったよ」と言った。まぁ一言一句同じではないし、自然な形で言うために色々と説明もつけたものの、だいたいそのような言葉は言うことができた。

が、父は別になんにも響いていない様子で、こちらに一瞥もくれなかった。目の前の納豆卵かけご飯セットしか見ていなかった。納豆を混ぜ(タレはすでに母がかけている。自分でかけろ!)、卵を割ってご飯の上に落とし、これを思い切り混ぜて、納豆を卵の上にかけて、さらにその上からめんつゆをかける。

そうしてようやく完成した納豆卵かけご飯を豪快にガガッとかっこむ父。それを見て私は「あ、やっぱきたねぇや」と思った。


この記事が参加している募集

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?