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自己紹介|renew2024

こんにちは。矢ヶ部(やかべ)と申します。

都市地域デザイナーとか、都市地域研究者兼コーディネーターとか、ちょっとまだ揺れ動いていますが、いずれにしても都市や地域をフィールドに活動しています。

都市地域研究者兼コーディネーター|
公共R不動産/アフタヌーンソサエティ/PPPリサーチパートナー/Public Pivot。
暮らしたい未来を妄想して不動産の使い方を変えるとまちのあり方が変わる。都市地域ビジョンと公民連携プロジェクトの社会実験。
東京在住、ときどき埼玉県小川町。

現在の概略プロフィール文

短い時間で相手の印象に残る自己紹介をしたいと思ってはいるのですが、言うほど努力はしていないので当然思うように行きません。なんなら最近は少し諦めがちで、むしろ「ちょっと気になるかも」と思ってくれた人に届くようにしておこうかな、と思いはじめました。

もともとの『メモ000|自己紹介』という記事は、noteをはじめた2016年3月の最初の投稿でしたが、すっかり存在を忘れていました。きっと誰も読んでいないだろうし、このままにしておこうかなとも思いましたが、さすがに8年経過する中でさまざまな変化もあります。また、どうせコンパクトな自己紹介ができないなら、もう少し自分の考え方や試行錯誤も含めてあれこれをお伝えできるようにしておこうかな。そんなきっかけで記事の編集に着手しました。


「何をしている人なんですか?」

矢ヶ部に興味関心を持って頂き、ありがとうございます。

これまでの経緯やアウトプット、現在の関わり方などをまとめました。また少しずつ書き足していこうと思っていますが、現時点ではこんな感じです。どうぞよろしくお願いします。

note初出時の自己紹介

自己紹介文は試行錯誤し続けていて、2016年3月のnote初出時はこんな自己紹介文でした。

文学部出身ですが再開発コンサルです。
いまを『再構築』して次世代に笑顔をつなぎます。

東洋大学PPP研究センターリサーチパートナー/PPP(public private partnership)/都市再生・地域再生/耐震改修/埼玉県比企郡小川町

Carpe Diem - Seize the Day

2016年3月時点自己紹介文

ものは試しにと始めたnoteは、Facebookにアップしていたちょっとしたメモをこっちにもあげておこうという低空飛行スタートでした。しばらくすると頻度も落ちてたまに書く程度になってしまっていたけれど、また位置付けを見直していきますね。

「文学部なのに再開発コンサル」時代

当時自分の本業は再開発コンサルタントでした。この仕事は、建築設計であったり何かしらの工学系のスキルを身につけていらっしゃる方が関わることが多いとはいえ、いわゆる文系系の方もいないわけではないのですが、文学部出身はその中でもあまり多くないと思います。少なくとも自分の知る範囲ではめずらしいことでした。
「えー、ほんとですかそうは見えないですね、でも、なんか分かる気もします」という反応が自分にとって良いのか悪いのか、正直判断はつきません。ただ、独自性や希少性があるのは間違いないだろうと、「文学部なのに再開発コンサル」というフレーズにしたという経緯でした。

「いまを『再構築』して次世代に笑顔をつなぐ」

「いまを『再構築』して次世代に笑顔をつなぐ」というフレーズは、誰のために何をやっているのか?を自問した時にたどり着いたものです。

フレーズ後半の「次世代に笑顔をつなぐ」は、自分は次世代重視で動きますよという意思表示であり、自分に言い聞かせる呪文です。

幼少期のうちにゴールデンタイムが終わった1976年生まれは、確かに高度経済成長の恩恵を受けて育ったとはいえ、自意識としては物心がつき成長するにつれ社会が暗くなっていった世代。戦争、バブル崩壊、震災、テロ。政治不安、経済停滞、就職氷河期、財政状況悪化、少子化、高齢化、人口減少。構造的にはいい思いができる将来はなく、下の世代からは上の世代と一緒に括られます。気づいて切り替えるまでに時間を要してしまいましたが、負債を財産に変換するのを楽しもう、もし判断に迷ったら「これは次世代に笑顔をつなげる選択か?」を問おう、ということを言葉にしたのでした。

前半の「いまを『再構築』して」は、こうした自分の役割を重ねつつ、自分が選択した方法論を示したものです。

再開発事業に関わる中で重ねてきた経験を、どうしたらポジティブに変換できるか考え続けていました。再開発の本質を広く「現在あるリソースを再構築して未来へ資する環境を形成すること」と捉えれば、その役割と構造は他の分野にも応用可能なはず。先人たちの実践も含め参照できる失敗事例には事欠きませんし、自分なりにも空気感を体感しても来ました。どう足掻いても動かない空気、期待を温めつつ慎重に歩を進める空気、やばい方向へ傾くときの芳ばしい空気、意思決定の最後まで気の抜けないヒリついた空気、軌道に乗ってきたと油断したときの空気。そんなことも念頭に置きつつ『再構築』という言葉を選びました。

余談ですが、再開発には的外れな批判も多く、せっかく批判するならちゃんと建設的にして欲しいなという気持ちから、木下斉さんの声がけもありArea Innovation Reviewへ『再開発事業の基本の“き”』という連載を寄稿したこともあります。2014年修士論文執筆中ということもあり、自分の認識の『再構築』に必死でした。

多軸的に都市地域に関わる

社会人大学院で公民連携を学ぶ

時系列は前後しますが、2013年4月に社会人大学院に入学しました。東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻です。長いので以降「PPPスクール」と言います。同年1月に開催されたあるシンポジウムに参加したのを契機に、このPPPスクールのことを知ります。入学すると『朽ちるインフラ』著者である根本祐二先生の講義や、紫波町オガールプロジェクトに関わった清水義次先生の講義を受けることができる。シンポジウム後の交流会に来ていたPPPスクールの修了生や現役生から聞いて、気持ちはほぼ固まっていました。

妻には事後報告だったため、とても怒られましたが。

これまでの再開発の現場経験を「公民連携」という共通語に翻訳し、構造的に把握したうえで異なる状況においても展開できるようにする。これがPPPスクールに通う2年間+任意の勉強会を開催した1年間で取り組んだことでした。修士論文のテーマもバブル崩壊後の再開発事業を捉え直したものです。再開発の公的支援策がどのような課題を抱えているかを明らかにしながら、人口減少社会における再開発の今後の公的支援の方向性を示しました。概論にしたものがこちらで読めますので、ご関心あればぜひ。

公民連携の言語で話すことに慣れてくると、元の言語がカタコトになるという副作用も生じましたが、先生・先輩・同期にも恵まれて関係性も広がり、今なおそれに助けられています。

公民連携・公共不動産活用へ広げていく

PPPスクール修了後しばらくの間、プロフィール文はこんな感じでした。

文学部出身の再開発コンサルを経由して公民連携分野へ。
1976年生まれ。株式会社タカハ都市科学研究所にて、法定再開発の事業コーディネート等に従事し、経営企画等も経験。
東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻修士課程を修了後、現場経験をベースに公民連携分野へ展開中。
東洋大学PPPリサーチパートナー/公共R不動産/株式会社アフタヌーンソサエティ/その他、埼玉県小川町でのNPO法人正会員など。

PPPスクール修了後のプロフィール文

「文学部なのに再開発コンサル」の出自からPPPスクールを経て「公民連携分野へ展開」。中途半端感が否めません。フィールドとして「まち」から離れる気はなく、公民連携や低未利用不動産活用などの方向性も持ちながら、しかし進んだ先に何があるか自分でも手探りで見えていないし、言える実績があるわけでもない。自己紹介がもっとも悩ましかった時期です。

しばらくするとご縁を頂き、本業の再開発コンサルのかたわら、公共R不動産やアフタヌーンソサエティとしても動くようになりました。

公共R不動産ではこれまで、エリアビジョン策定、公共不動産データベース運営、公共R不動産研究所の運営に関わっています。アフタヌーンソサエティでは、エリアビジョン策定、小学校跡地活用方針策定、企業版リノベーションスクール運営などに関わっています。整理するとこんな感じでしょうか。必要に応じてアドバイス、コンサルティング、ファシリテート、ナビゲート、コーディネートなどの役割は変わりますが、いずれにしても、コンセプトやビジョンを『カタチ』にしてアクションやプロジェクトを通じて『具現化』することを軸にしています。

・エリアリサーチ/エリアビジョン策定
・エリアビジョンに基づくアクションプログラム企画
・低未利用不動産活用基本方針・実施方針策定
・低未利用不動産活用プロジェクト組成
・エリアリノベーションブーストプログラム運営
・公共不動産活用情報プラットフォームサービス運営
・公共空間活用が広がるための調査・研究・開発

難しい言葉が並んでしまった…

結果的に退職してしまいましたが、前職在籍中に兼業させて頂いたことは大変感謝しています。「退職エントリーなんて投稿するものではない」という声も聞きますが、感謝の表明としてもこれはまだしばらく残しておきます。

東京在住、ときどき埼玉県小川町

多軸的に都市地域に関わるというのは、仕事や活動の面だけでなく、どの地域に関わるかという面もあります。

生い立ちと小川町との関わり

生まれてから住む地域が何度か変わった生い立ちです。大きく括れば埼玉県育ちです。横浜市戸塚区で生まれ、ほどなく埼玉県入間市に移り、中学1年生まで過ごしました。中学2年で小川町に移り、大学卒業まで過ごしました。就職を機に朝霞市の2年ほどいて、それから東京都中野区に移り住みました。出身地は埼玉県小川町と答えています。いまも両親が住んでいますし、PPPスクール修了後に2〜3ヶ月に1回は小川町を訪ね歩いていました。

このあたりのいきさつや、感じてきた小川町・埼玉県の変化については、ポッドキャスト『おがわのね』でもお話ししました。『おがわのね』は、小川町にいる「あの人」の話を聴いてみるネットラジオです。こちらを聞くとある程度ひととなりも分かるみたいです。よろしければぜひお聴きください。

小川町や埼玉県で起きていること

小川町にダイブし続けて5〜6年経つうちに、どんどん変化が起きているのが分かりました。書いたnote記事もいくつかあります。近年の変化はちょっとやそっとで起きたものではなく、いろんな積み重ねがあってのものだということが分かります。と同時に、地域への期待感は5〜10年くらいで変えることができるということも見えてきます。

埼玉県小川町にて|Lifelog(2020/02/15)
行政・民間・地域の連携から生まれた 埼玉県小川町「コワーキングロビーNESTo」(2021/06/30)
市民活動を生かしたクリエイティブな公民連携〜埼玉県小川町の公共的な空間4例(2021/08/04)
小川町の木工クリエイティブ拠点で未来を感じた研修|Memo(2022/04/25)

埼玉県小川町に関連して書いたnote記事

7年前くらいは、振り返れば市町村単位で考えるのが精一杯だった埼玉各地の空気感。それが、各地で特徴のある魅力的な活動をするキーパーソンが見えるようになり、さらにここ2〜3年くらいの間には、お互いの地域が刺激しあったり交流をはじめたりするようになって来ました。実はいま、埼玉では広域単位ですごいことが起きているのでは?そんな仮説を持ちつつ継続しているのが「埼玉まちめぐりツアー」です。「東武東上線の会」という別の企画に参加していても、その他の社会実験に足を運んでみても、同じことが言えそうだと感じています。

埼玉キーパーソンとめぐる各エリアは魅力的だった|2023(2023/12/13)
沿線キーパーソンとめぐる各エリアは魅力的だった|2023(2023/12/16)
新たな広域ローカルの可能性 FUKAYA MORNING CARNIVAL|Memo(2022/11/26)
所沢の社会実験 TOKOROZAWA STREET PLACE 2022|Memo(2022/11/21)

埼玉県内の動きに関連して書いたnote記事

東京在住、ときどき埼玉県小川町。まだまだ継続していきます。

Public Pivot(パブリック・ピボット)へ

そして今のところ、冒頭に書いたプロフィール文に辿り着いています。

都市地域研究者兼コーディネーター|
暮らしたい未来を妄想して不動産の使い方を変えるとまちのあり方が変わる。都市地域ビジョンと公民連携プロジェクトの社会実験。断熱大事。
公共R不動産/アフタヌーンソサエティ/PPPリサーチパートナー/Public Pivot。
東京在住、ときどき埼玉県小川町。

現在の概略プロフィール文

根底にあるのは、公共空間のあり方の変化と、多軸的な暮らし方の変化の促進。まちの中の不動産の使い方や、個人の暮らしの時間の使い方を、少しだけでもパブリックに寄せていきませんか?という投げかけです。

平たく言えば「暮らしたい未来を妄想して不動産の使い方を変えてまちのあり方を変えよう」「私たちのまちや仕事のやり方を少し変えることで新しい暮らしの選択肢を増やそう」

ずっと「Public Pivot(パブリック・ピボット)」という言葉を掲げつつ、しかし言語化には長らく苦しんできましたが、やっと少し見えてきた気がしています。「Public Pivot(パブリック・ピボット)」についてはまたあらためて記事にしたいと思います。



ここまで長々とした自己紹介をお読み頂いてありがとうございました!
こうして矢ヶ部に興味関心を持って頂いたのも、何かのご縁かと思います。

noteの投稿も増やしていこうと思っていますので、引き続きお読み頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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