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最悪のタイミングと、高校入試と、鈴の鳴る道と。

今までの人生において最悪にタイミングの悪い出来事はありますか。

このワタクシ、お恥ずかしながらラインナップは色々ございますが、その中でダントツ1番に思い出すのは高校受験入試。
最悪と言いつつ、結果は合格しているので最悪と言うにはパンチが弱いかも知れないが。

私の年度の県立高校受験は少し受験改革がありまして。この年度から英語の科目にヒアリング(今はリスニングと言うらしい)が初めて導入された年でありました。

ヒアリング導入。

この未知なる新しい入試制度に、英語教師も少しでも英語の発音に親しみを持たせようと、躍起になっていた。
授業の前には聴き取りやすい洋楽を毎回流し、当時、夕方にセサミストリートが放映されていたので授業の終わりには必ず「セサミストリート観てねー!」と言うのが決まり文句だった。

この英語の授業でカーペンターズやビリージョエル、ビートルズ、ワム!(時々、英語難易度、度外視の先生の趣味も入る)などを知り、洋楽の魅力を知る私。途中から先生は洋楽の伝道師みたいになっていた。

そして英語が得意な訳でもなく、何からとっかかって良いのか分からない私は、言われたまま素直にセサミストリートを視聴し、塾で勧められたラジオ番組「基礎英語」で来たるヒアリングテストに備えた。

ただこのラジオ番組、我が家は受信環境がすごぶる悪く、番組内の英語に混じって雑音と共に絶対英語じゃない言語が時々混じり、私を混乱の渦に貶める事もしばしば。

テキストまで購入していたのに、対効果は絶対低くかったと思う。

そんなこんなで2月末。

2月中旬に滑り止め(私立)を受け受かっていた私。最悪高校には進学できるのだが、どうも滑り止めの高校は行く気にはなれなかった。
3月上旬の県立高校入試まであと少し。
残り少ない入試までの日。
成績並々の私。詰め込み教育の残る世代。凡ミスに気を付け、暗記物を詰め込むだけ詰め込もうと息巻いていた。

そこで最悪のタイミング。
私は熱を出した。

風疹だった。

おかしい。私はそもそも5歳の時に風疹にかかっている。母子手帳にもバッチリ。
似た症状の麻疹も既にやっている。

しかし教科書通りの風疹の症状。
見事な発疹だらけの私の身体と母子手帳を診て医師は首を傾げ「いっぺん罹ると罹らないんだけどなぁ。」と不思議そうに言った。

そして「あ。出席停止だから。学校休んでね。」と、軽く言う医師に母が「この子、来月上旬入試なんですが、治りますか。」と聞く。

「まぁ間に合うんじゃない?…って、入試って事は3年生?」と、医師は言うな否や私の身体を改めてじろじろ観察しだし、ひとしきり眺めた後、事もあろうに
「えらく発育悪いなぁ!」と言い放った。

横にいた看護師さんが「先生!この子まだ中学生ですよ!」と慌てて嗜めた。

医師は「ああ。高校3年じゃなくて、中学3年かぁ。じゃあまぁ、こんなもんか。いやでもなぁ…」

私は身長も小さく、食も細かったので発育は確かによろしくなかったとは思う。

しかし散々な言われっぷりである。
「でもなぁ…」じゃねーよ!!
多感な思春期この上ない中学生女子に何たる仕打ち。しかもワタクシ全身水玉模様。どんだけ辱めを受けなならんのよ。

熱で虚な目をしながら「おまえも斑点だらけになれ。」と、私は意味不明な呪いを心の中で呟いた。

ほぼ寝っぱなしで過ごす事一週間近く。
とにかく食が細く体が小さい私。体力がないのか身体を起こすと熱が上がった。
その間、試験勉強どころか頭なんて使う気力体力の余裕もなかった。
入試前々日、例の医師の再診のもと、「別室試験ならいいんじゃない?」とこれまた軽くGOサインをいただく。

迎えた当日、学校から連絡を受けていた高校側が用意した別室。お茶室仕様の和室だった。VIP待遇。さすが出席停止になるほどの伝染病。個室ときた。
そして足の短い和室用の会議机がひとつ置かれていた。

試験開始10分前にテスト用紙を持った男性教諭が入室。
お茶室にズカズカと入り、一直線に窓に行ったかと思うと、"スパアアァン!!"と、豪快に部屋の窓を全て全開にした。

寒いぃい!!!

季節は春とはいえまだ寒さが残る3月上旬。
病み上がりの身体には堪える寒さ。

小心者の私は「寒い」と言えず、大人しく畳に座す。
「もぅ!なんなのよぅ!!」
医師といい、この教諭といい、ここ数日ロクな仕打ちを受けない。
先生と呼ばれる職種を恨めしく感じた。

言っている間に入試は始まる。数学に理科、社会、順番ははっきりと覚えていないが、英語が4時間目、国語が5時間目だったのは覚えている。

必死に解答欄を埋める私。
この一週間勉強できず、特に暗記物に不安が残ったが、取り敢えずは何とか埋められた。
ただ社会で鎌倉時代、全国の公領や荘園の管理の問いで出てきた解答「守護」「地頭」。
鎌倉時代の定番問題だ。
が。ここに来て伏せっていた効果、ど忘れ発動。
「守護」の漢字が出てこない。答えは分かるが全く漢字が思い出せない。

迫る時間、このシビアな入試(筆記)の世界において全くを意味を成さない「やる気」。紙面の結果が全て。
私はそれでも答えが分かっているのに、解答欄を空けるという愚行を許せなかった。
時間ギリギリ、私は解答欄にそっと「主語」と記入した。
絶対にマルが付くことはない。絶対にだ。


そして4時間目。迎える英語。
監督中、終始窓の側で座っていた教諭が「あ。ここ、スピーカーが入り口だった。」と、足の短い机を茶室(和室)の玄関、板張りの狭い玄関(入り口)にドッカリと置いた。
寒く硬く冷たい板張りの床の上で英語の開始時間を待った。入り口が狭いので膝の下あたりに敷居が当たる。痛ぇ。

英語のテスト開始を待つ間、
上手く受信できないラジオとの格闘。
「Oh!Chicken soup!!」と言いながらスープを飲むビッグバードに恐怖したセサミストリート。
心奪われたカーペンターズの歌声。
色んな思い出が脳裏に過ぎった。

一番最初にヒアリングの設問がある。
教諭の開始の声と共にスピーカーから「これからヒアリングを始めます。」と音声が流れた。

ヒアリング導入初年度。どんなレベルの問題がくるのか全く分からない。
続けて「問1の問題を黙読しなさい。」のアナウンス。読み上げられる英文を聴き取り、紙面の設問に沿って解答欄に記入する形。
問一の設問にはりんご一個のイラストと、"アナウンスの問いに英語で記入しなさい。"とだけ書いてあった。

数秒後、始まった金髪美女(イメージ)の声で出された記念すべき問一の問題。

Is this an apple ?(これはりんごですか?)

「!!??」

あまりの拍子抜けな設問に思わず「ハイッ!りんごです!」と、勢いよく答えそうになった。
あっぶな。

大人しく「Yes,it is.」と書き込んだ。
小生意気にも「オイオイ?お嬢さん。こんなのでいいのかい?!」と、ニヤついてしまう私。
性格の悪さ丸出し。
難しかったら難しかったで、鬼の形相になるクセに。

しかし、"簡単なのは第一問目だからかも。"と、思い直し問ニに臨む。
しかし、その私の予想を裏切り、第一問に毛が生えたような問題だった。
りんごだの、みかんだのが幾つか的な事だった記憶がある。くだものネタ引っ張り過ぎ。

そして、一番最後のクライマックス的な問題でさえ、MikeとJaneの小粋で極単純な掛け合いトークを聴き、Mikeがどこいったとか、いつ帰ってきたとかそんな解答を埋めていた。

しかも、音声は終始slowly。
英語が苦手な人が英語圏の外国の人に「More slowly ,please!」を10回位繰り返してようやくその位の早さなのではなかろうか。途中で外国の方に「いい加減にしろ!」と怒鳴られそう。

正直、セサミストリートの会話のテンポの方が確実に早かった。

その後の筆記問題もこなし、英語は無事終了した。
心配に心配を重ねたヒアリング。
簡単で有難くはあったが、脱力感は半端なかった。
机に突っ伏す私。
そんな女子中学生のアンニュイモードを完全に無視し、無情にも「ハイハイ、どいてください。机戻します。」と、さっさと机は再び畳の上に移動させられた。
長きに渡るリスニング学習の顛末の余韻さえ許されなかった。(注:大した勉強はしていない。)

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昼食を摂る。
茶室でひとりモソモソと食べた。ここ一週間ほどあった出来事が、頭の中で反芻された。
そして、こんな時に風疹かかるというタイミングの悪さに「こんな時にこんな事になって、受からないんじゃなかろうか。よしんば受かっても高校生活3年間は悲惨な事ばかりなんじゃないか。」と、途端にネガティブになった。

根拠の無い不安に涙が出そうになった。
「咳をしても一人」って言葉があったっけな。
そんな事を思った。


次は最終科目。国語。

開始20分。私は涙目になっていた。
しかし、昼食時のネガティブを引きずったからではない。
最後の長文問題の課題となっていた星野富弘さんのエッセイ文「鈴の鳴る道」。

星野富弘さんは、事故により首より下の身体が動かなくなる。周りの介助を受け、口で筆を取り絵や詩を綴られている。移動も口で操作できる車椅子。
「鈴の鳴る道」を大まかに紹介すると、星野さんは車椅子に乗っていると、どんな舗装道路でも至る所に段差や傾きがある事に気付く。そういったでこぼこ道が良いと思った事はない星野さん。
しかし、ある人から小さな鈴を貰い、車椅子にぶら下げた。
道路を走り、小さなでこぼこに差し掛かると「チリン」と良い音で鈴が鳴る。
それから星野さんは道のでこぼこを通るのが楽しみとなったのである。

今までは小さなでこぼこがあると思っただけで暗い気持ちになっていのだが、小さな鈴が「チリーン」と鳴る。それだけでとても和やかにしてくれる様になったと綴られている。

そして、その鈴の音を聞きながら星野さんは思うのだ。

「人も皆、この鈴のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか。」
その鈴は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鳴ることがなく、人生のでこぼこ道に差し掛かった時、揺れて鳴る鈴である。美しく鳴らし続ける人もいるだろうし閉ざされた心の奥に押さえ込んでしまっている人もいるだろう。
私の心の中にも小さな鈴があると思う。その鈴が、澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日が送れたらと思う。
私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う。
        星野富弘:著「鈴の鳴る道」抜粋

大まかと言いながら後半抜粋してしまった。
しかし、この部分は一文たりとも抜けない。

この星野さんの文章に昼食時に感じた負の感情一切が胸を抉り、こみ上げてしまったのだ。

きっと今、私の心の鈴は鳴っている。でも美しい音であるとは言い難いと思った。恥ずかしいと猛省した。私の今の鈴なぞナンボのものか。

全ての解答用紙を埋め、(国語は割と得意)時間が来るまで何度も涙目で「鈴の鳴る道」を読んだ。

そして、ふと考えた。
なぜこの「鈴の鳴る道」を高校入試国語科の出題にしたのだろうか。
これは深読みかも知れない。
でも私は、これはこれから高校生となり将来へ向かって行く私達若人へ、国語科入試作成者からの他ならぬエールなのだと堪らなく感じた。
粋な事しやがる。

そう思った途端、涙が鼻まできた。ツンとする。
さっきまで些末な事で不安や孤独を感じ、星野さんの美しいエッセイに心洗われた私。今、思わぬ入試作成者のエールを受け、涙腺決壊寸前。

今思うと、入試ラスト1時間で劇的な感情の振り幅に自分でもちょっと引く。

試験監督の先生もニヤついたり、暗い顔をしたと思いきや、急に泣きそうなっている女子中学生が不気味だったのか、終了のチャイムと共にぶっきらぼうに「お疲れ様でした。気をつけてお帰り下さい。」と、さっさと終了の宣言をし帰宅を促した。
こうして入試は終わった。

そして冒頭にあった様に無事入学。
2年生になった時の担任は入試監督をした教師だった。
私は顔を覚えていなかったが、担任から「お前、入試の時、風疹で茶室で受けてたやろ!あの時、男性教諭でジャンケンして監督決めたんやぞ!感謝しろー!」と、冗談めきながら、苦情を入れられた。

大人が風疹に罹ると重症化する事も多く、妊娠初期の女性が罹ると胎児に影響するらしい。
万一を考え、女性でなく男性教諭1名(担任)が人身御供として私に差し出された模様。

窓全開にして窓の側に終始居たのは必死の感染予防の為だったようだ。態度がそっけなかったのも、(物理的に)私に関わりたくなかっただけだったらしい。
気持ちは分かるし、申し訳ないとも思ったが、同時にちょっとモヤった私。あの医師以来、2年ぶりに「おまえも斑点だらけになれ。」と呪ってみた。

そして、星野富弘さん著「鈴の鳴る道」は、高校合格の記念に自分で買った。
以来、約30年ずっと私の手元にある。
私の心の鈴はあれから数えきれないほど鳴っている。美しいとは言えない時もあるが、いつもその中には少しだけ楽しんでいる音も含んでいるように思う。

そんな私の入試にまつわる最悪のタイミングと鈴の鳴る道のおはなし。

(追記:今の受験生の名誉の為に言っておきますが、今のリスニングテストは私の頃と違い随分レベルが上がっているらしいです。)

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