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確かにそこには人がいた

今はなくても、いなくても、そこには確実にモノがあり、人がいた。そう感じることはたまにある。何か大切なものや人をなくしたとき、言葉にできない喪失感を感じるのがそうだ。あるはずのものがない、いるはずの人がいない。そんな状況に遭遇したとき、心が揺さぶられる。


冷たい風が吹き付ける日、震災遺構浪江町立請戸小学校を訪れた。福島県内初の震災遺構として、被害の状況をありのままに伝える施設。

泥だらけのオルガン、ひしゃげた柱、引き剥がされた壁、ねじ曲がった蛇口。

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そして黒板には「3月11日(金)日直〇〇」の文字。

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その日、確かに人はそこにいた。普段通りの日常を送っていた。
その形跡がそのまま残っている。

掃除に使っていたであろう雑巾。ロッカーには当時の児童の名前シール。体育館には数日後に控えていた卒業式の看板。

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津波で何もかもが流された小学校の校舎には、児童や先生たちの「この場で学んでいたんだ」という証が残されていた。楽しそうに遊ぶ姿、話し声、ケンカする姿、泣き声、勉強に勤しむ姿。どれも容易に想像できる。

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暮らしの中には簡単に壊れてしまうものとそうでないものがある。大事にすべきは、簡単には壊れないもののほうだと思う。壊れるものは壊れる。なくなるものはなくなる。でもきっと、何があってもなくならないものってあるはず。

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