おっちゃんの電卓のハナシ。

私は週末、弟(45歳)とウォーキングをする習慣があるのだが、その時にこんな事を弟がふいに言い出した。

「なぁ。ねえちゃん。タッちゃんのおっちゃんの電卓の話おぼえてる?」

タッちゃんのおっちゃんとは、母の兄(長兄)の事だ。名前が辰巳だから、タッちゃんのおっちゃん。アルツハイマー型認知症の末、15年ほど前に亡くなっている。

私はとんと思い出せず、記憶の海へ投網を投げ入れ上がってきたタッちゃんのおっちゃんに関する記憶のアレヤコレヤを仕分けてようやく思い出した。

もう、むっかし昔の話。もう40年ほど前の話。
私が小学校1年だか2年生の夏休みの話だ。
私達姉弟は夏休みの間、よく祖母の家に預けられていた。

そんな夏休み。算数の宿題をしていた。
足し算引き算のドリルから、これでもかと宿題が出ている。更にプリントまで出ている。

この時点で「これだけやらされるという事は、この足し算引き算という代物は私の人生でかなり重要なものに違いない。」と、推理する鋭い幼少のワタクシ。

そう思いながら人生で必須であろう足し算引き算を黙々と解いていた。問題をこなす毎に難易度は上がってゆく。

迫り来るプレッシャー、そして焦り。


…そう。私はめちゃくちゃ焦っていた。


何故焦っていたかというと、隣に座る学年2つ下の保育園年中か年長さんだった弟が私と同じ問題を解いているからである。

しかも、確実に私より解くのが早い。
ついでに言うと、こっちは解くのに必死なのに弟は「秘密戦隊ゴレンジャー」の歌を歌いながら解いてやがる。余裕かよ。


これでは私の姉としての沽券に関わる。
脳みそフル回転で解く。プライドの為に問題を解く小学校低学年なんてなかなか居らぬのではなかろうか。

最初は宿題をする私のドリルを弟があまりにも覗くので、祖母が"数字の練習でも"と、数を教えると案外、数の理解がある事に気付いた。
試しに足し算を教えると、瞬く間に理解し、弟はそれから程なくして、2桁と1桁のひっ算なら難なくこなしていた。

祖母は縫い物の傍ら、おもちゃを与えるように淡々とチラシの裏に問題を書いて弟にどんどん差し出していた。
またそれをどんどんこなす弟。

その様子を休みだった"タッちゃんのおっちゃん"(以降おっちゃん)が覗いてきた。

この家には祖母の他に母の兄であるおっちゃんが住んでいた。その頃は知らなかった事なのだが、おっちゃんはもうこの頃、離婚をして祖母の家に出戻り住んでいた。

趣味は社交ダンス。見た目は小綺麗で休みでもピシッとしていて、容姿は贔屓目でなくバック・トゥ・ザ・フューチャーの主人公の父親、ジョージ・マクフライ似だった。日本人だけど。

何より、おっちゃんは、実の父親以上によく遊んでくれた。
長期休みには映画ドラえもんを必ず連れて行ってくれたし、プロレスごっこや肩車も沢山してくれた。将棋も教わった。香車の使い所がめっちゃ上手くて、全然勝てなかった。
手先も器用で壊れたオモチャをなんでも直してくれた。
また色んな事を知っていて、真面目な物の仕組みの話から、夏場の氷水が如何に美味いかなどの極ユルな話まで、とにかく話が面白い叔父だった。


「頑張ってるかー?」

おっちゃんは私と変わらない問題を解く弟を見て、ふんふんと言い、「よっしゃ。おっちゃんが見たろ!」と、ドッカと座った。

弟の顔がパッと明るくなる。
弟にとっておっちゃんはヒーローだからだ。

おっちゃんの指導のもと、それからしばらく経つと弟は2桁と2桁の足し算引き算の繰り上がり繰り下がりをこなしていた。
私が学校で習っている範囲を越えている。

ワタクシ弟に完全敗北の瞬間である。

まだ時々、計算に指を折る時さえある私におっちゃんは「もうちょっとテッちゃんは頑張りやー。」と、頭をグリッと撫でられた。

おっちゃんは私達姉弟をとても可愛がってくれた。
殊更、弟の事をどの甥姪よりも可愛がっていて、それは私の目にも親戚からみても明白で、知らない人から見たら本当の親子のようだったと思う。

弟も高校生になっても時々、おっちゃんに会いに行き、大人になって、おっちゃんが認知症になっても時々、様子を見に行っていた。

電気関係の仕事をしていたおっちゃんは、電気抵抗だかを測る機械とかを見せてくれ「おもしろいやろ!」とオモチャがわりに私たちに与え遊ばせた。弟は気に入ったようで首から機械を下げて家の色んな物を測定していた。

おっちゃんには色んな秘密があった。
秘密と言っても怪しげな話ではないが、おっちゃんの人生には色々あったという事だ。

実は元銀行マンで数字と数学がめっぽう強かった人だったということも、人が良過ぎて上手く渡っていけず銀行を辞めたことも、おっちゃんには息子が1人いて離婚してから一度も会ってないことも。

これらは私が大人になってから、週刊女性誌の記者ばりに話す母から聞いたことだ。


そんなおっちゃんが、私達の勉強を見てくれる時、必ずと言って良いほど言ってくる言葉があった。

なんて事ないカシオの電卓を持ってきて、ものすごいドヤ顔で「ええか。」と言って、電卓で「1」「+」「1」と押して「=」を押した。
当たり前なのだが、表示板には「2」の文字。

「1+1を押したら2になるやろ。これをなぁ、なんでこうなるんか考えていかなアカンで。」

おっちゃんはニカッと笑った。

そんなおっちゃんと電卓の思い出。

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「そんな事あったなぁ。しかし、なんでまた今更。」

「あれさぁ。どういう意味やと思う?」

「? 単に二進数の話ちゃうん?」


弟は小学生になってから学研の雑誌で初めてアニメや本ではない「現実にあるコンピュータ(パソコン)」と言う物の存在を知る。

そこにはプログラミングについての記事があり、そこで「電卓はどうやって計算できるのか。」いわゆる2進数の話が書いてあり、"これのことだろうか"と思った事があったらしいが、何となく、おっちゃんに聞くことなく過ぎたらしい。

そんな弟もおっちゃんの電卓の話を記憶の片隅にありつつも、特に取り立てて思い出す事もなく記憶の海に漂わせて大人になって行った。

そんな弟。近年、ネット動画だか記事で数学の「1+1=2になる証明」を見たらしく「あれ。おっちゃん?」と思ったらしい。

1+1=2になる証明は文系(弟)美術系(私)では到底、説明が出来ないので割愛するが、その中で気になった説明が、1や2という記号は本質的に意味がなく、"何か(1)"と"何か(1)"が合わさると"何か何か(2)"になるという揺るぎない定義の上に成り立つ。ただこれは定義次第。この定義が変わると答えも変わる。と言う部分。
*"何か"は混じり合わない物体とする。

今では真相は藪の中。
わざわざ電卓を持って来たことからただの二進数の話だったのかも知れないし、プログラミングが重要になるこれからの時代のことを見据えて言った言葉なのかもしれない。

「1+1=2の証明」の話から単純な事でも物の本質を考える「なんでこれはこうなるの?」を考えて欲しかったかもしれない。
もう一つ言うと、定義が変わると答えも変わるという、前提の置き方を考えて欲しかったのかもしれない。
可能性として言えば、別の答えかも知れないし、実は全く意味がなかったのかも知れない。ならば大笑いの話だけれど。

でも、あのおっちゃんのこと。何かしらの意味を含んではいるのだと思う。

「どちらにしろ小学校低学年そこらに言う話じゃないよね。理解できないよね。」

そう私が笑いながらいうと弟は、

「でも、どれが真実だったとしても、あのおっちゃんやっぱり凄いわ。」

ちょっと嬉しそうに言った。

「1+1を押したら2になるやろ。これをなぁ、なんでこうなるんか考えていかなアカンで。」

その答えを聞く事ができない今、いろんな事を考えさせられている今の私達がいる。

おっちゃんから私達への一生をかけての宿題だ。
私はすっかり忘れてたたけど。
ゴメン。おっちゃん。


おっちゃんは「年金が沢山貰えるらしい。」と、言いながら働けるだけ働いた。

完全定年になった後、元々悪かった腰をより悪くして動くことが億劫になった。

おっちゃんは祖母が亡くなって数年後、認知症になり、身だしなみを忘れたジョージ・マクフライになった。

おっちゃんが認知症と診断されてまだ"恍惚の人"と"今を生きる人"を行き来してた頃、私は何度かおっちゃんと将棋を指したことがある。
ルール完全無視な時もあったけど、香車取りをする指だけはしっかりしていて、やっぱり私は一度も勝てなかった。

しばらく近所の親戚にお世話になりながら家で数年過ごしたが、認知症も進み、やがて付きっきりの介護が必要となり施設に行くことになった。
そして、数年後息を引き取った。

私はおっちゃんの電卓の話を思い出すと同時に、もう一つ思い出したことがある。
くだらな過ぎて私の脳みそがdeleteキーを押しかけていたレベルの話。

おっちゃんが亡くなったお通夜の夜、弟は普段飲まない(飲めない)ビールをおっちゃんの棺桶に向かって飲んでいた。

葬儀中、弟はずっとへの字口で顎には梅干しが発生していた。

おっちゃんは決して、算数がよくできたから弟を可愛がってたんじゃないと思う。
会えない息子と重ねていた部分があったのだと思うけれど、心底可愛がってくれたのも本当だった。

でも多分、そんなことは弟が一番分かっている。

弟も(私も)おっちゃんが大好きだった。

深夜にもなった頃、遠方からの親戚が雑魚寝の中、夜通しの線香の番を買って出た弟に起こされた。(当時2歳の我が息子は私の母と就寝中。)

「ねえちゃん、悪いけどちょっと線香の番、代わって。」

「なんや、どうしたん。」

「あんなぁ…。隣のおっちゃんには許可取ったんやけどなぁ。」

"隣のおっちゃん"とは、母の2番目の兄である。
祖母もおっちゃんも居なくなった後、母屋を管理してくれる事になっている。

「形見分けでみんながおっちゃんの部屋に入る前に、おっちゃんが隠してるエロビデオ回収しに行っとこうと思うて。バレたらおっちゃん死に切れんやろ。」


そう言って、弟は大きめのリュックを持って静かにおっちゃんの部屋へ行った。

何?その気遣い。親子以上やろ。

そして、何故その場所をアンタが知ってんのよ。



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