心配をやめて見守ることにした
人に良かれと思ってやっていることが、実は相手にとっては迷惑だったり、必要がないことだったりして、自分の思い込みが間違っていることに気が付くことがあります。
自分の考えている事と相手が考えている事が同じだと思っていたら、それは大きな間違いです。
家族だってそうです。
私は91歳の母と二人で生活しています。今まではずっと母をサポートしていました。でもこれからは母に手を差し伸べるよりもむしろ、本人が頑張る姿を見守ることに決めたのです。
私はこれまで母と一緒にいて、母が大変だろうと思う事を考えて、助けることが私の役割だと思っていました。
高齢の母が、転ばないだろうか、バスに乗るときに足は上手く上がるだろうか、食事の時に食材が大きすぎないだろうか、入浴の時に手助けは必要ないだろうか、様々な事に気を遣っていました。
そして気になることがあると事前にチェックして、問題が無いようにサポートしてきました。そうすることが母に一番いいだろうと思ってやっていたのです。
しかし、最近、母が小さな段差で転んだことがあって、それから私の考えが変わりました。
母はいつも私のサポートを嫌がります。自分でする方が慎重に出来ると言うのです。
とは言え、私は心配なので良かれと思って手を出すのですが、そのサポートが母の感覚を鈍らせているようです。私が手助けすることが、気の緩みに繋がると言うのです。
自分一人ですると、時間もかかるし大変だけれど、その方が自分にとって一番いいと言います。
私は自分の思い込みを変えることにしました。
母に手を差し伸べることをやめ、すぐ傍で見守ることに決めたのです。自分が出来ることを母から奪わないで、出来る限りやらせてあげることが母のためになると思うことにしました。
私自身の不安を解消するための私の思い込みで、手助をしていたことが、母にとっては最良の方法ではないと悟ったのです。
「手を差しのべることが母の為になるだろう」と言う私の考えは、独りよがりの物でした。
これからは「自分で出来ることは私がやりたいし、その方が私は慎重に事が運べていいんだ」と言う母の思いを大切にすることにしました。
すべての高齢者に当てはまることではありませんが、私たち親子の場合は、私の母への思い込みを変えたことが、母の可能性を広げることになるようです。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《出来んことはしてもらいたい》
「私はほっといたらええんよ、一人の方が慎重にするけん、これからはそうしてくれたらええ、悪く思わんとって、その代わり時間はかかると思うけど、それがリハビリになるけん」
「他にこの際、言うとくことある」
「出来んことはしてもらいたいけど、出来ることは自分でするんよ」
母の性格は本当にはっきりしています。一つの出来事で私は今までの考えを変えました。見守る努力をしたいと思います。
降り立ちて一歩一歩や春の暮
母がバスを降りて自宅に帰る自分自身を詠みました。一歩一歩ゆっくりと道の状態を確かめて、地面を踏みしめるように進んでいます。
自立心旺盛な母の気持ちがそのまま表れています。イラストには描かれていませんが、少し離れた所で私が母を見守っています。
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また明日お会いしましょう。💗
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