食べる事の大切さ
体調が思わしくなくほとんど食べものを口にしなかった人が、大好物のウナギを出してあげたら、嬉しそうに口に運んでいたと言う話を聴きました。
「食べられる」と言う事は本当に幸せな事だなーと思います。
私は最近、食の重要性をひしひしと感じています。
我が家の食は親子の喧嘩に発展します。
私は食事の時に母の様子を見ています。
今日はどんな顔をして食べているんだろうと気が気ではありません。
母が気に入ったものを食べる時は間違いなく笑顔です。
母が食卓に並ぶのお皿を見て、怪訝な顔をしていると私の顔から血の気が引きます。食は母のご機嫌を左右するからです。
好ましくないものがメニューに出ていると母の顔が一気に曇るのが分かります。
それに反してお気に入りのメニューだと「美味しそう」と言う言葉がとたんに出てくるのです。
私は調理した後で、審査官にチェックを受けている感じです。
お母さんは今日のメニューは気に入ったのかしら、嫌な顔を見せなければいいけれどと思っている私に、母から好きじゃないと言う食のジャッジが下ると、たちまち私たちの平穏な日常に暗雲が立ち込めるのです。
だからこそ私はいつも調理をする前に母にお伺いを立てます。
「今日は、お母さん何が食べたい」と。
すると母は「あんたは何を作るつもり」と聞いてきます。
「お母さんが食べたいものがあったら作るよ」
「思いつかんけん、何でもええよ」と母。
こんなやり取りが毎回ありますが、「何でもええよ」が曲者なのです。
何でもいいはずがないのです。
私は仕方なく一生懸命献立を考えて調理しますが、常に母の口に合うかがとても心配なのです。
先日は春雨に、ニンジンやシイタケ、ネギを細かく切って牛肉と甘辛く炒めものを混ぜ合わせたチャプチェを作って出しました。
母は一口食べてすぐに、「これ、何美味しいね」と笑顔になりました。
私は「しめしめ大成功、どうやらお気に召したようだわ」と見えないガッツポーズでした。
毎日こんな感じです。
食は私たち親子にとって、コミュニケーションを円滑にする大切なツールなのです。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《あんたが居って私は相当助かっとるよ》
★93歳のばあばと娘の会話です。
「年いった人は食べるもんは一番だいじなんよ、私はね身体に合うんと合わんのがあるんよ、私の勝手ばっかりも言うとれんけん、だから何でもええ言よるんよ」
「私はわがままみたいなけど、食べ合わせもあるけんね、あんたがおって私は相当助かっとるよ、生きていけるんよ」
私は母の言葉に何も言えなくなりました。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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また明日お会いしましょう。💗
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