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「野宿をしながら自転車で日本を横断した話」 6/15 長崎市内観光→佐賀市

早朝から「ミサ体験」

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朝5時半に携帯のアラームがなる。それと同時に浦上天守堂からも鐘の音が聞こえてくる。9時半に寝たはずなのに、やはり早起きは難しい。おそらく習慣としてじゃないとできないのだとつくづく思う。

顔を洗って下の階へ降り、ミサ体験の旨をスタッフの方に伝える。色々教会内で注意事項を聞き、まだ涼しい外を歩き、目の前の教会へ。

まだ6時にもなって井兄のにも関わらず、特にお年寄りの方が教会内に多く見られるような気がする。

引率の方が胸の前で十字架を描く動作をしていたので、僕も見よう見まねで繰り返す。中に入り、後ろ横の邪魔にならないような場所に座る。教会の前の方には、ベールを被った女性も数人見受けられる。

聖歌や暗唱などが複数回行われ、時々お祈りで周りの方々が起立するので僕もつられて起立。ちなみに、一般的にカトリックは「聖歌」、プロテスタントは「賛美歌」と呼ぶらしい。

昔地元の友達が福音教会の子供だったこともあり、教会は何度も訪れたことがある。が、カトリックとプロテスタントで全く様式が違うらしく、見慣れた風景ではない。「浦上天主堂でミサ体験をする」という話のタネができて本当に良い経験だと思う。

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ミサが終わった後、スタッフの方に教会内の内装や造りを説明していただく。この中で印象に残ったものは言うまでもなく「被曝マリア像」で間違いない。顔の右半分が黒く焦げているのが鮮明にわかる。(写真:長崎経済新聞)

原爆の衝撃で教会は崩落したのにも関わらず、マリア像はこういった形で残っているのは、後世へ戦争の話を語り継ぐという点ではとても良いことだと思う。

教会の外に出たすぐ脇には原爆で被害を受けた本堂の一部が横たわっている。

戦後10年は原爆ドームのように残されていた旧本堂だったが、姉妹都市市長からの要請を考慮して解体。新たに現在の天主堂が再建されたらしい。当時とはデザインが少々異なるものの、その堂々とした構えに惹かれる。

その後もこの教会にまつわる歴史、政治、宗教弾劾によって被害を受けたキリシタンの人たちの話など、貴重な話を聞かせていただく。

一通り見学が終わったところで、宿泊していたカトリックセンターへ戻ってくる。

サービスのパンとコーヒーを朝食としていただく。出発前に一度シャワーを浴び、部屋に戻って身支度を済ませる。

朝9時ごろまでが強いということで、弱まるまで一階ロビーでひと休憩。朝5時半から活動を始めていることもあってか、感覚では既にお昼。


長崎の英雄

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その後少し晴れ間が見えてきたので、今日一ヶ所目の目的地である「永井隆記念館」へ向かう。ここは以前から訪れたかった場所の一つ。

今の時点であまり詳しいことは知らないが、原爆が投下された後の長崎で必死に負傷者の救護に当たっていた先生だったということだけはわかっている。

館内で展示を見学。自らも被爆による白血病に冒されながらも救護に医療に携わり、被曝の後遺症で内臓が膨張してしまった後は執筆活動に勤しんだという。なんだか胸から何かがこみ上げてくる感情。焦土絶望に覆われた長崎に、ここまで己を顧みず勇気ある行動がした人がいたことに敬意を感じる。

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その後1951年に亡くなるまで住んでいたという「如己堂」に立ち寄る。2畳ほどの小さなスペースには最低限の家具とマリア像だけが置いてある。

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如己愛人

生前、永井博士は2人の子供たちに言っていたそうだ。言葉の意味は、

「己の如く隣人を愛せ」

というもの。日常生活においても、人を愛するということを常に忘れなければ、争い事など起きないはずだという博士の強い思いが4文字で表されているのだと思う。

その他にも、「針一本でも持っていたら平和を語る資格はない」という言葉も残している。争いや対立を防ぐには、一切の武力の保持を認めないことにあるということなのだろう。

平和とは何か。平和な世の中に生きる日本人が今一度考え直す必要があるだろう。

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その後、平和公園駅から路面電車に乗り、昨日訪れた出島や中華街を通り過ぎる。しばらくすると、目的地である「大浦天主堂」近くの駅へ到着。先ほどまで見学していた浦上天主堂との違いとしては、国宝として観光地化されているということだろう。

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いろいろなお土産店が天守堂まで連なっており、観光客や修学旅行生もたくさん見受けられる。

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教会の敷地内には鯉が泳ぐ池もある。洋風のイメージがある教会でこういった「」を見かけるのは珍しい。

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受付で入場料を払い、早速堂内へ潜入。昔の教会の様子を呈した内装、高い天井、ステンドグラスなどが目の前に飛び込んでくる。

屋根が高くなっているのは、人が天に昇る様子を示しているらしい。

隣接している資料館では、キリシタン弾劾の歴史を知ることができる展示。キリシタンが厳しく弾圧されていた江戸時代、宣教師が追放された後も地下で信仰を続けていた通称「隠れキリシタン」。明治維新直前の1865年、フランス人神父が来日し、大浦天主堂での「信徒発見」は宗教上の奇跡として今でも語り継がれている。

その他、資料館には教科書で見る「踏み絵」が展示されている。何度も何度も踏みつけられているので、キリストの絵がぼやけてしまっている。

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教科書、といえばこの人の絵もそうだろう。おそらく名前を言う必要もないだろう。まさかここで実物の絵画を見ることになるとは。

宗教に関して話すことはタブー視されている世の中で、こういった形で知識を深められたことはとても有益だと思う。

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見学を終え、歩いてすぐ場所にある「グラバー邸」へ向かう(正式名称はグラバー園だが、「邸」で言い慣れているのでこう呼ぶことにする)。

10年前にはまっていた大河ドラマ「龍馬伝」でも撮影のために使われていた場所で、一度は来てみたいと前々から思っていた。

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ここにも一風変わったデザインの公衆電話ボックス。

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西洋料理発祥の地もここ、長崎にある「自由亭」というお店らしい。

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しかし、肝心の建物は耐震工事中で外観は全く見学できず。今度島原や熊本・天草を訪れる際にまたここに寄ることができれば、と思う。ただ、園内は庭園や洋館が綺麗なので残念だとは思わない。

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最後に「長崎くんち」の山車を見学し、出口へ向かう。

「トルコ」 + 「ライス」 = ??

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グラバー邸を出て、既にお昼の時間になっていたので、少し変わったランチをいただくことに。その名も「トルコライス」。全く聞いたことがないのだが、カレーピラフにとんかつ、ナポリタンにサラダと全く統一感のないプレートランチのようなものらしい。

トルコライスの名前の由来は諸説あるらしい。

1. ピラフが中国、スパゲッティがイタリア、とんかつがこの中間に位置するトルコを表すという説。

2. 今は無き、レストラントルコと言う店がランチメニューとして初めて出したという説。

3. 三種類のメニューが三色旗に見えることからトリコロールランチ、つまりトリコ→トルコとなったという説。

などなど。どれも決定的な根拠がなく、結局どれが本当の話なのかはわかっていない。

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お店の中に入ってみると、長崎出身のサッカー選手「吉田麻也」のグッズがたくさん飾られている。

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とりあえずそのトルコライスを注文して待っていると、目の前に出てきたものはまるで旗が刺さっていないお子様ランチ。名前はなんとも不思議なものだが、中身は全ていつも食べているようなものばかり。どれも美味しくてとても満足。

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大通りを歩くと、突如石碑が。どうやら長崎は鉄道発祥の地でもあるらしい。鉄道といえば新橋か横浜のイメージだが、蒸気機関車の運行という点ではここが最初の場所だったらしい。

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その後は有名(?)な「オランダ坂」を通り、ドンキでパンを買って風頭公園へ。

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墓がずらっと並んでいる山道を登る。

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途中、ドイツ出身の医者である「シーボルト」とその家族のお墓と顕彰碑を発見したので一礼。

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薄気味悪いといえばばそうだが、ひとまず進み続ける。

長崎といえばこの人!

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山の上の方まで登ると、ついに「坂本龍馬」の銅像が現れる。大海を臨む様が、まるで対局を見据えているかのようでかっこいい。

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展望台まで階段を登ると、長崎市内や港湾地域、山間の地形を一望できる。

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下山する途中、「亀山社中記念館」を少し見学。龍馬好きで有名な武田鉄矢が名誉館長を務めているらしい。

龍馬の私物である刀、ブーツ、和装などが飾られている。ファンにはとても嬉しい展示だ。

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龍馬が暗殺された京都・近江屋に置いてあったという屏風には、龍馬と同胞・中岡慎太郎の血痕が付いている。こんな貴重な物が見られるとは全く思っていなかった。(館内撮影禁止だったので、残念ながら写真に収められず。)

明治維新を遂げた新生日本を見ていたら、どういう反応を示していたのだろうか。

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また少し歩き、毎年10月に行われているという「長崎くんち」の舞台となっている諏訪神社を参拝。

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ここでついにあの「長崎といえば!」の場所へ向かう。川面にその姿が映っていることからその名前がついたという「眼鏡橋」。橋の下の方から眺めると、確かにメガネのように見える。

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そこから路面電車で数駅、長崎駅へ戻ってくる。一泊二日という短い電車旅だったが、長崎市内で訪れたかった観光地を一通り巡れたことに達成感を感じる。

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帰りの電車用にジュースを購入し、1時間半揺れながら佐賀市へ戻る。


シシリアン...ライス??

佐賀駅へ到着し、駐輪場へ向かうとなぜか自転車に鍵付きのがかけられている。どうやら定期契約の駐輪場に停めていたらしく、おそらくそれが原因なのだろう。管理人の方に全く事情を知らなかったのだと伝えると、旅人ということもあり今回は放免ということになる。

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夕食は佐賀県の名物(?)である「シシリアンライス」をいただく。名前からは全く想像ができる物ではない。目の前に出てきたものは、ご飯の上に牛肉、さらにキャベツと温泉卵。マヨネーズもかけられている。

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全く何の食べ物かわからないが、この材料で不味くなるわけがない。一口食べてみると、牛丼と野菜サラダが一緒のお皿に盛り付けられているようだ。マヨネーズの酸味もあり、どんどん食が進む。結論としては、めちゃくちゃ美味い。

お昼の「トルコライス」といい、夕食の「シシリアンライス」といい、世の中にはまだまだ未知の食べ物でいっぱいなんだろう。

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食べ終わり外に出て夜の佐賀市を自転車で走っていると、「SAGA BALLOON MUSEUM」と書かれた博物館(?)を発見。「なぜバルーン?」と一瞬思ったが、そういえばここ、佐賀県は毎年「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が行われていることを思い出す。

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佐賀県最後の目的地として、県庁のプロジェクトマッピングを見学。

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夜空のタイムトラベル」と題した作品は、窓に花火や次世代の都市が映し出されるという何ともナウい内容。

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市内の夜景とも相まってとても綺麗だ。最高の立地とプロジェクトなのにも関わらず、無料で見学できるという点もまた嬉しい。

早朝からずっと観光しっぱなしの1日だったので、夜はかなり早く寝床に着く。