先入観を捨てて、子供から教わろう!『賢い子はスマホで何をしているのか?』
コロナ禍は、日本の様々な課題を浮き彫りにしましたが、教育現場のデジタル化の遅れによる国家的な損出の大きさもその一つだと思います。
本書は、20年前とは様相が変わっている社会に対して、日本の教育制度や教育現場の対応が大きく遅れていること。そして、これからどのような考え方でやっていけばよいのかを、具体例を上げながら、わかりやすく指摘しています。世の中の捉え方、子どもたちとの接し方に関する示唆に富む貴重な本だと思います。
著者の石戸さんとは、以前から交流があり、CiP協議会などのイベントでお会いすることも多いのですが、東大工学部〜MITといった経歴からイメージできない、フワッとした雰囲気のチャーミングな女性です。CANVASというNPOを通じて、デジタル絵本などの子供の教育に長年取り組まれています。従来の枠組みを「超教育協会」を設立して、従来の枠組みを超えたこれからの教育について提言をされています。
文科省に電子教科書を認めさせるための活動も中心になってがんばれていましたが、その時の「反対派」の主張を聞くと、バカバカしくて悲しくなりますね。
デジタル教科書を導入しよう言うと、こんな反対意見が出てきます。
「これまでなら先生が『242ページを開いて』と言ったら、すぐ開けた。でもタブレットだと、242ページ分スクロールしなければいけないじゃないか。そんなに画面を見続けていたため子供の目が悪くなる!」
それって、いつの時代の話ですか。むしろデジタル教科書の方が242ページへ一瞬でジャンプできるのにそのことを知らない。
「紙のほうがいいよ。ページの端っこにパラパラ漫画を描く醍醐味がある」なんて反対意見もありました。でも、パラパラ漫画になら、デジタルのほうがもっと立派な、もうアニメーションに近いものが、子供でも簡単に作れます。
なかには、「教科書って紙の匂いがいいんだよね」と反対する人までいました。「うーむ…」と言う感じですが、そこまで紙の匂いが好きだと言うならそれをデジタル上で再現する技術だって、もはや実現しつつあります。
要は、最新のデジタル事情を知らないのです。知った上での反論であれば議論もできるのですが、会話がかみ合わないことの方が多かった気がします。(p13)
石戸さんたちのご苦労には頭が下がります。デジタル化に対してネガティブな態度を取る人の大半は、誤解と不勉強が理由だと、教育に限らず思うことが多いです。そういう人とお話をすると「好奇心の欠如」を感じます。世の中の変化で自分の居場所が無くなる、存在意義が下がることへの本能的な恐怖感があるのかもしれません。年齢・キャリア問わず、変わっていく未来を楽しく思えるかどうかで、これからの人生は随分違うんですけどね。まあ、オトナが自分の人生で何を選ぶのかは自由ですが、自分たちの無知に基づく判断で、子どもたちの可能性を狭めることだけは、絶対に避けないといけません。
産業革命期の工業社会では、画一的なものを大量に生産する能力が求められた。やることが決まっているのですから、あまり考え込まずに自分を消して歯車になるほうが効率的です。
そのための人材を育てる場所として生まれたのが、近代の学校でした。日本では明治維新後に導入されましたが、欧米ではもう少し前に生まれている。
正解が決まっているなら、いかに迅速にそこへたどり着けるかの勝負になります。だから学校では、より多くの知識を覚えることに力点が置かれた。「暗記科目」なんて言葉が象徴するように、知識をとにかく詰め込むことが重視されたのです。
でも、もうそんな時代ではありません。ICT革命後の情報社会では、工業社会とは全く違う能力が求められるようになっています。(P27)
強く同意です。そして、教育に関わる全ての人は、教育の前提となる社会の変化をしっかりと確認する必要がありますね。
そして、話題になることも多い、プログラミング教育についても示唆的な内容がありました。
ここまで技術的進歩が早いと、5年先10年先にどんな言語が使われているのか、誰にも予測がつかないんです。テキストコーディングが消えていく可能性だってあります。どの間言語を使えばいいのか悩むのはどの言語を使えば良いかと悩むのは無意味でしょう。
大切なのは、目先の道具の優越を考えるより、この先もずっと学び続けられるかどうかのほう。学びが楽しくなければ続けることができません。だから子供自身が楽しいと感じるプログラム言語を選べば十分。私はそう考えます。(P87)
スクラッチという幼児向けのプログラミング言語の説明で以下の記述があります。
スクラッチのコンセプトは、「低い床、高い天井、広い壁」。
低い床と言うのは、誰でも簡単に始められると言うこと。(中略)
高い天井と言うのは、「もっと追求したい!」となったとき、さらに複雑なことができるということ。(中略)
広い壁と言うのは、ゲームを作りたい子にも、作曲したい子にも、アニメーションを作りたい子にも、ロボットを動かしたい子にも、対応できるということ。スクラッチだけで相当、いろんなことができるのです。(P88)
就職に有利だから、手に職をつけるために、という動機で子供にプログラミング教育をさせようとしている親御さんに理解していただきたい内容ですね。「低い床、高い天井、広い壁」というのは、プログラミングに限らず、教育全般で重要な素晴らしいコンセプトだなと思いました。
外国語学習についても興味深い指摘があります。
総務省の外郭団体である国立研究開発法人・情報通信研究機構が作った「ボイストラ」と言う自動翻訳アプリは、すでにTOEIC 800〜900点のレベルに達しているそうです。990点満点のTOEICのテストでこのスコアですから、すでに大半の日本人の英語能力を超えています。
しかも、このアプリ、無料で入手できるのです多くの人が使えば使うほど、翻訳の精度は上がっていくので、「英語は機械任せでいい」なんて時代がくるのは、そう遠い未来では無いかもしれません。
もちろん、自動翻訳の技術が完成したとしても、語学を学ぶことの価値が失われる事はないと思います。異文化を理解するには、言葉を学ぶことが欠かせない。(P145)
これは僕の日本語学習中の外国人とコミュニケーションする経験のある僕の肌感とも合致します。日本人同士は、ハイコンテクストの微妙なニュアンスで日本語を使う傾向があります。「〇〇と言い切るわけではないのだけれど、□□みたいなこともあって、」などと僕も話しがちです。しかし、「腹芸、言わずもがな」みたいな日本人同士の感覚は外国人には通用しません。日本語がある程度わかる外国人と、シンプルな文法の日本語で話して、わかりあえた時の喜びは大きいものです。日本語を誰にでもにわかるようにシンプルに喋る、外国語に翻訳しやすく書くといった能力を使い分けられるスキルが、これからの日本人に重要になってくることでしょう。英語が堪能とは言えない僕はグーグル翻訳もよく使いますが、誤訳が起きにくい日本語を書く能力があると便利です。
読後の感想として、デジタル化による変化について、一つの分野で掘り下げていくと、そもそも「本質的に大切なものは何か」を考えることになるのだな、と改めて思いました。最近、語られることが多くなった「X-tech」というのはテクノロジーの急速な進歩と環境変化が、あらゆる産業に自らの「再定義」が必要になることをポジティブに表した言葉だと僕は理解しています。高度成長期の企業戦士を想定して作られた日本の教育を、AI(人工知能)にできないことをする創造性、AIを活用できる想像力、表現力を育むものにUPDATEしなければいけません。
「〜でならない」みたいに熱く語ってしまいましたが、おそらくオジサンの考えすぎでしょう。Z世代以降のデジタルネイティブにとっては、全て普通のコトのはずです。オトナ達が必死になってなにか与えるというということでは全然無くて、子供たちが自然にやり始めることを「邪魔をしない」という基本姿勢を持って「場を作る」というところに答えがあるのだと思います。
2022年4月開講で大阪音楽大学にミュージックビジネス専攻を作るという貴重な機会をいただいて、特任教授という立場で、僕も教育関係者の末席にいる立場になりました。100余年の歴史を持つ音大が、テクノロジーと音楽をビジネス目線で語り始めたことには意義があるはずと信じています。未来の日本のため、世界のために、子どもたちの可能性を広げていくことに少しでも役立ちたいと、この本を読んで改めて思いました。是非、ご一読をオススメします。
そして「はじめに」あったこの部分。コロナ禍の今、日本人が最も確認するべきことだと思います。
このようにリスクがゼロなんてものは存在しないのです。メリットとデメリットを秤にかけて、メリットの方が大きければ、それを使うただし、デメリットを極限まで減らす方法だけは徹底的に考える。(P9)
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