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昔話分析 たら、れば

タラ・・・・タラ科の魚の総称だが、マダラのみを指すことが多い。マダラは、地方名ホンダラ、アカハダなどといい、全長1m以上に達するものもある。体色は淡灰褐色で、背面と体側に不定形の斑紋がある。日本海~北太平洋に分布。北方にいくほど浅いところにすむ。きわめて貪食(どんしょく)で、昼間は海底にひそみ、夜間活動して甲殻類、底生魚類を食べる。産額が多く水産上重要。肉量が多く惣菜用に喜ばれ、生や塩ダラの切身が広く出回っている。腹身と背身に分けて素干しにし細い棒状になった棒ダラや、塩をして干した干ダラなどもあり、棒ダラは京料理の芋棒(いもぼう)に欠かせない。その他、日本近海で獲れるタラのなかまには、スケトウダラ、コマイの2種がある。

レバー・・・・牛あるいは豚の肝臓をさす。蛋白質20%、脂肪4%、糖質2%が含まれ、ビタミンA、B2、B12、ニコチン酸なども多く、栄養価は高い。変質しやすいのですみやかに調理する必要がある。レバーペースト、レバーソーセージの原料となる。

 違う。たら、ればと言っても、タラやレバーのことではない。ここで言いたいのは、「もしこうやったら」、「もし言う通りにやっていれば」という仮定の話である。

 皆さんも一度は考えたことがあるのではないだろうか。子どものころに聞いた鶴の恩返し。おじいさんが部屋を覗かなかったら、その後鶴はどうなっただろう。また竜宮城で乙姫からもらった玉手箱を浦島太郎が開けなかったらどうなっていただろう。そんな疑問を解明しようとするのが本論文の目的である。そしてこの天竜にも、鶴の恩返しや浦島太郎に負けず劣らずの「たら、れば」の昔話がある。それが袖が浦物語である。

袖が浦物語

 今から千数百年以上も前の天竜市は、鹿島のあたりから南は波の荒い大海で、「袖が浦」(別名、岩田の海)と呼ばれていた。

 この袖が浦の西岸、船岡山(浜松市半田町)と東岸、匂坂(豊田町)を結ぶわたし船は一日に一回は通ることはできるけれども、それ以上は決して渡りきることはできないと言われていた。しかし何人かの船頭や若者は、

「そんなばかなこん、あるはずねえ。」

とばかりに船を出したが、さかまく荒波に船をひっくり返されて、みんな帰らぬ人となった。

「袖が浦には、おそろしい赤蛇神がいるそうじゃ。」

「赤蛇神は袖が浦の主だげな。」

 人々はそう言って恐れ、一日に一回以上は決して船を出さないようにした。東海道上り下りの旅人たちは、大変に困った。

 時に延暦十二年(七九三)、桓武天皇は、将軍坂上田村麻呂に、えぞ征伐を命じられた。家来を引き連れて都をたった田村麻呂は、やがて袖が浦の西岸、船岡山にやってきた。

 ここで赤蛇神のうわさを耳にした田村麻呂は、

「そんなばかのことが、あるものか。」 

と、これを意としなかった。

 さてその夜、将軍は夢の中で、岩水寺の薬師如来からあるお告げを受けたのである。勇気付けられた田村麻呂は翌日、おそれる船頭を励まして船を出し、難なく海を乗り切った。

 やがてえぞ征伐の大役を果たして、再び船岡山に着いた田村麻呂は、夕日が美しく映える袖が浦の浜辺に立って、じっと水面に見入っていた。その時どこからともなく近づいてきた一人の女。それはこの世のものとは思われぬほどの美しさであった。女はひざまづいて、言うのだった。

「どうぞ私を、あなたのそばにおいて下さい。」

 田村麻呂は女の美しさにひかれて陣屋に連れ帰り、玉袖と名づけて、大変にかわいがった。玉袖も心から田村麻呂につかえ、やがて身ごもった。

 まもなく産み月を迎えた玉袖は、

「今日より二十一日の間、どうぞこの部屋の中を見ないで下さい。」

 そう言って産屋に入った。

 けれども玉袖見たさ、我が子見たさの田村麻呂は数日後、とうとう待ち切れなくなって部屋をのぞいてしまった。

 するとどうであろう。中に玉袖の姿はなく、赤い大蛇がとぐろをまいて、うまれたばかりの赤ん坊の体をぺろぺろとなめていた。

「これは何としたこと。」

 思わず刀をつかんでとびかかろうとする田村麻呂より一瞬早く、大蛇はすーっと美しい玉袖の姿になっていった。

「私はこの袖が浦の主でございます。あなたの武勇に心ひかれ、おそば近くおつかえいたしました。かかる恥かしい姿をお目にかけ、我が命もこれまでにございます。この上は、末永くこの子の守り神となりましょう。どうぞこの子をお育て下さいまし。」

 はらはらと涙をこぼしてそういう玉袖を、田村麻呂は言葉もなく、見つめていた。

 やがてキラキラとあやしく光る二つの玉を、手のひらに乗せた玉袖は、

「これは私の命でございます。一つは子育ての玉、もう一つは潮干の玉、どちらもあなたがお困りの時、きっとお役に立ちましょう。」

 そう言い残すと袖が浦の波の中に、姿を消してしまった。

 海は前にも増して荒れるようになった。

 田村麻呂は子どもを俊光と名づけた。母、玉袖の残していった子育ての玉をなめて、俊光は大きくなった。

 一方、玉袖が身を投げた袖が浦は、怒り狂ったように荒れて、村人も旅人も大変に困った。

「そうだ。あの潮干の玉を・・・・。」

 田村麻呂は潮干の玉を、海深く投げこんだ。

すると不思議、それまで荒れくるっていた袖が浦の波は、みるみるうちにおだやかになり、あふれるほどの海水は、またたく間に引き潮となってかれていった。後に残ったのは、広々とした砂丘であった。(浜名、磐田郡西部、遠州平野)

 しかしその中央に、ものうげに南下する一つの川があった。天竜川である。

 田村麻呂は玉袖の霊をなぐさめ、減水を祈って、鹿島の地に椎が脇神社を、岩水寺には薬師堂を建立した。

 そして間もなく、京の都へ帰って行った。

 月日は流れ、今は八歳となった俊光であったが、母恋しさの思いは日ごとにつのり、ついに田村麻呂と共に、はるばる遠江の国に下り、椎が脇神社に参拝した。

 何百年も経たと思われる、椎の木のおい茂るみ社の前にぬかづいた俊光は、

「母上さま。俊光、京の都より、はるばるたずねてまいりました。あなたが実の母ならば、一目お姿を現し給え。会うて給え。」

と、手を合わせ、一心不乱に祈ること三日三晩・・・・。俊光の切なる祈りが通じたのか、やがてどこからともなく、玉をころがす美しい声。

「俊光、俊光・・・・。」

 俊光は、はっと目を開いてあたりをうかがい・・・・。

「ああ、母上さま・・・・。」

 やさしく美しい母の姿がそこにあった。

「ああ・・・・。お会いしとうございました。母上さま。」

 涙にむせんで、思わずかけ寄ろうとする利光の小さな肩を、父田村麻呂が、ぐっと引き寄せた。

「俊光、俊光・・・・。」

 玉袖は俊光の名を呼びながら、その姿を消していった。

 念願の母子対面を果たした俊光は、やがて父の後を継いで将軍となり、母の姿を自らの手で菩薩像に刻んだ。

 これをおまつりしたのが、岩水寺の「子育て地蔵尊」であるという。

 遠州の国の中央を滔々と流れる天竜川。その流域の大氏神として、鹿島椎が脇神社におまつりされている大明神は、その昔、袖が浦の主といわれた赤蛇神であった。赤蛇神は美しい心を持ったほとけさまとなり、今もこの袖が浦一帯を、しっかりお守りになっているという。

 早速本題に入るが、田村麻呂が玉袖の「今日より二十一日の間、どうぞこの部屋の中を見ないで下さい。」という願い(忠告)を守っていたら、この昔話はどうなっていただろう?親子共々幸せに暮らしたのだろうか?誰もが疑問に感じる部分である。

 この袖が浦物語は蛇と結婚する昔話である。日本の昔話をまとめた日本昔話大成では「本格昔話 二婚姻・異類女房 一一〇蛇女房」に分類されており、実際に袖が浦物語(題名までは記載されていないが)も集録されている。

 それでは蛇女房の概観を見てみよう。

 1ある男が蛇を助ける。女が訪れて来たので結婚する。2妻は妊娠する。子供を生むところを見てはならないといって産屋に入る。3夫がのぞき見をすると正体は蛇。妻は夫が約束を破ったことを悔やみ、子供になめさせると育つといって片眼をくり抜いて与えて去る。4眼玉を領主にとられる。5玉をもらいに行くと片眼の女が現れて、もう片方の眼玉を与える。これもとられる。6a再び行くと女は盲目になったから鐘を撞いて朝夕の刻を知らせてくれと頼む。またはb洪水(地震)を起こして、玉をとった者に復讐するから逃げるようにすすめる。

 袖が浦物語とは異なる部分は多いが、結婚、妊娠、見てはならないという忠告、のぞき見、眼玉という部分は共通している。ここでポイントとなるのは、「子供を生むところを見てはならない」と忠告するところである。この忠告は一方的なものではなく、必ず主人公が承諾し「約束」という形になっていることは更に重要な部分である。同じように忠告されたのもかかわらず、約束を破ったおじいさんの元から鶴は去ってしまい、玉手箱を開いた浦島太郎はおじいさんになってしまった。袖が浦物語では忠告を守らなかった田村麻呂から玉袖が去ってしまった。

 どうして人間はこうも約束を破るのか。人間は約束を守ることはできないのか。

 蛇女房に分類される昔話は日本全国に類話が存在し多数のパターンがあり、前述した日本昔話大成の他にも、日本全土の昔話を集大成し収録話数6万話を誇る日本昔話通観にも多くの蛇女房が収録されている。日本全国の蛇女房をみていくことで、疑問解決に繋がると思う。

 早速日本各地の蛇女房をみていくことにする。そうすると、田村麻呂は玉袖の二十一日の約束をわずか数日で破ってしまったが、もう少し長い時間約束を守った人間もいることが判明した。その中から、長崎県下県郡豊玉町鑓川で採取された蛇女房を紹介しよう。

 子供が蛇をいじめているので男が助ける。しばらくして男のところにきれいな娘が「女中にしてくれ」と来て、そのうちに夫婦になり子供もできる。妻が「外から帰ってきたら、声をかけてくれ」といつも言うので、男はふしぎに思い、こっそり帰ってのぞいてみると八畳間に蛇がとぐろを巻き、まん中に子供を置いて遊ばせている。男が声をかけると女房は「助けられた蛇だ。子供が泣いたらこれを口に含ませて育てよ」と目の玉を一つ残して去った。

 この蛇女房には、「子供を生むところを見てはならない」という忠告はない。しかし産んだ後、子供を育てる段階で「外から帰ってきたら、声をかけてくれ」という忠告があるところから、「子供を生むところを見てはならない」という忠告もあったと思われる。そしてこの男は「子供を生むところを見てはならない」という最初の忠告は守ったのだろう。約束を守るという観念から言えば、将軍田村麻呂よりも随分立派である。

 しかし次の約束「外から帰ってきたら、声をかけてくれ」という約束は守ることができなかった。男は疑問を感じたからだ。一度気になったら確かめずにはいられない神経質な男なのだろう。

 次に福岡県山田市上山田で採取された蛇女房を紹介する。

 別当の土手で美しい娘に難題をふっかけ、泣かせている悪者がいた。正直者の茂助がそこを通りかかり、悪者に酒代をやり、娘を救う。茂助はその娘に一目ぼれする。家に帰ってみると、その娘が門口に立ち、お礼を言って「嫁にしてくれ」と頼む。茂助はその娘を嫁にし、子供も生まれ、幸せな日々を送る。その女房が茂助に「家の内に入る前にせきばらいをするように」と頼む。茂助は女房が子供に乳を飲ませる姿を見せたくないのだと、感心していたが、ある日せき払いをするのを忘れて入ると、うわばみがとぐろを巻いて子供に乳を飲ませている。女房は正体を知られたので茂助に自分の目を渡して、「子供が泣くとしゃぶらせてくれ」と頼んで、蛇の姿となって別当の堤に帰る。茂助は子供が泣くとその目玉をしゃぶらせ、堤に連れていくと堤の底から子守り歌が聞こえてきた。

 長崎県の蛇女房と同様に最初の約束「 子供を生むところを見てはならない」は守ったのだろう。しかし「家の内に入る前にせきばらいをするように」という次の約束は守ることができなかった。茂助はせき払いをするのを忘れてしまったのだ。いいかげんな性格なのだろう。長崎県の男は神経質で、福岡県の茂助はいいかげん。どちらにしても最初の約束は守ることが出来たが、次の約束を守ることは出来なかった。

 将軍田村麻呂は一回戦敗退、長崎の男と福岡の茂助は二回戦敗退といったところか。

次は山形県上山市楢下で採取された蛇女房である。

 楢下の金山川畔に住む働き者だが貧乏な若者、仲兵衛が、山で落石にはさまれた小蛇を助ける。数年後に、洗濯に来る美女と川で会うようになり、妻にする。男女二人の子ができたある日、男が山仕事の途中に腹痛で家にもどると大蛇がいる。それは助けられた小蛇で、「恩返しに来ていた」と言う。蛇は二児に、「東の淵へ行くから困ったことがあったらこい」と言い置いて家を出される。男はそのまま重病になり、占い師が、「宝生の玉で撫でれば治る」と言うので、子供が蛇に相談して玉を一つもらい、父の体をこすって治す。奉行所の役人が聞いて来て玉を取り上げ、「対のものだから、もう一つ出さなければみな殺しにする」と言う。子供がまた蛇に相談すると、玉は蛇自身の目玉で盲目になるが、残ったほうも渡す。玉を受けとった役人は嵐にあって奉行所もろとも飛ばされ、玉は東の空に昇って二つ輝く宵の明星となった。淵のあたりには盲蛇しかいなくなって、「座頭淵」と呼ばれ、蛇の幻に悩まされた上山の殿様がそこに供養碑を立てた。

 この蛇女房では男女二人の子が生まれている。ここでは双子という表現がないことから、おそらく一人一人生まれた兄妹なのだろう。長崎と福岡では一人生まれた後に約束が反故にされたが、上山市では二人目まで約束が守られた。しかもたまたま腹痛でもどった際に大蛇の姿を見ただけで、覗き見したり疑問を持った後の行動ではないことが特徴的である。もし腹痛が起きなかったら、上山市の仲兵衛は大蛇と暮らし続けたのではないかと思う。

 しかしながら、蛇と人間は一緒には暮らせない。それには判然とした理由がある。山口県大島郡東和町長崎で採取された蛇女房を紹介する。

 蛇が女に化けて里へ出て嫁になる。男は美女を嫁にして喜んでいたが、あるとき嫁の正体を見てしまう。嫁は子供を残して山奥に隠れる。男は困って、子供を連れて山へ行き、子供がかわいいから蛇でもいいから帰ってくれと頼む。蛇は「神に禁じられていることをしたからには人里へは帰れない」と言い、自分の目の玉を一つくり抜いて男に渡し、「これをなめさせると乳のかわりになるから」と言って山奥へ入ってしまう。男がその目の玉をなめさせて子供を育てていると、殿様が聞いてそれをほしがり、宝物にすると言って取りあげてしまう。男はまた蛇のところへ行って事情を話すと、蛇は殿様に仇討ちをしてやると言い、もう一つの目の玉をくり抜いて男に渡し、土の底へ隠れる。そののち大地震が起こり、日本は九百九十九の島々に割れる。そのときある鍛冶屋は鎌の刃を焼こうと土を掘っていて底を湯が山へ向けて流れているので、異変に気づいてのがれる。またある老婆は鶏が土の底を湯が流れたため朝が来たと勘違いして夜なのに鳴きだしたのに異変を感じたので老婆だけ逃げて助かり、他の人々は死んでしまった。島原(長崎県)での話とする。

 島原の男は「子供がかわいいから蛇でもいいから帰ってくれ」と願う。筆者としては、嫁が蛇だとしても、それを承知で一緒に暮らしたいというならばいいのではないかと思う。それに対し蛇は驚きの回答をする。「神に禁じられていることをしたからには人里へは帰れない」というではないか。異類婚は人間や蛇の意思で決めることではなく、神様が決めるということである。神様が決めたことは、人間や蛇は従わなければならない。

 次は滋賀県近江八幡市で採取された蛇女房である。

 昔、滋賀の里に美しい若者が住んでいて、毎日琵琶湖の魚をとって京都へ売りに行く。もうかれば近所の子供たちに飴を買ってやり、魚が売れ残れば近所の老人たちにやる。いつの頃からか美しい娘と親しくなり、夫婦になって子供ができる。ある日、妻が、自分は琵琶湖の竜神の化身で、神に願って人間にしてもらっていたが帰らねばならないと泣きながら告げ、湖へ沈む。夫は昼間はもらい乳をし、夜は浜へ出て妻を呼ぶと、妻が現われて乳を飲ませる。ある時、妻は自分の右の目玉をくりぬいて、子供になめさせるようにと言う。子供が泣くとなめさせていたが、なめ尽くしてしまうと、妻が左の目玉を与え、両目がないと方角がわからないので、毎晩子供を抱いて三井寺の釣鐘をついてくれと頼む。それから、毎晩三井寺では晩鐘をつくようになったという。

 この蛇女房では約束については言及していない。しかし省略されているものと思われる。滋賀の若者は素晴らしく、約束を破るようなことはしない。律儀な若者である。しかし約束が破られないことに対して、妻が自ら正体を明かすのだ。そのままにしていればずっと幸せに暮らせるのに、自ら秘密を告白するとは、人間よりも人間らしい一面を見せている。

 次は山口県大島町橘町油良で採取された蛇女房である。

 蛇が女に化けて男に嫁入るが、正体を見破られて、子供を残して山奥へ隠れる。子供を残された男は困り、山へ行って蛇にもどってきてほしいと頼む。蛇は、人間に恋した罪を神様から許してもらえるように望み、自分の目の玉を一つくりぬいて男に渡し、「乳のかわりに子供にねぶらせてほしい」と言う。男がその目の玉を家に持って帰り、子供にねぶらせているが、やがて殿様がその話を聞き、目の玉を取りあげてしまう。男は再び蛇の所へ行き、その話をすると、蛇はもう一方の目をくりぬいて男に渡し、「今すぐ山崩れが起こるから逃げるように」と男に言う。男が急いでその場を離れると大地震が起こり、大水が吹き出し、そのまわりが四十八の島になる。以後、「肥後のかわらけ島原沖で、まぎりゃすれどもままならぬ」という歌がうたわれた。

 一緒に暮らすことができなかったということは、結局、神様は許さなかったということか。やはり神様が禁じていることを覆すことは難しい。

 次の岡山県笠岡市小飛島で採取された蛇女房では、人間に化けることができる期間が記されている。

 乳飲み子を残して嫁が死に、貧乏な男は毎晩もらい乳をして歩いている。男は子供が白蛇をつかまえていじめているのに出会い、銭をやって蛇を助ける。その晩、女が訪れ、「私は子供に死なれて乳が張って困っている。この家の赤子に乳を飲まさせてくれ」と頼む。子供に乳を飲ませると女は「子供の守りをさせてくれ」と世話をさせてもらう。しばらくして男が女に、「嫁になってくれ」と言うと、「嫁にはなれない。私は大蛇で人間には一年だけしか化けられない。子供が泣いたら玉をねぶらせなさい」と玉を置いて帰る。玉は蛇の目玉で、ねぶらせると子供は泣きやむ。この話を聞いた将軍が「玉を献上せよ」と言うので男は思いあまって池に行き、女の名前を呼び事情を話すと、「代わりの玉をやるから一つは献上せよ。しかし私は目が見えなくなり、昼夜がわからないので明け六つ、くれ六つに三井寺の鐘をついてくれ」と頼む。男は三井寺の鐘つきになり、子供はのちに日本一の学者になった。

 この昔話は蛇女房に分類されているが、そもそも結婚さえしていない。異類婚としてはどうなのかという疑問が残るところであるが、非常に重要なことが記載されている。「私は大蛇で人間には一年だけしか化けられない」というのだ。一年というのは象徴的な数字であり、化けられる期間には限りがあるということを言っているのだ。前述した上山市楢下で採取された蛇女房では男女二人の子が出来たとの記載があったり、北津軽郡金木町喜良市で採取された蛇女房には「子供が生まれ二年がたったある日」との記載があるため、実時間において一年以上人間の姿をすることも可能である。それでも限りがあるのだ。

 また、袖が浦物語の玉袖もそうだが、蛇の姿を人間に見られることを恥かしいと思う心理が描写されている蛇女房もある。こちらは長野県小県郡で採取された蛇女房である。

 女嫌いの男が山奥で暮らしていると、美しい女が来て、「食物もいらないから下女に使ってくれ」というので置く。女が「家に行ってきたい」と言うので、男があとをつけると大池に入り、赤ん坊を生んで岸で眠る。男が近づくと「恥かしい姿を見られたのでもう帰らない。子供だけ連れ帰ってくれ」と言い、「これで養ってくれ」と赤い玉をくれる。赤ん坊は成人して力持ちになり、相撲取りとして殿様に抱えられる。この男の脇には蛇の鱗があり、「蛇の子だ」とうわさされた。

 蛇は、人間に蛇の姿を見られることを恥かしいと考えている。蛇は爬虫類であり、夫から見た妻の理想像や子供から見た母親像から相当に逸脱している。蛇は、このような期待に応えられない自分を恥かしいと感じている。多数の蛇女房を読む限り、能力的には問題ないが、外見的な問題として恥かしいと感じている。自分の恥かしい姿を隠しながら、それでも最低限の母親の役割を遂行するために、自分の目玉を差し出す。目玉を差し出せば、目が見えなくなる。それと引き換えになっても恥かしい姿を見られたくないのだ。そのため滋賀県近江八幡市で採取された蛇女房のように、蛇の姿を見られる前に自ら告白する蛇もいる。蛇にとって能力よりも姿形の方が大変重要だと感じている。よって恥かしいという絶対的な感情が沸き、これに支配されている。

 袖が浦物語を含めて9つの蛇女房をみてきた。まとめると、次の通りとなる。

 ①そもそも異類婚は神様が認めていない。②人間や蛇が相手の素性が分かった上での婚姻だとしても神様は認めてくれない。③蛇が人間に化けられる時間には限りがある。④時間一杯まで人間に化けられる蛇は少ない。⑤多くの場合、人間に化けている途中で、人間が約束を破ることにより破綻してしまう。⑥恥かしい姿を見られることを蛇は一番恐れている。よって蛇と人間は幸せに暮らす続けることはできない。

 田村麻呂は最初の段階で、玉袖の本性を見て破綻してしまった。しかしながら、玉袖が俊光を産んだ際に破綻しなくても、次の段階で破綻していただろう。仮に最後まで玉袖の本性を最後まで知らなくても、破綻することになる。それは神様が認めていないからだ。いずれ玉袖が田村麻呂に本性を明かし、田村麻呂の元から去ることになるだろう。たら、ればという昔話の疑問は、同じ昔話が解決してくれた。

 昔話の時間軸からすれば最近の事例になるが、お笑い芸人ダチョウ倶楽部には「押すなよ、押すなよ、絶対押すなよ。」というギャグがある。プールの端に立って、「押すなよ」といいながら、傍にいる人に身体を押してもらいプールに落ち、ずぶ濡れになるというギャグである。ダチョウ倶楽部の「押すなよ」は、裏では「押せよ」と言っている。蛇は「覗くな」と言うことで、人間に「覗け」と促している部分があるのだろう。中には約束を守る律儀な人間がいたり、「覗くな」や他の約束に対して何の疑問を持たない人間もいる。子を産む際に部屋を覗くなと言ったり、子が産まれた後も、部屋に入るときに声をかけさせたり、咳払いをするように言うのは、蛇側から見ると、「覗き見しろよ」と言っているのだろう。蛇は、神様が異類婚を認めていないことを知っている。どこかで破綻させなければならない。そのために蛇は人間の心理を上手く使った。禁止をすれば興味が沸く。そのため人間は禁止を破るのである。

 最後に、田村麻呂が最後まで約束を守ったならば、袖が浦物語は大きく改変されることになるだろう。

 田村麻呂は玉袖との約束を守り、玉袖は俊光を産んだ。その後玉袖は次の子を身篭った。まもなく産み月を迎えた玉袖は、「今日より二十一日の間、どうぞこの部屋の中を見ないで下さい。俊光を産んだ時も約束を守ってくれたから、今度も信じています。」 そう言って産屋に入った。田村麻呂は俊光が生まれた時と同様、玉袖との約束を守り部屋を覗かなかった。生まれた子は器量が良い女の子で玉姫と名づけられた。親子四人で幸せに暮らしているさなか、ちょうど俊光の元服が過ぎた頃のこと、玉袖がそっと田村麻呂へ言った。「私はこの袖が浦の主の蛇でございます。あなたの武勇に惹かれ、神様に願い人間にしていただきました。しかし人間に化けていられる時間はもう長くはありません。蛇にもどった瞬間、あなたや俊光、玉姫に恥かしい姿を見られることになります。恥かしい姿を見られる前に、あなたや俊光、玉姫のもとから去ります。」そう言い残すと、くり抜いた自身の目の玉を田村麻呂へ渡し、袖が浦の波の中に、姿を消してしまった。その後、袖が浦は荒れ狂うことなく穏やかな海になりました。

 田村麻呂は将軍の名にふさわしく、玉袖との約束を最後まで守った。しかし神様が決めた運命には抗えなかった。田村麻呂と玉袖が出会った瞬間、別れることも同時に決まっていたのだから。

文献

ふるさとものがたり天竜 上阿多古草ぶえ会

日本昔話大成 関啓吾 角川書店

日本昔話通観 稲田浩二、小澤俊夫責任編集 同朋舎

百科事典マイペディア

ブリタニカ国際大百科事典小項目事典

昔話と日本人の心 河合隼雄 岩波書店


2019年12月 天竜文芸第10号に掲載されたものを再掲しました。

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