なっちゃった…「迷子」
なっちゃったからにはもう…ネ…
迷子ってなにさ
自分の信条・好きなもの・大切にしたい価値観・これはする、これはしないの選択
がわからなくなることを言っています
そうなると行き先の見えない海の上を、手漕ぎの船でどっちに進んでいるかわからず進む…そんな不安な気持ちが積もってゆく…不安…苦しい…ウギ…
なんで迷子になったの?
迷子の始まりは、そう…新型コロナウイルスが流行り出した2020年頃だった…
当時、すごく腹の立つ出来事があったんです
結婚した時に親に自分の配偶者を否定されたんです
配偶者の選択は、自分の価値観から由来する大切な選択です
僕は仲良くできる親友みたいな人を選びました
配偶者を否定されることは、間接的に自分の価値観を全否定されたという気持ちになります
ただ、否定する側にも、大切な価値観はあるでしょう。理由があるはず
そのすり合わせを丁寧に行えば、お互いに納得のゆく結論が出せるはず…
と思って話し合いの場を提案したのですが
話し合いなど一切しない!一切応じない!とにかく嫌だ!
という態度を取られてしまったのです
えー??びっくりしちゃった
大人になるって、自分と相手の考えを互いに尊重して、可能な限り理解するために歩み寄りの努力を辛抱強くする
その姿勢を持てるようになることなんじゃないの…??
できないの…?それを…!?
それでも僕の方はどうにかそのような態度を取る理由を教えて?と辛抱強くアプローチをしたのですが、、、
先方は理由をとにかく言わないんですよね
きっと言えないんでしょうね…
自分の気持ちを言語化する、彼らはそれが著しく苦手なんだろうなと感じました
無理だねそれじゃ
そのまま関わっているとこちらにとっては毒だね
それで、現在までそのまま関わっていません。この時の自分の行動は後悔していません
しかし、大きな副作用があった…
今までの価値観を否定したくてたまらん!
僕の生まれ育った地域は、北海道にある人口10万人程度の地方の市です
観光で来るにはいいところだけれども….育った身からしたら閉塞感のあるところなんですよね…今にして思うと
大都会札幌に行けばなんでもある…夢のようだ…と子供の頃は思っていました
と考えれば想像がつきやすいかなと思います
選択肢が少なく自分の周りの物事の変化が少ない。なにかにチャレンジできる環境も少ない。でも自然しかない田舎のように本当に少なすぎるわけではない
そういうところにずっと暮らしていると、
・なるべく変化したくない
・とにかく楽な方にだけゆきたい
そこから転じて、
・あんまり物事を深く考えたくない
・言わずとも察しあうのが良いこと
という価値観が形成されやすいんだろうなと思います
それなのに、自分は本当の田舎のような古めかしい価値観には染まりきっていないぞ
という客観的に見ると矛盾した自意識になりやすい人も多いんだろうなと思います
僕もそこから出るまでは疑いなくそのような価値観でした
でも、悪いことばかりでもないと思います
しがらみに適応できれば楽で幸せに生きてゆけるし、身の丈で無理せずにやってゆくことを身につけられるのです
僕はしがらみには適用できなかったけどね…
特に、身の丈で無理せずにやってゆくことは、現代において大切なことなのではないでしょうか?
みんながインターネットで発信ができるようになったけれども、
資本・教育・生まれついた場所によるチャレンジの回数や文化資本・有用な人脈・家庭環境による心の安定・容姿などなど…
生まれつきや強運によって上記のような大きな資源を持っている追いつきようがない他人と、否応なしに競争しているような、同等の成果を求められるような羽目になってしまう…
それに真正面から挑んでゆくのは現実的には非常に難しいでしょう
そこで、無理しない範囲で自分の身の丈のなかでやる、
しかし、できる範囲で最大の成果を出して、身の丈を可能な限り広げ続ける、そして広がった身の丈内でまた最大の成果を出せるよう努力する…
が最適な道なんだと思っています
無理をして心身ともに壊す人をたくさんみてきました(僕も昔に無理をして身体を壊したしね…)
しかし、親の件があったあと、この「身の丈」の価値観含め
今まで自分が育ってきた中で積み上げてきた価値観が間違っていたのではないか?と感じるようになってしまったのです
育った地の傾向や親が人格や価値観の形成に与えた影響は少なくないと思います
しかし、それに関係ない物事や自分の体験で形作ってきた価値観も数多くあるはず…
前者でも自分にとって良い価値観もあるはず…
しかし、育った地の傾向や親と近い価値観を問答無用で嫌だなと思うようになってしまいました
なんか、色々、がんばる
「身の丈」の価値観を封印して、他人に文句を言わせないくらい、見えるような社会的に強い力が欲しいぃい!と思うようになりました
お仕事、趣味の活動、人のお手伝いの活動などなど…複数の自分のやっていることを、自分のキャパを超えた範囲でがんばる…コロナ後からいままで3〜4年…
でもさ、それ、苦しいんだよね。だんだん気持ちの余裕がなくなってきます
しかも、求めているのは終わりのないものなのです
どこまで行けば自分のことを否定する他人になんの文句も言わせない力が得られるんでしょうか?永遠に文句言うんじゃない?
どこまでなんの結果が得られれば良いんでしょうか
ふと気づきました
あれ?自分って何を大切にしていて、何が好きなんだっけ?
他人の評価ばかり見ながら活動をすると自分の気持ちを見失うんですね
これは…
「迷子」だ〜〜〜〜〜
もう身体壊すの嫌だ
もう無理して身体壊すの嫌です
今度は心も壊す羽目になるともっと最悪です
そうなる前に…見直そッ…「今までの自分」
「身の丈」の価値観は実際には必要なものだと思います
この価値観は再度インポートしなおし!ベースとして使っていこう
そして、他人から見て大きく見えるようなものを求めるのをやめよう!自分の楽しいや満足を優先しよう
アイデンティティどこいった?
それより困っているのが、自分が何を好きなのかわからなくなっていることです
アイデンティティが…あれ?どこかに行ってしまった….どこ…?
なので、自分のためにnoteで「好きなもの語り」をしていこうと思いました
今まで生きてきた中で好きだったものを思い出して文章にしたためる…これで好きなものの軸を思い出せるのではないでしょうか
選択肢・チャンス・考え方の多様性・物事の変化
などなど育った地域になかったものは、
インターネット…
そう…インターネットが全て教えてくれたの…
ソリティア幼稚園卒、テキストサイト小学校卒、おもしろフラッシュ中学校卒、2ちゃんねる高校卒、ニコニコ動画大学卒、株式会社Twitter就職…
の輝かしくもおどろおどろしい経歴を送ってきたわ…
せーのっ
インターネット最高!!!
あとは、ジャグリングですね
ジャグリングの界隈は、大学生サークル中心の文化で、
大学卒業後もなんとなくその大学生文化の香りが残ったまま、界隈の人たちは居続けている気がします
日本で初めにジャグリングサークルが作られたのは東大だそうです
その経緯もあってか高学歴傾向にあります
高学歴傾向にあるということは、つまり都市部出身の普通以上に裕福な家庭で育ってきた人が多いと言うことです
そういった方々に触れる機会は、おそらくジャグリングをやっていなかったら無かったです
自分の世界が広くなったような気がしました
まぁ、友達ができたりするくらい仲良くはできなかったし
良いところばかりでもなかったんですが…
そのほか、漫画・ゲーム・アニメなどなど…
1988年生まれですが、物心ついた頃から消費しきるのが難しいほどの量あったと思います
その中から自分に合った好きなものを探してゆく楽しみ…新しい価値観を生ぶ楽しみ…
がありました
自分にぴったりくるタイミングでぴったりなコンテンツに出会うことってそうそう多くないのですが、
ぴったりなコンテンツに当たったときは大切なものになりますよね
この辺りのトピックを今後、自分の軸を思い出すために語っていこうと思います
これは!ほぼ古のオタクの古いコンテンツ語りになるぞ!間違いなく!
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