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こんなに知らせたいのに……「出せなかった手紙」


わたしの横にはもういないあなた。宛先のないこの手紙をどこに出したらいいのかわからないけど……

この数ヶ月、あなたに知らせたいことがあり過ぎるほどあるのに伝えられないってほんとうにもどかしいよ。あの日の夕方、あなたが息をしなくなってから何が起こったのか。あなたこそいちばん知りたいでしょうね。そしてわたしは知らせたくてうずうずしてるよ。

永遠の別れとわかった瞬間からしばらくみんなで号泣したよ。途方にくれるわたしのそばで、そこにいた誰にとっても人生最大級の悲しみだったというのに、子どもたちはすべきことをてきぱきしてくれた。おかげであっというまにあなたの体を葬送(みおく)ったよ。

別れの数日前まで「カウンタートップの注文しなくちゃ。スコットに電話してくれよ」って言ってたよね。あなたが最期まで気になっていた建築中の家のキッチンカウンター。わたしたちの残りの人生を過ごすために、広大な丘の上に建てている家の完成を見届けられなかったことはさぞ心残りだったでしょうね。

あなたが消えてしまったあとは絶望したよ。あなたの夢なのにわたしが独りで住むなら意味もないと一度は断念した。でも思い直した。あなたが人生架けて設計したドリームホームなのだから、なんとか完成させてみせると。

決断したら、みんなができる方法を考えてくれてちゃんと前に進みだしたよ。あなたの希望どおり、キッチンカウンターは御影石になったからね。予算的にあきらめそうになったけど、「お父さんが望んでいたし、長い目で見て質をとろうよ。オレがなんとかする」とタローがあなたの願いを叶えたわよ。

これまで子どもたちを育ててきて、それなりに立派な大人になってくれてからは、親としての期待も責任も終わりだと思っていたよね。少なくともわたしは、巣立った娘や息子たちのことは遠くから見守ってさえいればいいと思っていた。

けど、あなたがいなくなってわかった。「遠くから見守っていれば」なんてわたしの傲りだった。驚きの逆現象よ。遠くから見守られていたのは、わたしたちのほうだったわよ。今、とってもそれをあなたに知らせたい。そして安心してほしい。わたしはあなたがいなくなってもちゃんと守られているし、家族みんなで助け合っているから。

いなくなってから気づいたことが多すぎて、それなのにもうあなたに伝えられないことがとっても歯がゆくて、こうしてこっそり書いて気持ちを吐き出すことしかできないなんてほんとうに残念。そしてもっと残念なのはあなたが設計した夢の家に、肝心のあなたがいないこと。今月中には引っ越せそうなのに。

でも、わたしがんばるよ。あなたが望んだこと「大家族がいつでも集まれる大きなリビングルームとキッチン」をこれからみんなで楽しませてもらうから。庭に現れるシカさんたちを眺めながらね。

このごろはいろんな思い出もよみがえってくるようになったよ。昨日も料理していたら、ふっとギリシャのグリファダで立ち寄ったシーフードレストランのことを思い出しちゃった。窓際で食事中だったおじさんと目があったというだけで、入ってしまったあのお店ね。アテネでタクシードライバーをしているというスキンヘッドのおじさんとフレンドリーなお連れの女性、なんとなく言葉を交わしギリシャのお酒Ouzo (ウーゾ)で乾杯。おじさんたちオススメのシーフードがどんどんテーブルに運ばれてきちゃって、動けなくなるほど食べちゃったよね。もう5年以上も前のことなのに、なぜ今ごろふわっと鮮明に思い出しちゃうのだろう?旅先での偶然の楽しい出会いのひとコマだったよね。

数日前には南スペインのモハカールに向かう途中に出会った親切なおばあちゃんのことも思い出したよ。ずっと記憶の隅においやられていたというのにあなたがいなくなってから、記憶の回路が壊れてしまったみたいに些細なことが脈略もなくあふれてきちゃって、こっそり苦笑しては懐かしんでいるよ。わたしたちだけが共有した思い出をね。

あなたの肉体が消えてしまった今は、わたしの記憶こそがわたしとあなたの生なのだと実感してるよ。世界じゅうを舞台にたくさんの思い出を作ってこられてほんとうにラッキーだったと思ってるよ。

「生きているうちにいっしょに体験した全てがわたしたちの人生」だったんだよ。これ子どもたちにも伝えなくちゃね。面と向かって唐突には言えないかもだけど「たいせつな人とたくさん時間を共有して自分のストーリーをためていくこと」は元気で生きている間にだいじにしてほしいことだよって。

あなたにはもう少し長生きしてほしかったけど、たくさんの思い出をわたしの胸に刻んでくれてありがとう。伝えられる話がたっぷりあるって幸せなことだよね。わたしのそんな話を笑顔で聞いてくれるステキな人が現れればそれもいいかもね。はっはっ。どうせ読まれない手紙、ペンを置くね。


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