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犬牽と行く美術館・博物館④『東京国立博物館・常設展』その2【不動明王のモデルは犬牽?】

◯はじめに

 日本伝統のドッグトレーナー/犬牽(イヌヒキ)の技術と文化を継承する筆者が、その目線を持って美術館・博物館を巡るエッセイシリーズ。
 4回目は、東京国立博物館の常設展を取り上げています。
 建物の広さと所蔵品の多さから、1日をフルに使って巡らなければ見きれないほどの内容を誇る同博物館。
 そのためこのエッセイでは犬牽の目線の元、厳選した所蔵品を3つに分割してご紹介していきます。
 今回は第2弾。『不動明王立像』を普段は絶対にしない目線から、見つめていきましょう。
 そこには、犬牽の奥深い世界が・・・。

〇東京国立博物館

 東京国立博物館はJR・東京メトロ銀座線日比谷線上野駅またはJR鶯谷駅から、徒歩約10分で到着します。
 上野動物園や国立科学博物館、そして国立西洋美術館を片目に見ながら上野公園を突き進めば、巨大な建物が見えてくるでしょう。
 それが、東京国立博物館です。

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 夜間は綺麗にライティングされ、昼間とはまた違った姿を見せてくれますのでオススメですよ。

◯『不動明王立像』

 さて、今回取り上げるのは平安時代の『不動明王立像』です。

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 本館は1F、入ってすぐ右の彫刻エリア(エリア番号11)に設置されています。
 本来の鑑賞ルートは2Fの『日本美術の流れ』から巡るのですが、それを知らずにいるとまずはこのエリアに吸い込まれることでしょう。
 そこには、大変荘厳な雰囲気が漂っています。多くの仏像が、それも巨大な仏像がこちらを見下ろしているのですから。
 中でもこの『不動明王立像』は他の仏像とは異なり恐ろしい形相でこちらを見下ろしているので、大変異彩を放っています。
 そもそも不動明王は仏教において、煩悩を焼き尽くし敵を降伏させ行者を守護する存在として信仰されてきました。元来はヒンズー教の神シヴァの異名、とも考えられていますね。
 東京国立博物館の『不動明王立像』は巻き髪を弁髮にして垂らす+左目を眇める+牙を出す姿が9世紀の特徴を、そして若干柔らかい表情は平安時代後期の特徴を表しています。
 仏像に興味がない人でも、力強いこの像の前では思わず足が止まってしまうことでしょう。
 私も、その前で20分近く立ち止まってしまいました。
 ただ、他にも理由が。
 犬牽の姿を、不動明王から感じたからです。
 犬牽は主に鷹狩(猛禽類のトレーナーである鷹匠が育てた大鷹や隼を放ち獲物を狩らせる狩猟法)において、獲物を草地から発見しては追い出すための使役犬=鷹犬のトレーニングを行う日本伝統のドッグトレーナー。
 なぜその姿を不動明王に感じるのか、解説していきましょう。

〇犬牽と不動明王の関係性

 実は不動明王、古くから犬と深い関わりがありました。
 例えば茨城県清安山願成寺では不動明王を〝犬不動〟と呼び、そのお札は安産効果があるとされています。そもそも犬は多産の生き物なので、古来より世界中でこのような安産信仰と結びついてきました。
 また栃木県崇真寺では不動明王を〝犬切不動〟と呼び、昔供物を盗んだ犬を退治したという伝説が残されています。
 そして大阪府犬鳴山七宝滝寺では不動明王を〝犬鳴不動〟と呼び、その近くには犬のお墓が。猟師を蛇から守ろうとした猟犬が誤って射殺されたことから、猟犬は不動明王の遣いだったのだと考え祀られたことに端を発しているそうです。
 更に不動明王が犬を連れているという話も多々囁かれ、中でも静岡県では不動明王が犬の縄を握っているからこそ祀ったエリアには病気の犬(狂犬病等)が入ってこられないという民間信仰が存在しました。
 このように不動明王と犬の関係性は、多くのバリエーションを持ちつつ古くから日本に存在していたのです。
 私はその理由の1つとして、犬牽が関わっていると考えています。
 一番の根拠は、その姿の合致です。

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 こちらは江戸時代に活躍した犬牽家系・中田家著『御犬請取渡図』をイラスト化してもらったもの。
 犬牽が右手に持っているのが策(ムチ)と呼ばれる道具で、鷹犬に獲物の位置を伝えるための謂わば指揮棒ですね。獲物が隠れていそうな草地に策を指し込み、鷹犬に嗅ぎ込んでもらうというわけです。
 そして左手には牽緒、つまりリードに繋がった鷹犬の姿が。牽緒は大体2丈5寸(約6m)あるので、普段は手繰って持ちます。
 この姿が、犬牽のスタンダードスタイルでした。
 皆さん、ここで『不動明王立像』の姿を思い出してください。
 右手には羂索(ケンサク=煩悩を持つ者や悪者を締め上げる/救い出すための綱)を持ち、左手には降魔の剣(煩悩や因縁そして悪を退散させる剣)を持っていますね。
 これが、不動明王のスタンダードスタイルでした。
 そう、犬牽の姿と見事に重なり合うのです。
 犬牽自体は仁徳天皇の時代より活躍(当時の名称は犬養/犬飼)していましたから、犬を連れ野を闊歩する姿を見て不動明王と重ね合わせたのかもしれませんね。

〇終わりに

 そもそも犬牽が活躍する鷹狩は、古来より命/生を補填するための儀礼的な側面を持っていました。
 それは犬牽が鷹犬と並行して担当していた、通称〝芸能犬〟の役割も重なり合います。
 芸能犬は正月に行われる鷹飼渡(公家の庭で鷹狩を再現する芸能)や、徳川家に男子が生まれた際に行われた御宮参に参加する犬のこと。
 鷹犬と併用されることもあったようですが、その仕事は次の2つでした

➀歩く
➁休む

 それだけ。
 それも、本番に至るまでほとんどトレーニングは行われませんでした。
 犬の自然な姿=生を観せることで、死を祓うことが目的だったのでしょう。
 これらはまさしく、不動明王が示すイメージと重なるものがあるのです。
 そのイメージが重なり合うことも相まって、日本における不動明王信仰に犬牽要素が味付けされたのかもしれません。
 あ、最後に1つだけ。
 実際の犬牽は先ほど見てきた不動明王信仰とは異なり、犬を無理矢理コントロールしたり、憤怒の表情を見せることはありませんでした。
 犬の権利を尊重する飼育を心掛けていた犬牽なので、怒る相手がいるとしたら犬ではなく、人。
 犬に危害を加えるような輩には、それはもう憤怒の表情を見せたことでしょう。
 そう考えると、今の時代にこそ、不動明王が必要な気がします。

(続く)  

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