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忘れられない先生

私自身が教育実習を控えていることから
今回は私の #忘れられない先生 のお話しです
(小学校の頃中心のお話しになります)

私の(暗黒の)小学校生活

まず私の小学校生活を振り返ります

私の小学校では比較的早い段階から
スクールカーストが目立っていました

スクールカースト(または学校カースト)は
現代の日本の学校空間において生徒の間に
自然発生する人気の度合いを表す序列を
カースト制度のような身分制度になぞらえた表現
(Wikipediaより)

私は基本的にカーストが上位〜下位層に分かれているうちの中位〜下位の狭間に位置しており
学級内でいうと目立たない域にいました

そして
私は仲間はずれにされがちなカースト下位の子と
一緒にいることが多かったです


本当は
元から仲の良い子(カーストは中位くらい)と
仲良くしたいけども
カースト下位の子が「遊ぼう」と私のところに
来ていました(私が断ればその子が1人ぼっちに
なってしまうのはわかっていた)
私はその子が来たときは一緒に遊んでいました

他の子は明らかにカースト下位の子を避けている
だからカースト下位の子は受け入れてくれる私の
ところまで来るという繰り返しでした

拒否するのは可哀想だしイジメにもなる

私の場合は元から仲良くしていた子と
カースト下位の子との間を行き来して
自分の気持ちを出さない結果
学級の中でいつも中途半端な立ち位置でした

5年生くらいまでこの状態が続きました
私自身も遊びたい子と遊べずストレスが溜まり
浅く広くという関係性を取ったことにより
正直本当に仲の良い友達はいませんでした
どちらかというと
遊びたくない友達と一緒にいるなら
1人の方が気楽だと思っていました

6年生になるとようやく特定の
仲の良い友達ができました
(カーストの位置はあまり変わらずでしたが)
楽しい思い出もつくることができました

小学校の思い出はほとんど高学年のときのもので低学年や中学年の頃の思い出は特にありません
5年生までは今思えば黒歴史です(^^;)

私が特別支援学校の先生を目指すワケ

小学3年生の頃から将来の夢が決まりつつあり
障害のある人に携わる
仕事がしたいと思っていました
特別支援学校の先生になりたいと思ったのは
小学4年生でした

特別支援学校の先生を目指していることを
サラッと書いた記事↓(こちらもぜひ)

弟の学校行事などで特別支援学校に行ったときに
先生を見て「私もなりたい!」と思ったことが
きっかけです

そう思い始めた時期に忘れられない先生
Y先生と出会っています

Y先生との出会い

Y先生は
私が小学4〜6年生のときの担任の先生です
小学4年生のときに初任(1年目)の先生として
赴任してきました

まず
3年間担任が同じだったことも驚きですが
最も長い期間を一緒に過ごした先生でもあるので
今でも1番大好きな先生です

私はそれまで担任がずっとベテランの先生
ばかりだったので若い男性の先生と関わることに
慣れておらず最初の頃はあまり話すことは
できませんでしたが
4年生の途中から段々話せるようになってきて
学校生活もそれまでより楽しくなってきました

作文

私が6年生になったとき
(何かのコンクールに応募の為か忘れましたが)
「弟のことを作文に書いてみないか」と
言われました

Y先生だけでなく
毎年担任の先生には(確か家庭訪問のときに)
弟が障害があるということは伝えていました

3年生のときの担任の先生もベテランの域ですが
弟の学校の行事を見に来たこともあるくらい
とても熱心な先生でした

4年生以降の担任のY先生は私だけでなく
弟にも関心を持って接してくれていました
(何かあるごとに「弟は元気か?」と
よく聞いてくれていました)

どの先生もとても熱心だと感じました
知ろうと思い学び続ける意欲のある先生は
子どもから見てもすぐにわかります
学び続ける大切さを感じます

それまで弟のことを私から周囲に
話すことはあまりありませんでした
理由は
私自身が「話したところで何が変わるんだ」と
思っていたからです

今思えば
私自身が持っていた偏見で
“私は他の兄弟姉妹とは違う”と薄々感じていて
イジメの標的にならないかな…
嫌なことされないかな…
特に中学年の頃から
自分が傷つくことを避けてきたのかなと思います

友達「兄弟姉妹いる?」
私「弟がいるよ」
友達「弟何歳?」

話題が兄弟姉妹になったときの
流れの鉄板といっても過言ではありません

私と弟は2歳差なので弟が7歳の時点で
このように聞かれると健常児の場合
同じ学校に弟がいないとおかしなことになります

そういった話の流れで
「弟がどうして同じ学校にいないのか」と聞かれ
「弟は障害があって違う学校に行っている」と
高学年になってから言ったことはありました

学級内で弟に障害があるということを知っているのは担任の先生とクラスメイト1〜2人でした

発表

作文が完成形に近づいた頃にY先生が
「これ(作文)をクラスのみんなの前で
発表してみないか?」と言われました

私自身も性格上
人前で話したり目立ったりすることが
得意ではありませんでした
4年生になってやっと授業中に
手を挙げられるようになったくらいです
目立ちそうなことはずっと避けてきました

とても悩みましたが
同じ学級のみんなに向けて
自分の口から発表することを決めました

私の作文を障害理解の授業で扱うのは
個人情報(今はさらに厳しいかも)のことも
あるのでかなり難しかったと思います
(Y先生はもちろん私や家族に許可取り済みです)

さらに話は膨らみ
私の学級は私が直接前で発表する
他の学級(同学年)は私の作文を
それぞれのクラスの担任の先生が
代読することになりました

つまり同学年全員が私に障害のある弟がいる
ということを知るのです

少し話は脱線しますが…
友達に障害のある兄弟姉妹のことを
カミングアウトするのは意外と勇気がいります
相手がそれを聞いてどんな返しをしてくるのか
いつもドキドキしていました

ただ
私の場合はそんなことはなく
友達はこれまで通り仲良くしてくれました
(友達が気を遣ってくれていたのはあるかも)

たぶんカミングアウトされた側も
正直反応に困ると思います
どうやって返すのが1番良いのか…
私にもわかりません

最近は「反応に困らせたくないなぁ」と
違う意味で気を使います(笑)

私が今までにカミングアウトした友人だと
「あ!そうなんだ!」
と言うだけでそれ以上は聞かれることなく
終わることが多いです

きょうだい児 の中には
この反応が冷たい態度と思う人もいれば
あまり突っ込んだ話をしたくない人もいます
このさじ加減はとても難しいです

本題に戻ります
いざ発表してみると想像以上にみんなが
私の方を向いて聞いてくれていました

そのときは発表して
隠すことがなくなったという吹っ切れた感情と
みんなの前で発表できた達成感が
入り混じっていました

カミングアウトしたからといって
あまり深く聞いてくる人もいなかったです
特に偏見や差別意識を持って接する人も
いなかったのでそこは安心しました

唯一
同じ習い事に通っていた
同い年の男の子(別の学級の友達)が
私の作文を聞いたその日に話しかけてきて
「泣かんといてな!おまえの弟障害なん?」と
言ってきたことがモヤっとしました(^_^;)
別に泣かんし…って心の中で思っていました(笑)

私はモヤっとしてしまいましたが
その男友達は決して悪気があった訳ではなく
それっきりその話はしていませんが
それまでと変わらず仲良く過ごしていました

今思うこと

私が小学生の頃
きょうだい児 に関する支援( #きょうだい支援 )はまだまだ知られていなかったので
今の子どもたちには
そういった支援があることを
先生から伝えてもらえるような
環境になってほしいと私は思っています
同じ境遇にいる人たちと出会う
早期からコミュニティに入ることで
何か変わるのではないでしょうか

私もきょうだいの会の存在を知ったのは
大学に入った頃でした
きょうだい児 に支援に関する情報提供を
広めてくれるような世の中になってほしいです

そして
Y先生の夢を全力で応援してくれる姿が
私は最も尊敬しています

1人1人と向き合い1人の人間として尊重すること
いつまでも心の支えになっていることが
どれほど大切なことなのか
教えてくれたのはY先生でもあると思います

先生を目指す立場になった今
たとえ授業が下手でも
上手くできないことがあっても
こういったことは絶対に忘れずに
これから出会う先生や子どもたちとの縁も大切にしながら教育実習に挑もうと思いました

余談

2年程前に小学校卒業ぶりに先生に会いました
「教員10年目になってもう若くない」と
言っていましたがまだ30代の先生です(笑)

当時のことを聞いてみると
私の学年を受け持ったときは
若さで勝負!という感じで
とにかくがむしゃらだったそうです

1番気になっていた
作文を書いたことや発表になったきっかけは
Y先生自身もあまり覚えていないそうです

久しぶりに会ってみると
まだまだ若いですが
少しベテラン感も出ているように感じました
熱血な先生なのは当初から変わりなく
先生らしいなと思いました

そして
小学4年生から今までずっと
“特別支援学校の先生になりたい”
と思い続けてきました

私の小学校時代(特に子ども同士)の人間関係は
ズタボロでしたが
Y先生と出会い
こういった経験をさせてもらって
先生に背中を押され
自分自身が持つ夢に誇りを持つことができました

私は
「(見た目は)クールだね」と
言われることが多いのですが
内面だけでも
“熱い先生”になりたいなと思っています

最後決意表明みたいになってしまいました(笑)


osora

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