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2015年四川・陝西の旅

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2015年9月、中国四川省・陝西省を一人旅した時の記録です。 ※この旅行記ははてなブログに掲載していた記事を再編集したものです。
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2015年四川・陝西中国史遺跡の旅7日目 ~西安・茂陵編~

2015年四川・陝西中国史遺跡の旅7日目 ~西安・茂陵編~

西安2日目のこの日は、朝から郊外の茂陵へ。
前漢の武帝の陵墓である。途中タクシーに乗り合わせた女の人と話したのだが、学校の先生だそうで英語が堪能だった。

前述のとおり、茂陵は前漢の武帝の墓だが、茂陵博物館自体は霍去病の墓を中心に展開されている。

茂陵周辺には徒歩で到達できるようだったので、博物館の脇道から進入を試みたが、地面が悪く撤退せざるを得なかった。

茂陵から西安に戻るためにタクシーを待

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2015年四川・陝西中国史遺跡の旅6日目 ~五丈原・西安編~

2015年四川・陝西中国史遺跡の旅6日目 ~五丈原・西安編~

6日目は宝鶏からバスとタクシーを乗り継ぎ五丈原へ。まず宝鶏からバスで郊外の蔡家坡へ向かい、そこからタクシーを使って五丈原へ向かう。タクシーの運転手人民が親切にも山上まで連れて行ってくれたので、五丈原諸葛亮廟に直接乗りつけることができた。

諸葛亮廟の中はかなり広く、様々な武将の塑像に加えて簡単な博物館もあった。

五丈原周辺は台地状の地形となっているため非常に見晴らしがよく、個人的にはこの旅のハイ

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2015年四川・陝西中国史遺跡の旅5日目 ~漢中・勉県遺跡巡り編~

2015年四川・陝西中国史遺跡の旅5日目 ~漢中・勉県遺跡巡り編~

この旅行5日目にして初の晴天。やはり山脈を越えると天気も変わるのだろうか。

この日は漢中の隣町・勉県での史跡巡りがメイン。というわけでバスターミナルに向かったのだが、その途中には古虎頭橋と呼ばれる史跡がある。魏延が馬岱に斬られたと伝わる場所である。

1時間程度バスに揺られて勉県に向かう。勉県到着後は4路の市バスに乗り換え、終点の水磨湾へ。
終点まで乗っていたのは自分だけで、運転手に水磨湾に行き

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2015年四川・陝西中国史遺跡の旅4日目 ~昭化古城と漢中入り編~

2015年四川・陝西中国史遺跡の旅4日目 ~昭化古城と漢中入り編~

戦慄の夜を乗り越え、チェックアウトを済ませてこの日の目的地、昭化古城に向かう。
南河バスターミナルから宝輪経由のバスに乗り、ガタガタの道を越えて昭化古城へ。

ここは別名葭萌関ともいい、三国志ファンならばおなじみの場所である。城壁の中に、現在も人民が生活する小さな町がある(建物などは昔の風景を再現して建てられたものだと思われる)。

昭化古城の敷地はかなり広く、見どころが点在している。まず向かった

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2015年四川・陝西中国史遺跡の旅3日目 ~剣門関&広元編~

2015年四川・陝西中国史遺跡の旅3日目 ~剣門関&広元編~

3日目の朝は、綿陽にあるもう一つの三国志史跡・西山公園を目指す。

バスに乗ること約20分、終点で降りて西山公園へ向かう。
本当は西山公園前のバス停まで行くつもりだったが、なぜか終点が西山公園より手前だったため、そこから徒歩で行くことに。

西山公園に向かう道中、子供の姿を多く見かけた。朝の時間帯(8時ごろ)ということで、地元の子供たちの登校時間と被っていたようだ。

マンションとマンションの間の

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2015年四川・陝西中国史遺跡の旅2日目 ~成都武侯祠と綿陽富楽山編~

2015年四川・陝西中国史遺跡の旅2日目 ~成都武侯祠と綿陽富楽山編~

一夜明け、早速一番目の史跡を目指す。

記念すべき最初の史跡は、成都武侯祠。三国聖地である。

バス停から一番近い入り口から入り、別のおっちゃん人民と喋りまくってるチケット販売係の人民にチケット(とポストカード)をもらい敷地内へ。

まず入ったのは簡単な博物館。
ここには後漢や三国時代の遺物が色々と展示されていたのだが、中でも面白かったのはこちら。

なんと横山三国志や人形劇三国志の人形が「世界に

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2015年四川・陝西中国史遺跡の旅1日目 ~関空→成都到着~

2015年四川・陝西中国史遺跡の旅1日目 ~関空→成都到着~

中学時代に三国志にハマり、その後さくら剛『三国志男』を読んで三国志史跡を巡る旅に憧れていた私は、大学2回生になった2015年、遂に初めての中国一人旅に繰り出した。その後私は1年に1回中国で一人旅をすることとなるのだが、これはそのきっかけとなった旅である。

9月7日朝早くに関空入り。

その後ほどなくして日本人や人民たちが集まってきた。日本人のおっちゃんが秦皇島について語っていた。

飛行機は予定

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