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【自己紹介】研究者→ITコンサルタント→人材育成という円環(赤坂優太)

はじめまして。赤坂 優太(あかさか ゆうた)といいます。

どんな人が、どんなことを思ってこのnoteを書いているかを、書いてみます。このnoteに書き散らかす記事たちは、僕の過去の経験や、いまの仕事を通して感じたことにもとづいています。「どんな人が書いているのか」がわかることで、それぞれの記事に対して共感してもらえる部分が増えるといいなと思います。

また、noteに書くほどにはまとまってない、断片を書き散らかしている場所が他にあります。もし興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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「いままでやってきたこと」を追体験

学生時代からいままで、どんなことをやってきてのかを時系列で並べてみました。その時々でどんなことを考えていて、それがいまにどんなふうにつながっているのか、ということを、今回あらためて思い出しながら書きました。

今回あらためて思い出しながら」というところがポイントで、必ずしもすべてがすべて、当時からそのように考えていたわけではないです。でも、経験というのは、事実であると同時に記憶でもあると思うので、今の僕がそう記憶しているということは、そういう経験なのだと思います

読む人のために書き始めたのですが、いつの間にか自分の記憶をデフラグしてる感覚になりました。そのせいで、書いているうちに筆が乗ってものすごく長くなってしまい、当初の目的である「自己紹介」とはかけ離れてしまった気もしなくはないのですが、そういうところも含めての「自己紹介」なのだと開き直って、そのまま載せてしまいます。




研究者(の卵)@筑波大(1999〜2008)

1979年北海道旭川市生まれ。大学進学を機に北海道を離れましたが、いまでもとても愛着をもっています。

その愛着のひとつの現れだとも思うのですが、地元のJリーグ・クラブである、北海道コンサドーレ札幌を応援しています。コンサドーレ・サポーターのなかで一定数を占める「関東アウェイ・サポーター」として、関東近郊のゴール裏によくいます。

父親の影響で小さな頃から自動車や機械が好きでした。小中高はミニ四駆F1にすべての時間とお金を投じていた気がします。良く言えば自分の好きなことに導かれて、悪く言えば深く考えることなく、自動車がやりたくて工学部を目指します。

1999年4月に、1浪のすえ筑波大学 第三学群 工学システム学類(当時)に入学。自動車(マシン)に興味があって工学部に入ったのですが、ふとしたことから手にとったこの本の影響で、システム(マン−マシン)への興味が芽生えます。

人間に向き合う、もっと踏み込んで言うと、人間(や組織)のメカニズムを念頭に置きつつ目の前の生身の人間に向き合うという、いまの自分の価値観の最初のルーツはここなのかなと思います。

大学4年のときに、「人間(マン)とコンピュータ(マシン)のあいだ」を扱う人間情報処理研究室(鬼沢研)に入ります。研究が面白かったし、博士課程に進むことを応援してくれる鬼沢先生がいらっしゃって、かつ実際に博士課程に在籍していた先輩を身近に見ていて、良く言えば自分の好きなことに導かれて、悪く言えば深く考えることなく、博士課程に進学

いまあらためて考えてみて、鬼沢研にいなければ博士課程に進んでいたかはわからないです。父親の影響で工学部に進んだこともそうですが、「環境が人をつくる」という人材育成の原理原則を肌身で感じる原体験です。

大学院では、当時普及しはじめていた歩行者ナビゲーションシステム(いまで言う「スマホでGoogleマップを見ながらの道案内」ですね)の経路検索アルゴリズムに、「個人の好み」という主観的な情報を取り入れてみよう、という研究をしていました。客観的な情報である「距離」にもとづいた最短経路だけではない、「歩いていて楽しい」という主観的な情報を取り入れた道案内というものを考えていました。(あまり)無事(ではなかったけど)、2008年3月に学位(工学博士)を取得


この研究のなかで、ファジィ測度(「速度」の間違いではなく、「測」度で正しいです)という「1+1が2になるとは限らない」数学を使って、人間の嗜好をモデリングしていました。この「1+1が2になるとは限らない」という特性は、人間の組織行動そのものです。組織開発におけるプロセス・ロスの考え方を知ったときなどは、その考え方がとても自然なものに感じられたのを覚えています。

また、研究テーマと直接に結びつくものではないのですが、この本との出会いも、今の仕事に大きな影響を与えています。

「使いやすいデザイン」を実現するためには、人間と環境の間の相互作用を考えるのが大切という内容です。「人間と環境の間での相互作用によって、人間の側に変化が起こる」という、人材育成の原理原則を肌身で感じる原体験です。相手を直接的に変えるのではなく、(自分を含む)環境を変えることによって、相手に変化を起こそうとする価値観はここから来ています。




ITコンサルタント@アクセンチュア(2008〜2014)

博士号は取得したものの、就活では研究職ではなく、それ以外の職種を中心に据えていました。営みとしての「研究」は面白いけど、職業としての「研究職」をやりたいのかなと考えたときに、Yesという心の声が浮かんでこなかったのが、研究職「以外」に目を向けた理由です。かといって、「じゃあなにをやりたいの?」という問いに答えてくれる心の声も浮かんできませんでした。

ただ、ぼんやり感じていたのは、「他人がミッションを果たすのを支援する」という立ち位置でした。

博士課程の学生のひとつの役割として、後輩の研究指導があります。研究室に配属された大学4年生が、彼/彼女自身の研究テーマ(ミッション)を提出期限までに卒論というかたちにまとめあげられるようサポートするわけです。彼/彼女の研究テーマであるということから、彼/彼女には自身のオリジナリティを求めます。一方で、研究という営みにおけるお作法(型)を学んでもらうことも、卒論の意義のひとつです。この「型とオリジナリティ」のバランスを保ちつつ、「初めて経験するがゆえに先が見通せない」という苦しい状況をモチベーションの面からも支えるというのが、研究指導の難しさであり、面白さかなと思っています。

みたいなことを(すでに就職している)友人に話していたら、「赤坂、それコンサルタントっていうんだよ」と言われて初めて知ったのが、コンサルタントという職業でした。(遅い)


コンサルタントという職業を知って、やっと本格的に就活が始まり、いろいろいろいろいろいろあって、アクセンチュア(株)に入社したのが、2008年5月。(当時のアクセンチュアは3〜9月にかけて入社月が分かれており、僕は4月を希望していたものの5月に入社します)

アクセンチュアでは技術寄りのキャリア・パスを歩みながら、システム開発やPMOに6年間携わりました。「大学院でプログラミングをやっていたから」くらいの理由で技術寄りのスタートを切りましたが、性(さが)には抗えないもので、やっているうちに人間寄りの志向を感じるようになりました。

そういう意味で、PMOという仕事は自分の中でけっこうしっくりきていました。揶揄されることも多いPMOという仕事ですが、技術という開発のお作法を知りつつ、開発者(個人)の気持ちも汲んだうえで、最終的にはプロジェクトの完遂という組織としてのゴールに向かって、あらゆる面から支援していくというのは、就活のときに思い描いていた「他人がミッションを果たすのを支援する」という絵に近いのかなと感じます。

また、これまでの社会人生活を思い返してみて、プロジェクト・マネジメントという考え方/技法を叩き込まれたのは、いまの自分を大いに助けてくれていると感じます。プロジェクト・マネジメントは、「多くの個人の頑張りを、組織のゴールにちゃんと結びつける」ための方法論と捉えることができると思います。「多くの個人の頑張りを、組織のゴールにちゃんと結びつける」とは、「1+1をちゃんと2にする」と言い換えられます。ファジィ測度と同じく、「1+1をちゃんと2にする」ということの難しさをしっかり受け止めたことは、人材育成や組織開発に携わるうえで大切な価値観を得たと思います。かつ、「1+1をちゃんと2にする」ための方法論は、HRとして様々な施策を企画/推進していくうえで大いに助けになってくれています。


コンサルタントとしての業務の合間に、新人研修の企画/講師を担当する経験にも恵まれました。新人と向き合うという、企業内人材育成の原体験は間違いなくここにあります。

さらに、年間300名が6回に分かれて入社するという、巨大な新人研修を設計/運用する現場に立ち会えたことは、(単発の終日研修ではなく)数ヶ月にわたる研修全体のデリバリーを学ぶという意味で、とても貴重な経験でした。長期間にわたる研修というのは、「受講者の学び」という本質には一見関係ないような、膨大な作業が存在します。ファシリティの準備であったり、新人研修であれば入社手続きもそれにあたります。

この「研修のデリバリー」を垣間見ることができる(垣間見なければいけない)のは、研修に関わる人の全体(受講者/経営陣/協力してくれる現場社員 etc.)から見ると、ごくごく一部です。HRとして企業内人材育成の施策を推進していくときに、経営や現場とミス・コミュニケーションが起きる要因のひとつが、この舞台裏に対する理解度かなと思うときがあります。この舞台裏を「こちらの事情」として押し通そうとするのではなく、「私たちの課題」として丁寧にコミュニケーションする必要性をいま感じられているのは、このときの経験のおかげです。




HR/人材育成@フューチャーアーキテクト(2014〜)

2014年4月に、コーポレート部門であるHRの人材育成担当としてキャリアチェンジのうえ、フューチャーアーキテクト(株)に転職しました。

実は、「人材育成を仕事にしたい!」という動機で転職活動をしていたわけではないのです。プライベートなことも含め、いろいろな要因を考慮したうえで転職活動を始めたのですが、そのときはアクセンチュアでの本業であるシステム開発を続けること第一候補にしていました。そのうえで、「言うだけならタダだから」ということで、「人材育成」という希望職種も登録だけはしていました。

そこから、いろいろいろいろいろいろあって、まさかまさかの人材育成を仕事にすることになったわけです。当時は35歳でのキャリア・チェンジということで不安も大きかったですが、家族が応援してくれたのと、最後は「うまくいくかどうかわからないけど、『転職』という人生経験を一度してみよう」という、謎のチャレンジ精神で新しい舞台に飛び込んだのを今も鮮明に覚えています。

いま思い出しながら書いていても、「謎」のチャレンジ精神だなとは思いますが、でも当時の自分は本当にそう考えていたことも、強く覚えています。

これが僕のキャリア観を形作る原体験のひとつなのだと思います。客観的な理屈も大切。でも、客観や理屈は、その後の自分の人生に責任は取ってくれない。仮に失敗したとしても、今の自分が未来の自分に向かって、「ごめん、うまくいかなかったけど、あのときは嘘ひとつなく、本当にそう思っていた。だから、リカバリーよろしく」と言えるかどうか、が一番強い芯たりえるのかなと思います。


フューチャーアーキテクトでは、年間100名以上が3回に分かれて入社する新人研修の全体デザインと、上述の研修デリバリーや新人とのコミュニケーションなど、日々の推進を担当してきました。

新人と研修担当者の1on1を軸とした、「教えない」新人研修という仕組みを構築。新人への画一的なインプットを最低限に抑える代わりに、アウトプットに対する到達度判定テストを繰り返し行い、その結果をもとに研修担当者との1on1で内省を深める。経験学習サイクルを高速かつ高密度で回すことで、「所与の問題をひとりで解く」から「自ら問題を設定して周りを巻き込んで解く」へのマインド転換/スキル獲得を実現しています。


新人研修を通して、500人以上の新人と向き合わせてもらいました。みんな違う。人と向き合っていていつも感じるのは、そして、いつも忘れてはいけないのは、その一点なのかなと思います。

僕の志向として、人間や組織のメカニズムに興味があるのは前に書いたとおりです。でも一方で、というか、だからこそ気をつけないといけないことがあります。メカニズムに従って生身の人間がいるのではない。生身の人間がまず先にいて、あとになって振り返ったときに、そこにはメカニズムが透けて見えることがあるだけなのです。「みんな違う」とは、そういうことだと思います。

7年間に渡る試行錯誤の跡は、フューチャーアーキテクトのオウンドメディア「未来報」に詳しく紹介されていますので、ぜひ読んでみてほしいと思います。

現在は新人研修の一線からは少し離れて、全社的な人材育成施策のデザインや、データ・ドリブンな組織改善などに取り組み始めています。

謎のチャレンジ精神で飛び込んだフィールドでしたが、当時の自分に向かっては、「なんとかやってるから大丈夫だよ、ありがとう」と言ってあげたいなと思います。いまの仕事でも思い悩むことは多いですが、システム開発の現場で動かないソースコードとにらめっこするよりも、困りごとを抱えた人と面談しているときのほうがストレス感じないなと、ふと思うことがあります。向いているのだと思います。




長文にも関わらず最後まで読んでいただきありがとうございます。こうやってまとめてみると、いろいろ回り道をしているように見えつつも、「他人がミッションを果たすのを支援する」というコンパスの針を立てながら、その周りをぐるぐるしているのかな、という自分の芯を再確認できました。

こんな経験をしてきた僕が、いままで感じたことやいま感じていることについて、「人を育てる」という目線から見える景色を書き連ねていきたいと思います。よろしくお願いします。

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