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私はプラスの衝撃が欲しい。

気が付きゃ12月も後半。

何にもしてなくったって時間はギュンと進むもんだなぁと思いながら、台所周りの大掃除をしながら思う。

年末へぐいぐいと進む分、大掃除の意識が高まると思いきや、年々掃除はいい加減になるし、身体を動かす気力と体力は日々のルーティンでいっぱいいっばいだ。

疲れたなら無理をしない。リフレッシュ大事。
しかし、リフレッシュと言っても私はほんの小さな事で良いのだ。

何かプラスの衝撃が欲しい。
ハッとさせられたり、思わず笑ってしまったり。
忙しく気忙しい時ほどその要素を身体が欲する。
ちっちゃい元気を集めるのだ。

因みに負の衝撃は普段から浴びるほど喰らっているので断固ノーセンキューだ。

まぁ、そんな訳でいわゆるスイッチの切り替えができれば割と元気になるタイプなので、自分から衝撃を事前に用意してみたりする。

御歳暮でやってきたカニの殻を洗い、乾かす。

ふと疲れた時に猫に装備してみる。

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…と、言いたいところだったが装備出来ず。

おっさん剣士が子供時代の剣道のお面を被ろうとしたみたいな姿になる。

アラ。アナタ、意外に頭大きかったのね。
失敗失敗。でも一切動じないうちのネコ。

太ぇ肝してやがんぜ。

そんな男気溢れる愛猫の表情にプラスの衝撃を戴く。

満足。

もう本当にこんな事でいい。

しかし、そんな衝撃の要素は何も作らなくても案外なんでも無いところに溢れている。

私はお寺の前に設置してある掲示板が好きだ。
正確にいうと掲示板に貼られている"ひとこと法語"が好きである。

法語といっても堅苦しくないし、なんなら金子みすゞさんの詩や、(おそらく)ご住職オリジナルの言葉が綴られていたり、ネタが尽きたのか「アレ。ご住職。コレ、以前も見ましてよ?」な言葉が再登板されていたりするのだ。

私の家から駅前スーパーまで三件お寺があるのだが、そのうちの二軒は大変やる気(?)があり、その"ひとこと法語"はコンスタンスに変えられている。

毎度ハッとさせられる事も多いが、申し訳ないのだが全く趣旨のわからない時もある。しかし、今月は名作揃い踏みだった。

A寺

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コンパクトに纏まりつつ、特に前半、語感のスピード感がすごい。そしてその締めに諸行無常。侘しい感じの言葉をそっと置く。最初のスピード感はどうした。急ブレーキ待ったなし。
そのギャップにハッと衝撃を受ける。
♪ハッとしてグッときて〜♪ という曲とともにトシちゃんの笑顔が一瞬、頭の中を通り過ぎた。

B寺

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もう何も言うことはあるまい。コレ、言っちゃうの?

でもこれ以上の答えはない重みを感じる。

卵が先か鶏が先か、そんな疑問が過ぎりつつワタクシ襟を正す思いでこの法語の前を通る。

こんな普段歩く道一つに衝撃は隠されている。
世の中って何でもない小さい事に刺激されたり影響されたり。ただ生きているだけで面白いもんだなぁと日々有難く感じるのだ。

先日、最後の定期テストが終わった息子(高3)が、家族の揃う夕食どきにポツリと言った。

「僕さぁ。ボール投げられへんねんかなぁ。明後日の方角に飛ぶし、何なら真上に飛ぶ勢いの時もあるねん。」

夫が味噌汁を吹いた。

「どういう事??」

夫の頭にハテナが飛ぶ。

ワタシには分かっていた。息子はどうも体を使って連動する動きが小さい頃より苦手なのだ。かけっこは人並みの速さなのだが、フォームが明らかにおかしい。
笛だってろくに吹けない。息の強弱も音に合わせての指の動きも苦手。

小学生の頃、よく隣の女の子に「シンくんが笛を"ピーッ"って鳴らすからワタシもつられちゃう!!」と、よく怒られていた事をワタシは知っている。お家で特訓もしたがどうも成果は出なかった。

中学高校の体力テストのハンドボール投げでは高3で初めて点数が付いたらしい。でも最低ラインの9m。
理由はボールが珍しくまともに前に飛んだから。

夫は「別にボール投げできなくても困らないけど、最低限の運動は出来てた方がいいよなぁ。」と言った。

考えてみたら夫と息子はサッカーボールを蹴り合う事はあってもキャッチボールは無かったかも。

この日が土曜日だったので、受験生の息抜きを兼ねて、次の日の午後から大きな運動公園に行く事になった。
私は靴箱の奥から100均で買ったゴムボールを掘り出した。少し空気が抜けている。
実はワタシは息子がボール投げが下手なのを知っていたので特訓しようとしたことがある。その時の物だ。(結果は現状でお察し。)

「懐かしいな。」と、思いながら鞄にそれを入れた。

3人で大きな運動公園に行くのもかなり久しぶり。車で15分。そこには大型遊具もあり、子供達に人気のスポットだ。昔からここは家族連れや子供達で賑わっている。
ここに居る殆どの人はあの頃の世代とマルっと入れ替わっているだろう。
でもここの景色は変わらない。

「昔よく来たなぁ。」

「あの遊具懐かしい。」

「あの遊具もっと大きくなかった?」

そんな事をめいめいに口にして遊具広場を通り過ぎ、原っぱ広場に到着した。
軽く柔軟をして、夫が息子に100均のボールを投げる。息子キャッチ。
ウン。キャッチは上手だ。

さて、問題はこれから。
息子、ボールを投げる…のだが目の前1mの地点にボールが叩きつけられる。

豪速球で。

メンコかよ。

しかも投げるフォームはなんていうかこう…可動域が肘から上だけ。身体の連動もへったくれもない。
左手なぞ骨折して首から三角巾で吊っている人みたいにミゾオチに終始固定されている。名付けるなら骨折投法。

夫は思わず「えぇ…?」と呟いた。

小さい頃はへたくちょ〜位の可愛さがあったが、大きくなるとちょっと洒落にならん感じがあった。

かなりの衝撃だった。
だが笑っちゃいけない。
彼は試練を乗り越えようとしているのだ。

へへっと気まずく笑う息子に、夫は受け手を私と交代し、息子の元に行き基本的な動作を教え始めた。

気恥ずかしさからニヤニヤする息子。
中々変なフォームが抜けない姿に笑いを堪える夫。
今更、なんでこの人達こんな事してんだと思うと可笑しくて仕方が無い私。

三者三様、それぞれ意味を含んだ笑いを堪えながら何とも不恰好なキャッチボールをした。
でも息子の投げ方は最後まで不恰好だった。

息子は帰りの車で鼻歌を歌いながら参考書を開けていた。

息子がまともにボール投げができない衝撃よりも、こんな歳になって家族揃って車に乗って態々ボール投げの練習をする事自体がちょっと衝撃。
こういう事って多分10年くらい前に経験しとくもんじゃなかろうか。
でも間違いなく私達にはプラスの衝撃の出来事。

些細で小さな出来事だけれど、普段のプラスの衝撃も道端で遭遇しちゃう衝撃も今回みたいに降って湧いたような衝撃も全てが愛おしい。

そう思うと私の元気の源はプラスの衝撃から感じる愛おしさなのかもしれない。

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