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コンサル一年目が受けるすごい研修| 『コンサル一年目が学ぶこと』

部下育成についてときどき意見交換する現場の方がおすすめしていたのを見て、『コンサル一年目が学ぶこと』を読んでみました。

私も著者と同じ会社に新卒で入ったので、本書は「読む」のではなく、「追体験」できるはず。と勝手に解釈したうえで、人材育成担当者として本書の内容から感じたことを書いてみます。

待ってくれる上司

本書を追体験していて一番共感したというか、「ああ、たしかにそうだったなあ」と、当時お世話になった上司の顔が浮かんできたのは、こんな場面たちです。

「大石さん、わたしの質問に対して、取り繕うように何か言わないでいいですから」
ハッとしました。
取り繕うようなことを言うほうがよっぽど頭が悪く見えるということがわかったのです。

マネジャーは、「5分考えてからでいいので、ちゃんと頭を整理してから、もう一度答えてください」と言いました。

コンサル一年目が学ぶこと』より

別のコンサルティング会社では、はじめて書いた議事録を添削してもらったところ、時間もかけて、いろいろと指摘されたという人もいます。
自分が書いた文字以上の赤字を入れられたそうで、一年目の体験として強烈に記憶に残っているとのことです。

先輩のコンサルタントが、忙しいなかをていねいに3時間もかけて添削するというのは、並大抵のことではありません。

コンサル一年目が学ぶこと』より

本書が思い出させてくれたのは、「待ってくれる」あるいは「時間をかけてくれる」上司の存在でした。

コンサルティング会社というと、ものすごいスピード感のなかで仕事をしているイメージがあるかもしれません。それは確かにそうなのですが、部下育成においては、それとは別の時間軸があったような気がします。

もちろん、部下であった当時の私が、「待ってくれる」「時間をかけてくれる」などと、感謝や敬意を含んだ心持ちでその時間を過ごしていたかというと、100%そういうわけではありませんでした。素直な心情としては、「できるまで逃してくれないな…」でしょうか。

いまは立場が変わって、上司の側の心情が理解できるようになったり、また、人材育成担当者として育成を生業とするようになったことで、「待ってくれる」「時間をかけてくれる」ことの大変さ大切さが強く立ち上がってきます。

育成に対する冷静と情熱

コンサルティング会社において、忙しいなかでも上司が部下育成に時間を割く理由とは一体なんなのでしょう? その上司が「優しい」から、あるいは「熱心」だからでしょうか?

先輩のコンサルタントが、忙しいなかをていねいに3時間もかけて添削するというのは、並大抵のことではありません。

裏を返せば、そうまでしても、一年目のコンサルタントに議事録を書けるようになってほしかったということでしょう。

コンサル一年目が学ぶこと』より

《そうまでしても、一年目のコンサルタン トに議事録を書けるようになってほしかった》というのは、一見、その上司個人の「熱意」と読み取ることができそうです。しかし、私はこんなふうに読みました。

【そうまでしないと】、一年目のコンサルタントが議事録を【書けるようになんてならない】と知っている

上司にはこういった「理解」あるいは「割り切り」があるのではないか、と今は思います。それも、その上司「個人」としてだけではなく、コンサルティング会社という「組織」として

コンサルティング会社という玉手箱

上司「個人」、あるいは、コンサルティング会社という「組織」のレベルにおいて、育成に対する「理解」または「割り切り」があるのではないか、という仮説を考えてみるために、「コンサルティング会社では一体どんなことを身につけて(身につけさせて)いるのか?」という問いを考えてみます。

コンサルティング会社に入れば、何か特別な方法論を学ぶことができるのではないか?と期待している人も多いと思います。
コンサル一年目で受けられるような研修を自分も受けることができれば…そう思っている人もいるかもしれません。

まさに本書は、そのためにあるものなのですが、実際、コンサルティング会社に入らなくても、その方法論を学ぶことはできます。

というのも、コンサルティング会社で最初に受けた研修も、先ほどの『問題解決プロフェッショナル「思考と技術」』と同じ内容だったからです。

英語で、Issue Based Problem Solvingという名前がついていましたが、名前こそ違えど、『問題解決プロフェッショナル』の本で書かれていた方法論そのままでした。

それ以降も、コンサルティングの現場に投入されて、プロジェクトをこなしましたが、実際のところ、この『問題解決プロフェッショナル』以上の方法論は使いませんでした。

つまり、結局のところ、コンサルタントの問題解決に、何かすごい裏ワザテクニックはありません。とても基礎的な方法論を応用しているにすぎないということです。

コンサル一年目が学ぶこと』より

そう、コンサルティング会社に《何か特別な方法論》や《何かすごい裏ワザテクニック》があるわけではないのです。そこにあるのは、近くの本屋で売っていて、誰もが手に取ることのできる《とても基礎的な方法論》でしかないのです。

ちなみに、私が《とても基礎的な方法論》を体感した本は、『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』です。「やべー、今まで悩んでたこと、全部ここに書いてあるな」と感じたのを、いまでも強烈に覚えています。

基本的な誤解

基礎や基本というと、研修のタイトルに(「上級編」などと並んで)「基本編」とついていたり、部下育成についての会話においても「基本的なことができない」などと使います。

実は、私はこの言葉遣いにいつも違和感を感じています。基礎や基本という言葉に、「易しいこと」「簡単なこと」(≒「すぐにできるはずのこと」)という、無意識の含意がなされているのではないか、と。

基礎と基本について、人材育成(学校教育)の観点から説明したこちらの記事においても、「易しいこと」「簡単なこと」(≒「すぐにできるはずのこと」)といったニュアンスはいっさい読み取れません。

むしろその逆で、《繰り返し学習することにより身に付き》、すなわち、繰り返し学習しなければ身に付かないすぐにできるわけではない、と言っているわけです。

そう、基礎や基本というのは、とても大切なことであるのと同時に、本人が「ひとりで」「すぐに」できるわけではないのです。そこには、「ひとりで」「すぐに」の逆、すなわち、「他者」と「時間」が必要なのです。

「待ってくれる」「時間をかけてくれる」上司というのは、部下が基礎や基本を身につけるために、「時間」を提供してくれる「他者」なのです。

壁打ち相手としての上司

上司は、「時間」だけを提供してくれるわけではありません。

課題を漏れなく、ダブりなく分解したり、意味のあるロジックツリーをつくるには、適切な指導者が必要です。
勉強会などで、若手社会人同士でロジックツリーのトレーニングをし合っている場面を見ることがありますが、あまり成果が上がっているようには見えません。

この手のトレーニングの問題点は、ロジックをつくっている張本人は、自分で間違いに気づくことができないことです。
結局、ツリーの問題点や論理のミスは、すでにそれができるようになっている人が指摘してあげないと、何がどう間違っているのかがわかりません。

コンサル一年目が学ぶこと』より

フィードバックのないまま、ロジックツリーづくりを上達させるのは難しいことです。
しかし、ふつうの会社のなかには、ロジックツリーがすらすらとつくれて、的確な指導をしてくれる人はまず見当たりません。
ですから、指導ができる先達に囲まれていたという意味では、コンサルティング会社で働いたことには、価値があったと思います。

コンサル一年目が学ぶこと』より

ここではロジック・ツリーが例として挙げられていますが、それに限らず、人がなにかを身につけるというプロセスにおいては、「自分でやってみる」「やった結果に対して、(すでにそれができる人としての)他者がフィードバックする」「フィードバックを受けて、自分でやってみる」という、自己と他者の間での、無限のキャッチボールが必要です。

本書で紹介されている、そして私が出会った、コンサルティング会社の上司は、単に「待ってくれる」「時間をかけてくれる」だけでなく、その時間のなかで、「見て」「声をかける」ということをしています。そこまでして初めて、基礎や基本というものが身につくということを、上司個人として、あるいはコンサルティング会社という組織として、理解しているのではないかと思います。

育てる側が襟を正す

本書は、《コンサル一年目が学ぶこと》を自分でも学びたいと思っている、「部下」に向けた一冊です。もしくは、部下の育成に悩んでいる、コンサルティング会社以外で働く「上司」が手に取る一冊かもしれません。

もし、本書を手にした「上司」が、コンサルティング会社には《何か特別な方法論》や《何かすごい裏ワザテクニック》があって、自分の会社でも《コンサル一年目で受けられるような研修》を部下にやってくれたら、自分の仕事がもっと楽になるのにな、と考えているとしたら、本書の終盤にある《師匠を見つける》というセクションをあらためて読んでみてほしいです。

若いうちは、どのような仕事をするかより、誰と仕事をするかのほうが大事です。
ですから、仕事選びよりも、いっしょに仕事をする人選びを大事にしてください。
人格的に、能力的に、この人だと思う人の影響を受けることです。

コンサルタントは、プロフェッショナルな仕事です。
もちろんノウハウ化できたり座学で学べるようなスキルの部分もあるかもしれませんが、それは、すでに本になって、本屋に並んでいます。

言語化できるような仕事は、すでにコモディティ化(一般化)していて、差別化はできません。
それ以外の言語化できない暗黙知の部分こそがプロフェッショナルにとって大事です。

コンサル一年目が学ぶこと』より

プロフェッショナルとは、神に宣誓する(プロフェス)というところからきている言葉です。そこでは、利益や合理性といったものを超えた、非経済的なものが大事になってきます。だからこそ、医者、弁護士、音楽家、スポーツ選手、なんでもプロフェッショナルと呼ばれる人は、技術のほかに、独自の美学や哲学をもち合わせています。

そして、その美学や哲学は、師匠のそばにいて、師匠の息を感じながらそれを真似ることによってしか身につきません。この世界はいまだに徒弟制度です。だから、一年目には、徹底的にそういう人のそばにいる必要があります。

コンサル一年目が学ぶこと』より

こういった言葉が、《師匠を見つける》というタイトルのもとに、「部下」に向けて書かれているわけです。

「上司」であるあなたは、《いっしょに仕事をする人》として、部下から選ばれるでしょうか。

《人格的に、能力的に、この人だと思う人》として、部下から見られているでしょうか。

《言語化できない暗黙知》を、時間をかけて、言語に変換して、部下に伝えているでしょうか。

《技術のほかに、独自の美学や哲学》を持ち合わせているでしょうか。

部下が《一年目には、徹底的にそういう人のそばにいる必要》があるとしたときに、《そういう人》たりえているでしょうか。

コンサルティング会社にいて良かったこと

私の経歴を話すと、「コンサルティング会社にいて良かったことは何ですか?」と聞かれることがあります(特に学生さんや若手から)。

《何か特別な方法論》や《何かすごい裏ワザテクニック》を期待しているのかな、と邪推しつつ、いつもこう答えます。

「『コンサル流』とか『外資コンサルの』といった本のタイトルやキャッチコピーに惑わされなくなったことですかね。中身をちゃんと見れば、コンサルティング会社かどうかに関係なく、どこでも必要なことだな、と落ち着いて見れる気がします」

また、読者のみなさんの多くはコンサルタント業界以外にお勤めのことだと思いますが、よくよく読んでいただければおわかりのように、項目の多くが、コンサルティング会社に入社しなければ学ぶことができないような特殊なスキルの類ではありません。
他の業界や、他の会社でも十分学ぶことができる項目です。

したがって、コンサルティング会社に勤めていないから意味がないととらえるのではなく、普遍的に役立つスキルのリスト、それぞれの日々の仕事のなかで学び、磨いていくべきスキルのリストとしてお役立ていただければと思っています。

コンサル一年目が学ぶこと』より

就活のときの業界研究を除けば、「コンサルの」と謳った本を買ったのは、実は本書が初めてかもしれません

そう、「コンサルの」と謳った本に、あまり良い印象を持っていなかった、というか、それを理由にあえて手に取る(タイトルに釣られる)必要はないかな、と感じていたのは確かです。「中身をちゃんと見れば、コンサルティング会社かどうかに関係なく、どこでも必要なこと」だからです。そういう意味で、本書があとがきでしっかりとその点に触れて、「コンサルの」という意味合いを冷静に相対化していたのは好感が持てました。

手順書ではなくリスト

そしてもうひとつ、このあとがきが重要だと思うのが、本書を《普遍的に役立つスキルのリスト、それぞれの日々の仕事のなかで学び、磨いていくべきスキルのリスト》というように、身につけるための手順ではなく、身につけるべきことの《リスト》と定義していることです。そして、そのリストの内容は、研修という現場の「外」ではなく、《日々の仕事のなか》という現場の「中」で身につけていくものだとしているところです。

ビジネス書をはじめとする「本」というのは、習得(これを読めばできるようになる)を謳っていても、実際のところは、習得を保証するところの「手順書」(このとおりやればできる)にはなっておらず、習得すべきことの「リスト」に過ぎないことがほとんです。

なぜかと言うと、これまで書いてきたとおり、習得のためには「他者」が必要だからです。本単体では、手順書たりえません。習得のための「他者」の筆頭は、現場の「中」にいる「上司」です。(研修という現場の「外」にいる講師や人材育成担当者は、あくまでその「上司」を支援する立ち位置だと思っています)

著者と同じ会社にコンサルタントとして入社して、いまは人材育成担当者として育成を生業にしている私が、本書を「読む」のではなく、「追体験」して思い出したのは、現場の「中」において、「待って」「時間をかけて」「見て」「声をかけ」てくれる、習得のための「他者」として振る舞う上司の存在でした。

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