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私が子どもだった頃◇毛糸を編み直す

「ゆっこちゃん、もっとしっかり持っといて、絡むけんね」

「お母さんいつ巻き終わるん、もうしんどい」

「あと、ちょっとじゃけん、これであんたのセーターを編んであげるけんね」

「お母さん、ストライプがええなー」

母は自分のカーディガンをほどいて、色を染め直して、毛糸玉を作っていました

私は両腕に毛糸をかけて、絡まないように母の動作に合わせてゆっくりゆっくり動かしていました。

サスティナビリティ(持続可能性)やSDGs(持続可能な開発目標)など一切知るよしもない昭和30年代頃のお話です

母は自分のカーディガンや父のセーターをほどいて、よく私の洋服を編んでくれていました。当時は女性たちの間で編み物が流行っていたのです。

一度役目を終えた毛糸をほどいて、染料で染め直して、再び新しい色の糸にして編み変えるのです。ウール製品はリユースするのが当たり前でした。

母に聞くと、自分流のルールがあって、薄い色を濃いめの色に染め直したり、古い毛糸を新しい毛糸と上手に合わせて縞模様にするなど、古い毛糸が生きる方法を考えていたそうです。

そうすることで、母のカーディガンが私のかわいいセーターに変身して、お気に入りの一着になっていました。

当時は「もったいない精神」が叩き込まれていて、何でも大切に使っていました

靴下に穴が空いたら、当たり前のように継ぎを当てて履いていました。母は靴下を繕うときに電球の玉を入れて踵を縫っていたと教えてくれました。

洋服の肘やズボンの膝の部分が傷みやすく磨り減っていたら、そこにフェルトなどのあて布を当ててお洒落に見えるように繕っていました

父のワイシャツが私のかわいいエプロンになることもありました。お花の刺繍をしてくれていたので私の自慢のエプロンでした。

もちろん姉のお下がりを妹が使うのは当たり前の時代でした。妹は「私はいっつもお下がりじゃ」と嘆いていました。

今から50年以上も前のお話です。

改めて当時を振り返って、それなりによく考えられた時代だったなと思います。

私の子どもの頃の「もったいない精神」と身の回りのものに愛情を注ぎ、最後まで大切に使い切ると言うものへの思いを忘れないようにしなければと思います。
それがサスティナビリティな世の中に繋がっていくのですから。

思い返せば、私が子どもだった頃からサスティナビリティはもう始まっていたのです

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《昔は編み直しは当たり前じゃったんよ》


「私は昔からリフォームやリユースしよったよ、昔の人は物を大事にしよったけんねー、それが当たり前じゃったんよ、今は何でもよう捨てるけど、もったいないわい

「お母さん、毛糸を編み直すんは楽しかった」

「出来るまでが楽しかったよ、棒編や、編み機で編みよったんよ、染める時はお釜で染めよった、懐かしいわい

私の幼い頃の記憶に毛糸を煮る時の独特な香りが残っています。ウールを煮るあの匂い、何だかとても懐かしいです。


ブラウスにカラフルベスト春近し


母が毛糸の編み直しの文章投稿を意識して、かわいいいイラストと俳句のコラボ作品を創作してくれました。春もすぐそこなのでニットも軽やかなものに変わってきました。
母と私のベスト姿が個性的で素敵です。91歳の発想とは思えないデザインに脱帽です。

最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。

私のアルバムの中の写真から

また明日お会いしましょう。💗


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