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#41 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた

インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム⑥

さて、そんな国ブルネイで何をして過ごしたかと言えば、まず食事ということのみが、行動意欲の大半を占めるようになっていた。


さらに、食事という枠を超えて、二人とも普段はあまり口にすることのない、「スイーツ」というものにまで手を出し、街中を彷徨うようになった。


とはいっても、そういった「スイーツ」すらも、あまり見つけることが出来ず、ひねもすファストフード店のアイスクリームを求めるという、惨めな滞在となってしまった。


そして、ここまでで多くの人は予測できたと思うのだが、ブルネイ国民の大部分を占めるのが、ムスリムの敬虔な教徒だった。


市街地には、オイルマネーをふんだんにつぎ込んだであろう、豪奢なモスクが堂々とそびえ立っていたのだ。

結局、打ちひしがれるように過ごしたこの国では、二日間滞在したのみで、例のラブアン島に戻る気力も失ってしまったぼくたちは、次の国へと移動することにしてしまった。


ぼくは東南アジアを飛び出して、南アジアであるネパールへ向かうことに決めていたが、

朋也は知人と合流するために、タイの北隣に位置するラオスという国に戻るとのことだった。


つまり、二人はここで別れることになるのだ。





思えば、バンコクで明日香と別れたのが3月4日であったが、それからわずか2週間の後、次は朋也との別れが迫っていた。


それぞれの行き先が決まり、別々に行くことがわかると、すぐさま、バンコクで明日香と別れた時の情景が、白黒フィルムのように、色彩を失った形で頭に浮かび上がってきた。


―あの時も、特に深みのあることは言わなかったけど、今回はどうなんだろうか


その思いは、自己に対する疑問というよりも、むしろ不安や恐怖心に近いものだった。


またしても、何かを伝えることもなく、素っ気ない形で別れが訪れるのだろうか、と焦燥感や無力感の入り混じった、赤灰色の感情を胸に溜めていた。






3月16日の朝、朋也よりも出発時間の早かったぼくは、あえて彼を起こさないように、物音を立てず準備を済ませ、小さく挨拶をした後、部屋を出た。


「トモ君、ありがとう。またね」

「おう、じゃあな」


 彼はまだ眠っていたのか、それとも起きてはいたが、寝ぼけていたのか、或いは眠たいフリをしていただけなのか、ぼくには判断が付かなかったが、ともかく、別れの時に二人が交わした会話は、本当にこれだけの短いものだった。


 背中には60リットル容量の大きなバックパックを、腹には登山のせいでほとんど壊れかけた、惨めなデイパックを背負っていた。


そうして宿を出たぼくは、トボトボとバス停に向かって歩き出したが、その足取りは重たいようでもあり、またその場から逃げ出すように、妙に軽々しいものであるとも感じられたのだった。

続く

第1話はこちら
https://note.mu/yamaikun/n/n8157184c5dc1


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