還暦からの親孝行
◇◇ショートショート
サイクリストの聖地と言われている瀬戸内しまなみ海道を走りながら、ヒロシは有難いなと思っていました。
「小さい頃から腎臓が悪くて命の危険もあったけど、こうして還暦を迎える年まで、生きてこられて、好きな自転車に乗ってしまなみ海道が走れて、幸せだよな」そう思いながら、穏やかな海を眺めていました。
ヒロシは三人兄弟の末っ子です。
母親は、ヒロシが小さい頃から体が弱く病気がちだったことや、末っ子と言うこともあり、とても自由に育てていました。
ヒロシの人生で一番大変だったのは中学校時代です。
腎臓の機能が低下する急性腎不全になり、ゆっくり治療を受けるために3ヵ月間入院し、やっと退院できました。
家族は悪化することを心配して、ヒロシには無理なことはさせないようにしていました。
この入院期間中に、ヒロシは心に決めました。これから先、何が起きるか分からないから、後悔がないように、とにかく自分の人生を思いっきり楽しもうと。
それから、自分の思いを大切に生きる日々を過ごして、今年還暦を迎えました。
父は5年前に亡くなり、母も気がつけば90歳になっていました。卒寿を迎えたのです。
ヒロシの母は、彼を心配しながらも、ずっと遠くから見守っていました。
「あの子は中学時代に命を落としていたかも知れない、そんなことを思えば今、元気で還暦まで生きてこられたのが私へのプレゼントだ」と。
だから実家に顔を見せることがほとんどないヒロシのことも気にならなかったのです。
ヒロシは卒寿のお祝いに実家を訪ねた時、寂しい母の姿を目にしました。
母はいつの間にか住みついた、野良猫のタマに話しかけていたのです。
「タマあんた今日は家におるんじゃねー、三人子どもがおっても、私の傍にいてくれるのはタマだけじゃ」
そう言ってタマのお腹をさすっていました。
ヒロシは一瞬、胸が詰まりました。
「僕は今まで、母さんに何ができたんだろう、何にも恩返しできていない、僕はタマにも劣るのか・・・」
そう思って、その日からこれまで出来なかった母への恩返しをしようと、足繁く実家に通うようになったのです。
ある時は、母の好きなリンゴのジャムパンを、ある時は季節の花を持って訪ね、とりとめのない母の話を聞くようになりました。
ヒロシはある時、ぐっすり眠る事が出来る軽くて暖かい布団があることを知り、寒がりの母親にプレゼントしました。
母はその布団にくるまりながら、「元気に成人してくれたら神様に感謝だと思っていたあんたが、私にこんな暖っかい布団をプレゼントしてくれるなんて、もう私は言うことない、幸せよ」と涙ぐみました。
ヒロシはこの時、思いました。
僕は還暦を機会に、子どもの頃に戻って、これまで出来なかった親孝行をしていこうと。
ヒロシの還暦は、親孝行元年になりました。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《遅かっても気が付いてよかったわい》
「息子に大切にしてもらうようになってお母さん良かったね、男の子は中々女の子みたいに気が付かんけんね、還暦は遅いかも知れんけど気が付いて良かったわい」
「親の子への思いにはかなわんけどね・・・」
「自分が幸せな時は親の事はあんまり思わんのよ、なんかあった時にしみじみ思うんよね」
私も母への感謝の気持ちを忘れていることがあります。親の恩をかえす時期はとっくに過ぎているはずなのに。
のどけしや卒寿の母と子の笑顔
のどけしは春の季語です。私のショートショートストーリーをイメージして母がコラボ作品を創作してくれました。息子が持ってきたチューリップの花をにこやかな笑顔で受け取ろうとしている卒寿の母のシーンです。
愛には愛で返す、親子の心が通うひと時を詠みました。
最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。
また明日お会いしましょう。💗
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