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美術短大受験にまつわるエトセトラ。

1.力試し

「テツ、お前、美大行きたいのか?」

春の土曜の昼下がり、パンを頬張る私に美術部顧問が言った。
その時の私は美術部所属の高校3年生。

「美術短大ですよ。うちには年子の進学校に行ってる弟がいてお金要るし。第一、私が今から4年制の準備は無謀でしょう。」

「それで、どうすんねん。」

顧問はどこからか私の進路希望書を見たらしい。

2年生になったぐらいから、意識をしていた。
「できるなら、もう少し美術の勉強がしたいなぁ。」と。

ただそれがどの方向なのか、何を専攻にするのか考えあぐねていたのだ。
結局、私の興味と学んできた事を踏まえると油絵科しか思えなかった。他の科はどうもピンとこなかったのだ。

「…親に許可を取ったし、急いでアトリエなり予備校なり探そうと思う。」

今はどうか知らないが、油絵科はどこも倍率が高い。

顧問はしばらく考えて「わしの信頼できる先生がいるから、そこ行くか?」と言ってくれた。

「先生が信頼できるところなら。」と、私は答えた。

実は我が美術部から私を含め7人が美術短大を目指しているという。
一人以外、洋画(油絵)科志望。

私の他、一緒に美術部に入部したうっちゃんと水ちゃん。
お洒落なミノちゃんに、乙女力の高いサユちゃん。染織科志望のカナちゃん。すぐ踊り出す男子の村治くん。

そして、近隣の幾つかの高校も今年は美大、美術短大希望者が多いらしく仲の良い美術教師のいる5校で一度、力試しのデッサン会をしてみるかという話がでているという。

なんでもやってみなきゃ勉強にはならない。

かくして、近隣5校の美術系進学希望者(25人程)によるデッサン会がゴールデンウィーク中、我が校の美術室で開催された。
評するのは他校の武部先生。
先生達の中で一番デッサン技術に長けているらしい。

この5校の美術教師は皆作家活動もしており、本当に仲が良い。ここ数年、年一回美術部5校が集まり合評会をしている。
夏になるとこの5校で合宿も行う。
なので武部先生の事は皆よく知っていた。

言っとく。武部先生、すぐエキサイトする。その態度がいつも解せないというか、腹が立つというか。

午前デッサンの後、午後から合評会。
案の定、イーゼルの上に並べられたデッサンは、そこまでいうかと武部先生のこの上ない毒舌に皆晒され、なじられ、挙げ句の果てにダメ出しされたデッサンは片っ端しからカルトン(画版)ごと放り投げられた。
そして何故かキレながら、

「今、投げられたやつー!絶対どこも受からないから!覚えとけぇ!!」

中々、香ばしいをセリフを吐く武部先生。

無論、私のも投げられた。というか、ほぼ全員、投げられている。場は凍りつき、半泣きになってる人もいた。

ダメ出しだけで終始終わったデッサン会だった。

いつもと変わらない武部イズム全開。
お通夜のような顔をして帰る他校の生徒を見送った。片付けが終わり、顧問が私たち7人を集めて言った。
「ワシのおすすめの先生とこ、行く?」

散々なじられた後に「喫茶店、行く?」みたいなノリで言うな。と思いながら周りを見ると、

「行く!」と、みんな即答した。

うちの美術部メンバー、みんな個性的な上にへこたれない。良いも悪いも素直で純粋なのだ。
「絶対受からない」が余程腹が立ったらしい。

一瞬、このデッサン会は「オレたち、くやしいっス!見返してやるっス!」的な闘志を引き出すため演出だったのか?と疑ったが、武部イズムは前々からなのでそれは無いかと思い直した。

こうして、学校から駅二つ先の「飯田アトリエ」に私たちは通うことになった。

2.準備の日々

飯田先生(仮名)は結構名の知れた作家だ。少しお歳を召した男性。当時はアトリエで生徒を取りながら、大学で建築科の講師をされていた。

「いや〜。受験生預かるなんて、久しぶりで怖いけどねぇ。先生に頼まれちゃあ断れなくてさ。」

と、優しく言いながら笑う飯田先生。

言葉も柔らかく、丁寧に的確に指導をしてくださる先生。毎日課題をこなし、毎日デッサンを描き倒した。構図や形、面取り方、質感の表現、光や物の構造など。日々絵ばかりの勉強。上手くいかず悶絶する時もあった。
大変だったが楽しかった。

時には(かなり)厳しいが、先生の人柄もあって私達は全幅の信頼を寄せた。

学業の評定平均がクリアしていた私達は、推薦が受けられる為、試験は実技だけ。ひたすら課題をこなした。

気付けば夏は過ぎ、秋になり推薦入試の季節になっていた。

校内は進学に関しての確認や手続きでバタバタした雰囲気。至る所で3年生は教師に声を掛けられている。

ある日、廊下で担任に呼び止められ「今、内申書作成してるんや。おまえ実績あるのは良いけど、趣味の欄、読書って月並み過ぎるやろ。」と言われた。

「でも、あとは絵を描くぐらいしか。」と私。

担任は少し考えて「ウン。"美術館巡り"って書いとくぞ。いいな。」と、言って私の趣味を勝手に捏造して去って行った。
「貧乏高校生にそんなお金の掛かる趣味…。」と思いつつ、大して気にも留めなかったのだがこれが後々、中々のピンチを招く事になる。

再び廊下を歩いていると、今度は顧問に呼び止められた。
「お前、ここ滑り止めに受けてみんか?」
出されたのは、女子短大のパンフレット。
「春から美術科が新設されるねん。受験料も安いし。新設やし比較的入り易いと思う。」

「へー。」

「何より、新設に伴い武部先生が教授で着任されるねん。作家としては優秀な人やし、入学したら悪いようには…」と、顧問が言い終わる前に、私は「ヤダ。」と即答した。

「えー?!」

何故、意外そうな声を上げるのだ顧問よ。

他の女子も同じく武部先生の名前を聞くなり拒否。更に「今までの恨み晴らさでおくべきか。」的な事を言われたらしい。そらそうだ。

3.いざ第一志望!

そんなこんなで、推薦入試試験のラッシュの11月が来た。滑り止めも受かり、少し精神的に余裕がある中、第一志望の受験。そこは面接もある。染織科希望のカナちゃん以外、皆ここが第一志望。

1日目。実技がなんとか終わり、2日目の面接。 初日も少し思ったが、この学校の受験生は私服の人が多い。自由な校風がそうさせるのか。

そんな中、一際目立つ人がいた。
髪はリーゼント、スタッズがふんだんに施された革ジャンにデニム、皮グローブにブーツ。
あとベースとキーボードの人が居れば、完璧なロックバンドの完成である。
「ロックな人が居るな〜。デザイン科かなぁ〜。」なんて遠巻きで見ていた。

広い講堂で待機しているとアナウンス。
ついに来たかと面接室に行く。面接室前に行くと番号順に4人、パイプ椅子に座らされた。
……隣りは例のロックの人だった。

アンタ、洋画科かーーーい!!!

多分、他の2人も同じことを考えていたと思う。
そして、そのまま4人で面接室に入った。

前には4人の教授達。内申書を見て一人づつ話される。話すと言っても受験者が多いからか、一問一答に近い。私は四番目、ロックの人の次だ。

一人目二人目と無難な感じの質問。こんな感じなら大丈夫と思った。次は三人目ロックの人。
少し、私達受験者側の空気が変わる。
教授側は動じていない。
こんな輩、美大には山ほど居るのだろう。(実際、居るのだが。何ならもっと強烈なのも居る。)

そして、教授の一人が彼に耳を疑う様な信じられない質問を投げかけた。

「○○君は音楽が趣味って書いてあるねぇ〜。で、ジャンルは?」

「!!??」

(ど…どうみてもロックやろぉおーー!!!!!)

ロックの彼を含め全員が即、総ツッコミを入れていたと思う。
思わずチラリと目線を横にした。
彼の表情は分からなかったが、質問の終わった二人がホンの少しだけ顔を彼に向けガン見しているのが見えた。ほっぺが膨らみ口が異様にギュッと結ばれていた。

そして彼は呼吸を一拍置いたあと、少し上擦った声で

「ロ…ロックンロールです。」と答えた。

(ロ…ロックンロール!!?)
(ロックではなくロックンロール!!!?)


この衝撃的なやり取りに心底度肝を抜かれる私。
彼も意外(心外?)な質問の中、ロックと答えようかロックンロールと答えようか迷ったのだと思う。
変わらず教授達は動じてない。

しかし、もうその瞬間から私の頭の中は"ロックンロール"の言葉がグルグル回っている。
そして、悲しいかなそのまま私の番となった。

「ほぅ。アナタ、全国高文祭行ったの?地区大会も県代表で選出されてるねぇ。」

(ロックンロール)
「ハイ。アリガトウゴザイマス。」
(ロックンロール)

なかなか好感触だが完全にロックンロールのリフレインに支配された私の脳内。冷静さの微塵もなかった。

「趣味の欄に美術館巡りとあるけれど、最近どこに行きました?」

「ソレ?!」
よりによって捏造の趣味を聞かれる私。
一人目二人目は部活の様子とかだったやん!!

一瞬、冷や汗が吹き出し焦ったが、たまたま本当に、たまったま、9月に大きな美術館でやっていた「ミレー展」に行っていた。セーフ!セーフ!
(チケットをくれた近所のおばちゃん有難う!)

「く…9月に○○美術館のミレー展に。」
(ロックンロール)
「ほぅ。どこが良かったですか?」
(ロックンロール)
「…ミレーの色彩が凄かったです。」
(ロックンロール)

ミレーは好きな画家の一人だ。光と色彩から生まれる人と農地の空気感。神聖ささえ感じる。もっとちゃんと言えるのに。しかしロックンロールに支配された頭ではこれが精一杯だった。

教授は「どの様に凄かったですか。」と続けた。

ずっと私の頭の中で渦巻くロックンロール。完全にパニック。もう早くここから逃げたかった。
(もぅ、勘弁してくれぇ!凄いものは凄いんやー!)という心の叫びと共に出てきた言葉は

「"ああ松島や松島や"って感じで…色彩が綺麗で…綺麗でした…。」

答えになってなかった。
正直、終わったと思った。
教授はそれ以上聞かなかった。
(ロックンロール)

4.飯田アトリエにて〜卒業。

数日後、合否通知が来た。合格していた。
推薦入試における、実技と面接の選考基準の比率は分からないが面接でやらかし落ち込んでいた私は万歳をした。
信じられなくて弟に何度も確認してもらった。

みんなも合否通知が来ていた様で、次の日の朝、示し合わせた訳でもないのに美術室に集まった。顧問に報告する為だ。
なんと全員、無事に合格。染織科志望のカナちゃんも違う短大だが第一志望に合格していた。
勿論、顧問は学校へ送られた資料で既に合格を知っており、私達が言う前にニヤッと笑って「おめでとう」と言った。
推薦入試の時点で結構な倍率だったらしい。

因みに受験番号一つ前のロックの人は落ちていた。

夜、みんなで飯田アトリエに向かった。
先生は「みんな、本当に?!」と、とびっきりの笑顔で喜んでくれ、美味しい紅茶を振る舞ってくれた。本当に嬉しかった。

帰り道、みんな希望に満ちたこれからのキャンパスライフを想像し語った。
ミノちゃんが「私、パーマ掛けよう!カナちゃん!パーマ安くでやって貰えない?!」と、家が理髪店のカナちゃんに言った。「私も!私も!」ちゃっかりサユちゃんも続いた。

「いいけどウチ、理髪店やからパンチのロッドしかないでぇ。」と返すカナちゃん。

「チリチリやん!」
間髪入れず水ちゃんとうっちゃんが声を揃えて叫んだ。
村治くんは左右に揺れステップを踏んでいた。
もうダンサーになればいいのに。

すっかり冬めいた夜空は星がとても綺麗だった。

そして、数ヶ月後。迎えた卒業式。
何となく流されて入部してしまった美術部。そこで経験した事、感じた事、辛いこともあったけど楽しかった。
式の後、後輩達が送別会を開いてくれた。最後に一人一人に顧問から手紙を貰った。

癖のある字で「君ほど一生懸命に絵と向き合った人はいません。君の絵が好きでした。」と書いてあった。

私はグチャグチャに泣いた。みんなも泣いていた。後輩達も泣いていた。顧問は笑っていた。

もうここに足を踏み入れることはないだろう。
その代わり、また新しい一年生が入って、美術部の歴史が紡がれるのだろう。その新しい一年生の顔を見ることはないと思うと、少し残念だと思った。名残り惜しく美術室を後にした。

が。

卒業した約一週間後。麗かな春休み中。
家の電話が鳴った。当時は携帯なんてない。
学校で制作をしている顧問からだった。
「テツ、暇か?!ちょっと今から彫刻の石膏取り手伝ってくれ!」

「へ?」

「あとモデルもしてくれ!バイトやバイト!時給850円!」

「もう!」
急かされる様にして絵の具と粘土と石膏で汚れたエプロンを掴み、私は家を飛び出た。

こうして引き続き、制作の手伝いとモデルのバイトの為に再び美術室に入り浸る事になり、数週間後、何食わぬ顔してカワイイ新入部員の子達の顔をバッチリ拝んでいる私が居るのである。

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