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神に捧げるべき焚書か、それともソシオパスのための手順書か…戦場における心理から考えてみる

積読

梅雨空も続き、部屋がジメジメしているなか、湿気がたまらないようにと積読ゾーンを動かしていたら、もはや記憶にすらなかった一冊、戦争における「人殺し」の心理学…。

確か、放送大学の人格心理学('15)の放送授業で主任講師の大山泰宏先生が戦争と心理学が何とか…て言った時にたまたま本屋で買って。そのまま積読ゾーンに置かれていました。

人格心理学('15)を受講したのは2017年。そこから4年の時間を経て、登場した(?)危険なタイトルをもつ難敵に、怠惰な人生を送る私が無謀にも読み進めていきます。

まずお断り

作者のデーヴ・グロスマンは心理学者にして、歴史学者にして、元軍人です。原著は1996年に出版された「On Killing: The Psychological Cost of Learning to Kill in War and Society」で、安原和見さんが翻訳した「人殺し」の心理学」(原書房 1998年刊)を改題して、文庫化されたものです。

あと、書籍のタイトルにもあるように、際どいワードが記事にも多くなりますので、そのあたりは御容赦ください。

この本の構成

この本は以下の8部(41章)で構成されています。

はじめに
第1部 殺人と抵抗感の存在
第2部 殺人と戦闘の心的外傷
第3部 殺人と物理的距離
第4部 殺人と解剖学
第5部 殺人と残虐行為
第6部 殺人の反応段階
第7部 ベトナムでの殺人
第8部 アメリカでの殺人

ネタバレですが、第8部だけ、ややトーンが異なります。その辺りを踏まえつつ、読み進めることにします。

死や殺人を直視すること

まず、人間にとって死が身近でなくなったことがわかります。生物に生があるということは、当然死もあるわけです。でも、文明を持ち得た人類には死が実感できにくい状況にあります。これは納得です。食肉が作られる過程であったり、直接死者と対面する機会などを見れば死を実感するはそう多くはありませんね。

と同時に、人間は一定数の例外を除き、殺人を基本的に好まないようです。これは過去の歴史上の戦争においても、例外ではなかったようです。というのも、そもそも人間が接近して攻撃し、相手を殺すという行為は大変ストレスフルな状況であり、罪悪感や嫌悪感にまみれたものであるとのことです。

憎悪×権威×集団=?

となると、殺人をするためには、重圧を跳ね除ける何らかのものが必要となります。そこには対象への憎悪であったり、権威であったり、集団であったり…なんらかの正当性が死や殺人の犠牲者への様々な距離を遠ざけます。スタンリー・ミルグラムが1963年に投稿した実験(ミルグラム実験、アイヒマン実験・アイヒマンテスト)をご存知であれば、そのシーンを思い浮かべていただくとわかりやすいかと思います。

相手が悪だから?

日本でも過激派による内ゲバ、オウム真理教によるリンチ事件など、これまでに残虐さを抜きに語ることはできない事件は多々あったと思います。しかし、必ずしも教育水準が低いとはいえない者による行為ではありません。そこには「正義」を素朴に信ずるあまり、対局としての「悪」を排除しようとする「正当性」が働いた結果…となれば、状況が許せば誰にでも起こしうる行為だと言えそうです。

ナチスドイツのユダヤ人虐殺、強制収容所、天安門事件…のように国家的に正当化されたもの、各地で頻発するテロリズムを見ていくと、言わずもがなです。

ベトナム戦争では?

これまでの歴史や心理学の知見を踏まえて、ベトナム戦争では、殺人を合理化して捉えるよう兵士を訓練し、戦地に送り、結果として殺傷能力は増加しました。しかし、思わぬ副産物、帰還兵がPTSDに罹患したことです。

本来であれば、戦地から帰ってきた兵士は、その労をねぎらうことで心が癒されます。しかし、一部は侮蔑され、放っておかれました。そりゃ、いくら訓練した兵士とはいえ、元々人間に殺人を合理化する仕組みはないのですから、PTSDになるのは自然でしょう。

えっ、そんな話をしたかったの?

以上を踏まえつつ、グロスマンは最終章でアメリカでの殺人について憂いています。テレビやゲームで偽の現実として暴力が体験でき、ハリウッド生まれの虚構の刑事がスーパーヒーローとして振る舞う現代社会を憂いています。

読み進めてみて

一応、この本には殺人を人間の心理として合理化するための仕組みは描かれていました。しかし、それはこの本の本質ではないと私は考えます。

私が思うに、

人間は条件があえば誰でも殺人や残虐行為を肯定しうること

を前提に、かつ、今の情勢から察するに、

現在、自分の代わりに、命の危険を賭して戦ってくれている or 戦ってくれた最前線の方々には最大限の敬意を払い続ける

ことを踏まえ、

暴力は封じ込めるのではなく、安全装置を作動させて発動しないような仕組みにするのが得策

ということを、より考えるようになりました。(了)






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