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You go your way; I go my way.

※ これは、藤原華さんの企画「#なぜ私は書くのか」応募作品です!


序文

マネージャーさん、クリックしてくれた??
それじゃ、行くよっ!

先日、私はnoteを始めて約1年半で、「有料記事」を「初購入」しました。
それが、これ。

どうしてそうなったのか、読んでどう考えたのか、はこちら。

著者は、編集者の藤原華(ラスボス)さん。
なんて言うのか、心の底から「この人と仕事がしてみたい!」と思わせてくれる方。

文章の一つひとつから、「仕事」と「書き手」、そして「読み手」に対する「愛」が感じられる。

「ちょw 大袈裟過ぎwww」
「礼賛記事かよ!」

と、思った方、無料部分だけでも、読んでみたらいいよ。
それだけで、すごく、すごーく、ためになる。

それも、すごいボリュームだからね?
私、読んでて「え・・・これ、有料入っちゃってるんじゃ・・・」って、不安になったもん。

そして、華さん本人にものすごく興味を持って、他の記事を回遊してて、見つけました。

それが、これ。

ちょっと待って。
これ、応募すれば、自動で「プロの編集者」(しかも、超絶現役!)の目で、自分の文章を見てもらうことができるってやつなんじゃない??

え、しかも、賞金まで出るの???

参加しない手は、ないよねぇ。
だって、そうしてもらいたくて、「創作大賞」がんばってたんだから。
(しかも、創作大賞終わってからの〆切なんだよ? この気遣い、もはや愛でしょ!)

もちろん、選考されなければコメントなんかはもらえないだろうけど、「読んで」はもらえそう(ラスボス本人がそう言っている)。

それでなんにも選ばれなかったら、自分の文章を見直す機会にもなるし、こちらには、メリットしかないのよ。どうなろうとも。


ところが、ね。
これから応募予定の方、この記事、絶対読んだ方がいい。


ラスボス自ら、このコンテストの裏側を書いている。

「えっ? いきなり手の内明かすの!?」

と、最初は思いました。


簡単に言うと、「ラスボス」が書いたこの記事を超えないと「ダメ」。
しかも、その前に「中ボス」の中間審査がある。


こう書くと簡単だけど、実際、相当「エグい」よ。
ぶっちゃけ、「果たし状」なんですよ、これ。

でもまあ、これくらいできないようじゃ、「その先」はないよ、って言うのは、よくわかる。

よぉーし、やったろうじゃん。

と、いう訳で。
本文、始まります!

マネージャー(中ボス)さん、出発準備はOK??

なぜ、私は書くのか???


最初に思ったのは、

うーん、なんでだろう・・・?

漠然とし過ぎちゃってて、すぐに「これだ!」って言えるものがない。
それくらい、「書きたい理由」がある。

よし。ならば、この機会に、決めようじゃないか。
「自分の一番」の、書きたい理由を。


「金」のため

いきなりかよっ! ヤラしいなぁ!


って、思われても、やっぱり資本主義社会に生きる以上、絶対に、避けて通れない条件のひとつ。


だって、生活がままならなかったら、創作活動なんてできないもん。
「きれいごと」だけで、腹は膨れない。


連載持てて、書籍化されて、コミック化も、アニメ化(実写化は、ちょっと考えさせて。)もされたら、ヘタしたら、孫の代まで生活の心配から解放される可能性まで、あるよ?

うん、やっぱり、外せないね。


あ、マネージャーさん、引かないでください!
ここから、ここからですよ!

夢の実現


「本を出す」
って言う、夢があります。

今は、電子書籍とか簡単に出せるし、自費出版っていう手もある。
でも、そうじゃないんだよねぇ。

出版社から「本、出しませんか?」
って言われて、「紙の本」が、書店に並ぶ。

それを、書店に足を運んで、自分で手に取る。

何も知らないレジの方に、ニヤニヤしながら本を手渡す。

店員さんは、「なんだ、この人?」と不審に思う。

で、あとからテレビかなんかで、

「あっ! この人っ!!!」って、気が付く。


これ、やってみたいんです。


全然売れなくて、自分で買いまくって、親戚友人に配る。

機会があるたびに、なりふり構わず宣伝する。

参加者数人の講演会で、「今ならサインしますよ!」って言いながら、必死に宣伝する(もちろん、誰も買わない)。


なんなら、映画とかでたまに見る、これらまで、やってみたい。


人前に出たい


私、自己顕示欲そこそこ強いです。
自己肯定感も、それなりに。

褒められるの、大好きです。
(叱られるのも嫌いじゃありません。理不尽なの以外。)
人前で話すのも、まったく苦になりません。

なんかの授賞式で、精一杯おしゃれして、キレイなお姉さんの紹介(かっこいいお兄さんでもいい)で壇上に上がり、トロフィー片手にコメントを言う。

やりたい! ものすごく!


別に、なんでもいいんです。
くれるなら、ノーベル賞でもアカデミー賞、グラミー賞でも、金メダルでもいい。

でも、平和に貢献してないし、演技も音楽も接点ない(才能ない、とは言わない)し、世界レベルの運動能力もない。

「何か受賞する可能性」が一番身近にあるのは、小説を書くこと。
それすら、ままならないのが現状だけど。



実は、創作大賞に4本の長編小説を応募してますが、もう、授賞式で話すコメントを、それぞれに決めてますからね。

気が早い! って思うでしょ?
でも、「そういう自分」をイマジネーションするって、実はとても大切なことですよ?


そう考えると、学生時代は良かった。
ちょっとしたことで、全校集会で壇上に立てた。

そういう活躍0でも、卒業式は出席さえすれば壇上に上がれる。
うん、良かったなぁ。 

どっかの大学、入り直すか!?


日本語が上手くなりたい


日本語って、すごいんです。
世界的にも、習得の難しい言語です。

だから、「日本人は全員すごい」という図式が成り立ちます。言語学的には。

考えてみて下さい。
英語、アルファベット26文字でOK! 大文字小文字筆記体あるけど。
キリル文字33語(ロシア版)、ハングル24字。

日本 ひらがな50個 カタカナ50個 漢字2,136個(常用登録されてるものだけで)ご丁寧に、ローマ字まで、あるよ??


漢字を輸出した中国で使われてる漢字の、実に8割が、日本から逆輸入された漢字らしいですからね。


それまで中国になかった漢字が、中国にできてるそうです。
それらの漢字抜いたら、今の中国では生活がままならないそうですよ?

もはや、「和字」でもいいレベル!

これだけで、まず、すごいでしょ??


で、表現の豊かさ。
英語で、「雨」はrain

豪雨でも、霧雨でも、小糠雨でも。
五月雨でも、春雨でも、梅雨でもね。

まだまだ、あるよ?? 雨だけで。


私的に、一番すごいと思うのは、「主語がなくても通じる」こと。
だって、「主語」だよ?? 「主な」「語」なのに、なくても通じるとか!

機関車トーマスで、機関車なしの客車だけでトーマスって、わかる??
アンパンマンの顔のアンパンなくて、アンパンマンって、わかる??
(これは・・・服装でわかるかも・・・)

「それ、取って」で、通じる国なんですよ、日本。
海外経験ある方なら、そのすごさがよくわかるはず。他の国では、まず有り得ないから。


そして、「小説」は、そんな日本語を惜しみなく、ふんだんに使えるメディアの一つなんです!!

日本人として生まれて、日本語を使った作品で、「世界一」になりたい。
そのために、もっともっと、日本語が上手になりたい。

どうするか。
とにかく「使う」こと。


日本語も、刻々と変化してます。

子供の頃の漢字テストで「出生率」は「しゅっしょうりつ」と書かないと、〇がもらえませんでした。

今では、テレビ局のアナウンサーでもニュース読む時に「しゅっせいりつ」って言います。


「間違って使用されてるうちに、それが定着したので、それでもいいことにした」
らしいです。


アバウトでしょ??
この辺りも、日本人らしくて、私は好き。


新語もぞくぞくと生まれてるし、とにかく「使わない」と、あっという間に置いて行かれるんですよ。


今の日本語を、紫式部や清少納言が聞いたら、なんて思うでしょうね?
「趣がない」とか、言われるでしょうか??


ん?・・・これ、小説のネタになりそうな・・・。


活字離れを何とかしたい


なんか、高尚な理由になってきました!

「活字離れ」が世間で言われ始めて、「読めるけど書けない」って言う人が、どんどん増えているみたいです。

つまり、前述の通り世界有数の言語である日本語が、

「どんどん衰退している」

と言うことです。

なので、みなさんの「読んでみよう」「書いてみよう」を刺激したい。

かく言う私も、多感な時期に隆慶一郎先生の作品に出会い、そこからまずは時代小説にハマりました。

「鬼平犯科帳」「眠狂四郎」など。

そこから「吉川三国志」を経て、「ドラゴンランス」「指輪物語」と来て、
カッスラーやトム・クランシー・・・と進んで行くのです。


人間は視覚に頼る生き物なので、活字を追うと、自然とその情景を映像化しようとします。

そうすると、想像力、ひいては創造力が鍛えられる。

で、頭に浮かんだ「映像」を形にしたくなる。


私は、本当は漫画家になりたかった。
一番ストレートに、私の「脳内映像」を再現できる気がしたので。

でも、壊滅的に絵心がありませんでした・・・。
一応、6年は絵の勉強しましたけど、

「6年でこれなら、自分の描きたいタッチに到達するのに、あと20年は掛かる」

と思い、時間効率的に無理だな、と思って諦めました。

そして、「小説家になろう」と思い立ちました。


私の夢の一つは、挫折から始まったんです。


実は、小学校高学年の時分から、私は「プロ」でした。
読書感想文を、最初は100円で、請け負っていたのです。

ノートに原稿を書いて、それを渡してました。

そのうち、直接原稿用紙に書くようになりました。
依頼主の字体に合わせることまでして。


立派に、偽造ですね。


その時は、感謝もされたし、こちらは儲かるし、未提出で先生が困ることもないし、いいことづくめだと思ってました。


でも、冷静に考えてみれば、私は少しの報酬のために、「その子の書く機会」を奪っていたんです。


中学生の時でしたが、うちのクラスだけ、国語のテストの平均点が、他のクラスより20点近く、低かったことがありました。

数学も、社会も、英語も平均以上なのに、国語だけ。


担任の教師が、「なんで国語だけ~」と不思議そうな顔をしていた時、私は血の気がサーっと引いて行くのを感じました。


その頃には、読書感想文だけでなく、弁論大会の原稿だとか、何かやらかしたときの反省文だとか、そういう、こまごましたものまで引き受けるようになっていたので、「クラス全体の国語力」が下がっていたんです。


さすがに、「ヤバい」と思いました。
高校受験も囁かれる時期に、平均点が20点も他より低いとか、ものすごくヤバい、と。


それが原因で高校受験に失敗でもしたら、私はその人の人生に、とんでもなく悪い影響を与えてしまう、と。


それで、文章の請負を止めました。


この時、「些細なこと、と思っていたことの影響力」を痛感した、と言えます。


なので、たとえ私一人の小さな影響力でも、そのうち日本全体の「活字離れ」を止めることができる、と信じています。


私が「書き続ける理由」の中には、この時の贖罪の意味も、あるんです。


日々に疑問(刺激)を与えたい


人間って、動物の中でもいろいろ特別で、「好奇心を満たすためなら命も惜しまない」動物なんですよ。

そのおかげで、新大陸も発見できましたし、月にも行けました。
その時の技術が、今の生活の「基礎中の基礎」にあるのは、疑いようがありません。


言い換えれば、その時の「好奇心」が、現在の文明発展に大きく寄与している、ということです。


好奇心の多くは、「なぜ?」「なに?」「どうして?」から始まります。

私は、作品を通じて、その3つを読み手に与えたい。


私の作品には、様々な「仕掛け」がしてあります。

まず、「現実と虚構が入り交じっている」ということです。

小説なら、当たり前。

そう思った方、私の作品、読んでみて。
どこまで「真実」で、どこまで「虚構」か、全部当てられたら、すごい。



たとえば、「わたなべなつのおにたいじ」では、実際に出土した「巨大蛇行剣」が作中に出てきます。


これは、事実です。
実際に、出土しています。

でも、それが「鬼の持ち物で、鬼の死後、その魂を鎮めるために一緒に埋葬された」は嘘です。私の作り話。


読み手の中には「???」となる方もいるでしょう。

「え? これ、どこまで本当で、どこまで嘘??」

と。


そうなったら、その人は自分で調べずにはいられないはず。
その結果得られた知識は、読み手の「知的欲求」を満たし、「知識」として定着します。

ここが、私のやりたいこと。


「疑問に思い、調べてみて、知識とする」


さらに、何かの拍子に、そのことを誰かに話す。


「なあなあ、知ってる? これってさぁ」


そうです。人間は、知り得た知識を使いたがる(ひけらかしたい)生き物でもあるのです。


よくいますよね?


武勇伝大好きな、おじさま、とか。
頼みもしないのに、ハイブランドの解説してくれるお姉さま、とか。


言われた方は、それが知らない知識で、さらに、そこで知りたい、と思えば、新たなムーブメントを起こすワケです!

私の本を手に取る!!

売り上げが上がる!

私、儲かる!!(出版社もね!)

あれっっっ???

結局、金のためかいっ!


と、まあ、後半の方は冗談(半ば本気)としても、このムーブメントが徐々に大きくなって、ブームが生まれるわけです。


その他にも、「あえて間違った表現を使う」こともあります。

例えば、これは「W.I.A.」ですが、

息も絶え絶えに、マールが言った。マールは着いていくだけで精一杯だった。荷物も荷車に乗せ、鎧を着ている訳でも武器を持っている訳でも・・・

「W.I.A.」1-2-①より

ちょっとおかしいところがあるの、分かりますか??



普通なら、気付かないか、「ぷふっ! 間違ってやがる!」と流すか、ですよね??

「マールは着いていくだけで」

の「着いて」が、使い分けが難しい表現なんで、普通は「ついて」と書くのが一般的だと思います。


でも、あえて「着いて」を使ってます。


マールが、時に遅れながら、でもそのたびにがんばって、追い着いている情景を表現したかったので。


遅れるたびに、一行の最後尾に「到着しては、また離される」だから、「着いて」です。


これが、ぴったり遅れずに付き従っているなら、「付いていく」なんでしょうけど、そうではないので。


ちなみに、「人」についていく場合には「蹤いていく」という漢字があるんですが、常用外ですし、そもそも読めない方がほとんどでしょう。


このあたりは、「小説」と言うジャンルだからこそ許される表現だと思います。


これがニュース記事なら、私も「ついていく」と書くと思います。
「正確に」が、ニュース記事の絶対条件だと思うので。


なんとなく、「絵画」と「写真」の違いと、似ていますよね?
「小説=絵画」「ニュース=写真」、そう考えると、腑に落ちませんか?


こういう表現ができるのも、「日本語を使う、日本人同士だから」だと思います。私の文章が英訳されたら、面白味が減ってしまうだろうなぁ、と書きながら、いつも思っています。


この部分に気が付いて、きちんと指摘して下さる読者の方がいました。
上記の解説をして、ご納得していただけたかな、と思います。

こういった指摘を嫌がる方もいるでしょうが、私は、涙が出る程に嬉しかったです。


もう、ほんとに、書き手としては、これほど嬉しいことはないです!


まず、「きちんと読んで頂いている」ということ!
noteって、やっぱり、「お付き合いのスキ」がほとんどじゃないですか。


おそらく、最後まで読んで下さる方なんて、そうそういないんですよ。長編小説っていうジャンルは、特に。


それを否定しているわけじゃありません。
私もそうですし。


通りすがりでも、お付き合いでも、スキはスキですから、とても嬉しいです。


とは言え、「読んで欲しい」と思って、時間を作って、頭を捻って文章を生み出しているので、そりゃあ、読んでもらえた「スキ」の方が嬉しいに決まってます。

その上で、きちんと「コメント」を残して下さり、「ここ、間違えてませんか?」って、教えて下さる!


もはや、神です!
神が降臨した、と思いました!


こういった読者が、一人でもいる限り、やはり絶対に手は抜けません。
画面の向こうに、「神様がいるかも」って思ったら、そりゃあ、そうなりますよね。



そうそう、脱線ついでで、もう一つ。
「創作大賞」と併せて、「創作大賞感想」っていうコンテストもあるじゃないですか。

でも、あれって、イマイチ盛り上がりに欠けてると思いませんか?
もしかして、私みたいに「創作大賞の〆切後に書く!」って言う方がいるのかも知れませんが、それにしても、

創作大賞2024 応募数 89,849件
創作大賞感想 応募数   1,789件
(7/22 12:00現在)

は、寂しい。

「感想」も、10名程度が選出されて、授賞式にも出られるんですよ?
それなのに・・・。

これってつまり、「感想書けるほど読んでる(読まれてる)作品がない」ってことだと思うんですよね。

まあ、書く方が忙しいから、読んでる暇がない、って言われればそれまでで、私もその一人なんですけど、でも、それが理由だとすれば、「内輪の大会」ってことじゃないですか。

外部の方が、読みに来られていない。

これは、ヤバいですよ?

外向きに発信してるつもりで、実はあちこちに反射してるだけで、外に出られていないってことの、現れじゃないでしょうか?

この先の運営事情にも、暗雲垂れ込める事態だと思います。


もちろん、個々の作品のレベルを上げる、ってことは大切です。
良い物は、局面打開して飛び出していくでしょう。


でも、他の手立ても考えた方がいいですよね。
せっかく、日本でも有数の「大賞」まであるメディアなので。

私からの提案が一つ。


「しおり機能」付けましょう!


読んでて思うんですけど、noteって、いつ読むか、っていったら、やっぱり「空き時間」じゃないですか。

移動とか、昼食の時とか、一服休憩とか。

読みたい記事見つけるまでが、大変なんです!
もう、下手したら数分かかりますからね?


例えば、華さんの「自分の文章に自信がなくて吐きそう」でもそうですが、途中まで読み進めて、用事が入って中断して、また読み始める時、スマホだと、


「親指吊るっ!」


っていうほどスクロールしなくちゃいけない。
で、さっきまで読んでたところを通り過ぎる(あるある)。

これで、1~2分経過、なんて、ざらにありますから。

何とか、お願いしますよ~。


早く世界に出たい!

「ハリー・ポッター」ありますよね??

早くあのようになりたいのです。
ローリングさんのように!!


「死んだ後」では困ります。
「もう、飛行機に乗れない」ほど、老いてからでも困ります。


「元気なうちに」世界に飛び出したい。
カンヌあたりのレッドカーペットを、歩きたい。
チャイニーズシアターでもいい。


とにかく、一発当てて世界に飛び出たい。
一刻も、早く。


だから、書くのです。
それが「世界」への、私が取れる一番の近道だと思うから。


こっそり、「日本版」と「ハリウッド版」のキャストも考えてたりします。
「ボリウッド版」が、もしかしたら早いかも知れないけれども・・・。

踊られても、なぁ・・・。


ところで、マネージャーさん、まだ、ついてきてますか??
まさか、もはやお読みでない、とか、ないですよね??

もう少しですからね?
お願いします!


生き続けたい


おそらく、あと数十年で、肉体的な死を迎えるでしょう。
嫌ですが、オギャーと生まれたその日から、いつかはその日が来ると決まっていましたので、仕方ありません。


でも、「誰かの頭の中にいる限り」、本当の意味での死は、うまくいったら永遠に訪れない。


ずっと生き続けることができる。


そんなに難しいことじゃないです。
「何か」で名を残せばいいんです。


じゃあ、どうやって、名前を残そうか??

「後世に語り継がれる作品を残す」

これに尽きます。

やっぱりそれにも、書き続けるしかない。

これも、大きな「書く理由」の一つです。

あ、でも、私ペンネームだな・・・。
まあ、いいか。


好きだから

これは、非常に大きな「書く理由」です。

単純に、「書くこと」が好きなんです。
正確に言うと、「文字を打つ」ことが好きなのかも知れません。


前述の通り、私は、「漫画家」になりたかったんですが、「絵」というアウトプット方法が、致命的に苦手です。


さらに、「文字を書く」(ペンで紙に、という意味)のも嫌いです。
字も、壊滅的に汚いんですよ、私・・・。


すごく丁寧に書けば、まあ、「読めなくはありません」レベルで書けますが、それだと、ものすごくフラストレーションが溜まります。


頭の中にはどんどん文章が浮かんでくるのに、それを文字として同じ速度で書こうとすると、めちゃくちゃ汚くなり、速度を落とすと浮かんだ文章が、どんどんボヤけていってしまう。


これ、すごくイライラする。


そのために、一時期書くのを止めてました。


ですが、ある時、古いパソコンをもらいました!!

これで、私の創作活動が、飛躍的に向上します。


まず、パソコンそのものの勉強を始めました。
キーボードの操作になれるため、yahoo知恵袋に回答しまくってましたね。


おかげで一時期、「恋愛カテゴリーマスター」になってましたよ。
高校生なのに・・・。
不倫の相談とか受けたり・・・。

知恵コイン、100万枚くらい貯まりました。


その頃、私の創作活動の中心は、「TRPG」というジャンルのゲームでした。
自分でゲームをデザインまでしてました。


日本だと、「ソードワールドRPG」とか「ロードス島戦記」なんかが有名ですね。

簡単に言うと、「アナログ版のドラクエ」です。

コンピューターが判断する部分を、サイコロの目と、話し合いで解決する。
複数名(大抵、2~5名)のプレイヤーと、1名のシナリオマスターで行います。

私は特にシナリオマスターが好きで、後の営業力、折衝力は、ここで基礎が培われました。

そのための、全員分のルールブック、キャラクターシート、シナリオ、地図、様々な物を作ってました。


なにせ、買うとそこそこ、するんですよ。


もう、とにかく、自分の考えがプリントアウトされるのが、楽しくて楽しくて、仕方がありませんでした。


スピードも、申し分なし。


最初は「カナ入力」でやってましたが、あまり一般的ではなかったので、今は「ローマ字入力」でやってます。



結局、「好き」が一番大切な気がしてきました。

「つきなみ」ですかね?

でも、嫌いなら、続けられませんものね。


「好きなこと」で生活が維持できていけたら、それは、いい人生じゃないですか?

まあ、要素はそれだけじゃないとは思いますけど。


そうそう、余談ですけれども、私、今は他の仕事をしていません。
「小説一本」に掛けてます。

それこそ、血反吐を吐きながら、「集中して書くための」時間を稼ぎました。まあ、ぶっちゃけて言うなら、金を稼ぎまくりました。


なので、今の生活レベルなら、5年は維持できるくらいの貯金を「別に」作りました。


よし、これで五か年計画で、取り組むぞ!


と思ってましたが、これがそう簡単ではなくて、お得意様から「どうしても、頼むよ!」と言われると、断れない。


いつの間にか、私にも「シガラミ」ってやつが憑りついてました。


個人的に、興味のある依頼も舞い込んだりして、結局、ようやく「集中できている」というレベルで小説を書き始めたのは、今年の4月です。


ほんとに、人生で一番精力的に働きました。

これも、「好きなことをする時間」のためだからこそ、できたことだと思います。



結論


うん、決めました。

なぜ、私は書くのか。


それは、書くことが好きだから。


さんざん引っ張っおいて、結局それかーーーい!!

とか言わないでください。
きちんとした、論拠(言い訳)があります。


好きなこと、すなわち、「書くこと」を極めれば、他の要素はあとから全部ついてきます。


金 → 当然、ついてきます。

夢(出版) → その気なら、自費出版でもいいし!

人前に出る → 勝手に賞作って、勝手に自分を選ぶことだって!
        (さすがに、悲し過ぎるけれども。)

日本語が~ → まあ、今でも、そこそこだと思う。

活字離れ~ → いずれ、日本語も変わるし。

日々に~ → うん、後からついてくる。私が続けてれば。

早く世界~→ 世界が放っておいてくれない。はず。

生き続け~→ 世界に出れば、どっかには残るでしょ!


ほらね!


とにかく、「続けること」が大切。

そのためには、まず「好き」でないと。

自分で楽しめなくて、人様を楽しませる、なんてのは、そもそも無理ですからね。


なんか、いい感じじゃないですか!?

金銭欲とか、自己顕示欲に塗れた出だしから、いい感じに「それっぽい」理由になってきてる気が、しませんか??

最後に、声を大にして言います!



私は、書くことが、好きだー!!!




マネージャーさん、ここまで一緒に来てくれたかな??
来たとして!

読んで下さって、どうもありがとうございました!
隙間時間だけで長文読むの、大変ですよね~!

炎暑の中で、電車待ちとかしながら、読んでくれてるのかなぁ、とか、いろいろ、考えました!

はい、ビールでも、どうぞ🍺

買収工作!(粗品さん風)




#なぜ 、私は書くのか

了。



タイトルについて

You go your way; I go my way.

(あなたはあなたの道を行け、私は私の道を行く。)


今回の「中間選考」は、マネージャーさんが行うらしい。
30代の女性、普段は「書かない」方。

じゃあ、「読む」のか、と言ったら、それほどでもないみたい。

とにかく、そもそもマネージャーさんににクリックされないと、話が始まらない(中間選考前に、落選)。

だから、「タイトル命」だと。


「すべてはクリックから始まる世界」に生きているわけだから、「クリックされるタイトル」を考えることは、ある意味、内容より大切。

確かに!!


すごーーーく、悩みました。
今まで、「タイトル」って、そんなに深く考えたことなかったから、尚更に。

言われてみて、「ドギャーーーン」と、雷に打たれたようになりました。


そう言われたら、簡単に決まらない。

ぶっちゃけ、中身より時間掛かって、これになりました。


どうやって決めたか?

まず、「タイトル候補」を自分で5個作りました。
AIに、9個、作ってもらいました。

・ 5分ください!
・ なぜ、私は書くのか
・ WIW Why I Write
・ click here !
・ 幸せになるスイッチ
・ 同情を買う道場破り
・ ラスボスを倒しに来た。中ボスはまずクリックせよ。
・ are you ready? I'm ready
・ がんばれマネージャー
・ 怪物の配下に物申したい。
・ You go your way; I go my way.
・ エルメス ヴィトン ベルサーチ 
・ 楽しい決意表明 
・ 今日からはじめる担当者 

この14個で、まず、アンケート。

まあ、意味不明なのも、ありますが・・・。

私の知人女性のうち、20代後半~40代前半の方、46人を対象に。

「この中から、好きな言葉5個選んで」って。

ちょっと時間をおいて、今度はその5個を並べて、「この中で、一番クリックしてみたくなるのは、どれ??」

年齢の幅は「30代って言っても、前半か後半かで、結構違うよね?」って思ったので、その「揺らぎ」の影響を小さくするために、「30代±5歳」
にしました。


5個の選択肢の順番は、ランダム表示。


結果、

You go your way; I go my way.

になりました。

そういうわけです。


八神坂46に、全てを託した!
頼む! 当たっていてくれっ!!

決して、「運任せ」じゃないからね?
それなりに頭も使ったし、文明の利器も使った、いわば、「リサーチ結果」だからね?


「人事を尽くして天命を待つ」ってやつだからね??





ここから先は、独り言。

原稿を書き終えて、ちょっとnoteを検索してみた。

「なぜ、書くのか」で。

結構な数の記事が出てきた。
みんな、それぞれいろいろ考えてるんだねー。


そういった記事を読みながら、


結局、私の場合は、

書くのに、理由なんていらない。

に、尽きるかも知れない、と考えた。


書きたいから、書く。
好きだから、書く。

他の物は、ぜーーーーんぶ、後付け。

書きたくなくなったら、書かなくなるだろうし。
好きじゃなくなっても、書かなくなるだろうし。


逆説的になっちゃうけど、

「本当に書きたい理由」

を、探すために、「書いている」のかも、知れないなぁ。

ということは、

「わかりません」

が、正解なのかも知れない。

もしくは、

「未だ、模索中です」

かな。


少なくても、何も結果を残せていない現状で、

「私の書く理由は、ずばりこれです!」

と、胸を張って言えるものは、正直、まだ何もない。
それっくらい、薄っぺらいんですよね、何を言っても。


それだけ、まだ「伸びしろ」があるってことでもある。
たぶん。


でも、お題は「なぜ、私は書くのか?」だから、何か理由は付けないといけない。

だとしたら、やっぱり、

「好きだから」

に落ち着く。


だから、「好きだから」は、「今はね」ってこと。

突き詰めていっても、何かで結果が出ても、それは変わらないかも知れないし、金が稼げるようになったら、


「ずばり、金のためだよキミィ、他に、何かあるかね? フフン!」


なんて言う日が来るのかも・・・。

イヤだなぁ。

まるっきり、悪役じゃん。

それでも、人は変わるものだからねー。


そういう意味で、「今の気持ち」を忘れないために。

未来の自分に、独り言。

今日も、おつかれさん。







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