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我が家にもソーシャルディスタンス

ソーシャルディスタンスと言う言葉を使い始めて間もなく1年ですね。初めはソーシャルディスタンスを保ちましょうと言われても、その社会的な距離になかなか慣れず少し面倒だと思いつつ寂しいなと感じる自分もいました。

しかし人間が慣れるのは早いもので最近は、公共の交通機関を使っていても、隣の人が近寄ってくると居心地が悪いなと感じているのは私だけでしょうか・・・

今日は人と人の距離感について、考えてみます。

私は、withコロナでステイホームの日々を過ごしていて、家族との間にも、適当な距離が必要だと思うようになりました。

私は、90歳の母と2人暮らしです。定年とコロナ禍がぶつかって、ほとんど自宅にいる私は、母と毎日顔を付き合わせての生活になりました

コミュニケーションが上手くいっている時は全く問題無いのですが、意見の違いや、日常のちょっとしたことで、ぶつかり、時々親子喧嘩が勃発します

他人であれば、当たり前に気を使うのですが、実の母だとそうはいきません。
それぞれの本音がぶつかって、時折、激しい言い合いになることがあります

私が人生の大先輩の母を立てればいいのですが、間違っていると思うことに対して、適当に合わせられない私は、小さなことで親子バトルになるのです。

そんなことで神経をすり減らすのが嫌で、たどり着いたのが家族間のソーシャルディスタンス


それぞれが時折、適当な距離を置いて、相手に接する、そうすることでトラブルが、大きくなるのを回避できると感じるようになりました。

言いたいことも少し控える。言葉のソーシャルディスタンスも、必要だと思いませんか?

同じ家にいても、相手のテリトリーに入らない時間を時折持つとか、相手に無関心な時間を少し持つとか、そうした努力で家族同士の距離感を上手く保つことが、平穏につながると言う事が最近になって分かってきました。

コロナ禍で学んだ家族間のソーシャルディスタンス

家族のスタイルによってその距離感やルールはもちろん違うと思いますが、私はとても大切な事だなーと思います。

家族のソーシャルディスタンス、考えてみるとステイホームが楽しく過ごせますよ。そんなことが無用のご家族ももちろん多いと思いますけれど。

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《どっちかが折れんとねー》

母が大好物のお餅を食べた後の二人の会話です。

「あんた、私は何ともないよ、何ともないけん、何ともないんよ」

私が怒っとっても、お母さんは何ともないんなねー

「私は、言うたら済むけんね私は根に持たんのよ

「言うたらトラブルになろー

どっちかが控えんとねーとは思うよ私は言うたらスッキリするんよ

いやはや、悩んでいるのは私だけのようですが、家庭内のソーシャルディスタンス、私は必要だと思います

【ばあばの俳句】

春の雨家事にいそしむ一日かな

しとしとと雨が降る春の1日、のんびり過ごすのはもったいないと、ばあばは気になっていた小物の整理をすることにしました


片付けていると、使っていなかった素敵なものや、思い出の品が見つかって、片付けも楽しいものだと感じたようです。

雨の日も片付けをすることで有意義に過ごすことができた。そんな1日を詠んだ句です。

▽この記事の中の「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」は毎日、音声配信しています。毎日、20時前後に発信している「フリートークでこんばんは」もお聞きいただければ嬉しいです。

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