見出し画像

私が子どもだった頃◇秋祭り

「もーてこい、もーてこい」私はその掛け声に心躍らせて、群衆の隙間から神輿の鉢合わせを覗き込もうとしますが、小学校低学年の背丈では神輿の先端しか見えませんでした。私が子どもだった頃の秋祭りの忘れられない思い出です。

昔は、地方祭になると学校や企業はお休みになって、大人の男たちは神輿の準備でそわそわし始め、子どもはちょうちん行列に参加してお菓子がもらえるのを楽しみにし、女性陣は祭り料理の準備にとそれぞれに忙しくその日を待ちわびていたものです

小学校2年生の私は晴れ着が着られるので、ワクワクしていました。おじいちゃんに少し大きくなっても着られる四つ身の着物を買ってもらったのです。帯は作り帯で背中の後ろに引っ掛ける着やすいものでしたが、私の細い体にはとても重く、背中が気になって仕方がありませんでした

髪にはリボンを重ねたような大きな髪飾りを付けてもらっていましたが、さらさらの髪には止まりにくかったので、下にもピン止めをして、滑らないようにして付けていました。それでも何度もとれそうになりました

足袋を履くのも草履をはくのも慣れないので、とても歩きずらかったのですが一気にお姉さんになったような気がして、着物姿を楽しんでいました


宮出しは早起きをして暗いうちから出かけました。興奮気味のおじいちゃんとお父さん、そして母と私と妹の5人です。母はいつもよりもおめかしをしていました。お化粧が濃かったような気がします妹はただただ喜んでいました

私たちが出掛けていたのは愛媛県松山市の阿沼美神社あぬみじんじゃの宮出しです。四角さんと呼ばれる大きな黒い神輿と八角さんと呼ばれる金色のお神輿が勇壮に鉢合わせをするのが有名でした

大きな大人神輿のぶつかり合いは迫力満点で怖いくらいでした。

「もーてこい、もーてこい」と言う掛け声とともに繰り広げられる、神輿の鉢合わせは幼い頃の祭りの記憶として深く刻まれています。


自宅に帰ると秋祭りならではのごちそうが待っていました。漆塗りのお重に詰めた巻きずしにイナリ、甘めの卵焼き、寒天で作ったお菓子に、まだ青い小ぶりの蜜柑です。甘さよりも酸っぱさが印象的な早い時期の温州ミカンのあの酸っぱい味わいが祭りの記憶と重なります

大人たちは早速ビールで乾杯をしていました。

お母さんは「ゆっ子ちゃん、着物汚されんよ」と私に何度も言っていました。


去年から今年にかけて、各地の秋祭りはコロナ禍の自粛で神輿の鉢合わせや競演は見られなくなっています

私が住む愛媛県でも新居浜の太鼓祭り、西条のだんじり祭り、そして松山の道後温泉の鉢合わせや四角さん八角さんの鉢合わせも運行も中止になりました。

祭り好きの落胆の声が聞こえてきます。

私が子どもだった頃の大人たちにとっては考えられないコロナ禍での祭りです


画像1

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《宮出しには二つ行きよった》


朝ご飯を食べた後のばあはと。

「お祭りは楽しみじゃったのに寂しいねー、今年もコロナでしょうかないけど、残念なわい」

「お母さん、小さい頃のお祭り覚えとる」

私もお父さんに晴れ着買うてもろて、大きなリボン付けてもろてうれしかっわい

「へー、同じじゃねー」

「それで、宮だしには二つくらい行きよったよ」

「なんでー」

「宮出しに時間差があるけんね、道後の宮出しの帰りには温泉に入って帰りよった、行くんが楽しみじゃったんよ

母は80年近く前の話なのに生き生きと昨日の事のように話してくれました。祭りの思い出は鮮明です。


画像2

【ばあばの俳句】

庭すみの秋の小草に水をやる


母は毎日庭の水やりを欠かしません。ジョロを使って庭の小さな草にも潤いを与えている自分の姿をイラストにして句を詠みました。草花は本当に正直なものできちんと世話をするとよく育ちますね。

画像3

母は庭の草花が花を付けると本当に嬉しそうです。今日も早起きして水やりをしていました。


最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。


画像4

私のアルバムの中の写真から

画像5

また明日お会いしましょう。💗

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?