給料は下がった。それでも僕は転職して良かった。
そう言い切れる理由はーーー
今年の3月末で、銀行から公務員に転職して丸4年が経つ。
キャリアとしては銀行4年、公務員4年ということになる。
今年の4月からは、銀行よりも公務員のキャリアが長くなっていく。
キャリアとして公務員の方が長くなるにつれ、悲しいかな、銀行時代の知識・経験の記憶は薄れていく。
銀行時代の知識・経験が薄れていくが、それでも僕のビジネスマンとしてのベースは、あくまで銀行で出来上がったものだと日々思う。
銀行時代は本当につらい日々だったが、このときの経験は何にも変えられない。
毎日神経をすり減らし、必死に生きてきた。
休日も心休まる日がないくらい、精神的にしんどかった。
こうやって毎日必死に生きたことに意味があったと気づいたのは、公務員に転職したときだった。
報告の仕方、
資料のまとめ方、
仕事の進め方、
問題解決力、
自己完結力、
などなど…
転職したときに、銀行員としてのスキルだけでなく、こうしたビジネスマンとしてのスキルを叩き込まれていたことに気が付いたのだ。
十分ではないにしろ、ビジネスマンとして確実に成長できていたんだな、と実感できたのだ。
しかし、公務員に転職してからはどうか。
正直、
ビジネスマンとしてさほど成長していないように思う。
優しい同僚に囲まれ、管理職にも相談しやすい環境にある。
甘えからか自己完結というより、他人に頼りながら仕事を進めている。
報告の仕方も、報告の仕方ひとつでとやかく言う人はいないので、雑になってしまっている。
そして、銀行時代よりも業務量が多く、業務時間も長くなり、とにかく目の前のことから捌いていく毎日…
ビジネスマンとしての成長をあまり感じられていないにも関わらず、惰性で過ごしてしまっている自分がいる。
銀行時代に身につけたビジネススキルが役立っていると感じる場面は多いから、それらで何とか乗り切っているのだろう。
ビジネスマンとして、失格なのかもしれない。
でも、
それでも、
僕は転職して、今の状況になり、良かったと思っている。
それはなぜかーーー
それは、「人として」生きている実感があり、
そして、「人として」素晴らしい人たちに出会い、
「人として」成長できていると感じているからだ。
出会ったなかで特徴的な人を挙げれば、
「公務員として働きながら、仕事以外では公務員という立場で出来ることはないか」と、様々なイベントを立ち上げたりしている人。
どんなに忙しくても、相談事には絶対に手を止め、「出来ない理由を考えるのではなく、出来る方法を考える」と、とにかく前向きな気持ちにさせてくれる人。
などなど。
自分も「人として」こうやって仕事をしなくては、と学んだのである。
前者の人のように、自己実現のためにフィールドを広げるなんて考えは、銀行時代は毛頭無かった。
こうした人の活動はすごく刺激になる。
後者ようなタイプの人は、もしかしたら「ビジネスマンとして正解ではない」という人もいるかもしれない。
だが、僕は困ったときに沢山助けられたのだ。
ビジネスマンとしての正解か、人としての正解か、僕のなかで答えは出ている。
こうした人たち以外にも、例えば「否定しない」「大人な対応ができる」「偉そうな態度をとらない」等々、人として素晴らしい人が沢山いる。
一方、銀行はどうだったか。
右向け右の文化のため、先輩や上司と少しでも違う意見を言おうものなら全否定されていた。
上司が偉そうなのは言うまでもなく、先輩も1つ上というだけでやたらと偉そうだった。
銀行員は銀行員たることがこの世の全てであり、
銀行で生きていくことこそ正義。
そんな人たちとの会話で、「人として」学んだことはほぼない。
ランチに行けば仕事の話か、知識のひけらかしあい(それか上司へのごますり)。
飲み会に行けば仕事のダメ出しやオンナの話。
全てがそうと言う訳ではないが、記憶のほとんどがそうである。
ドレスコード1つとっても、厳しい上司であれば、黒のスーツに白のシャツ、黒の革靴に、派手ではないネクタイなどの決めがある。
髪型やメガネを少しオシャレしただけで注意されることもある。
(僕はこれらを「人権侵害」と呼んでいた笑)
4年間、こうした環境下では、およそ人間らしい生活をしていると実感することはできなかった。
それが公務員に転職して、
多様な考えの人たちに触れ、
優しさに触れ、
「人として生きる」ことを実感した。
銀行員を経験して、確かにビジネスマンとしては成長した。
銀行員であり続ければ、ビジネスマンとしてもっともっと成長していたのだろう。
高い給料をもらい、住むところも、着るものも、食べるものも、世間体も良かっただろう。
それでも僕は転職という選択を後悔していない。
だって、僕は「ビジネスマン」である前に、「一人の人間」なのだから。
今、こうして心穏やかにnoteに向かい合っている時間も、人として生きている実感なのだ。
それだけで十分転職した価値があったと言える。
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