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「忙しいことは幸せ?不幸せ?」そんなこと当人の感覚によって違うから、忙しいことが幸福なのは当たり前みたいな感覚を強制するのは違うだろう

忙しいことに幸福感を持って最近過ごしている。たびたびそれは取り上げている話で、毎日何かしら動いて過ごしていたいと思って日々生き抜いている。

それは僕がそういうタイプの人間であるからだ。何かしないとすぐに怠けてしまう質なので、ほっとくと昼寝をしたり、だらだら時間を潰して何も生み出さなくなってしまう。

そういう自分があまり好きじゃなくて、強制的に忙しくさせている。そしてそれが全然と言っていいほど苦じゃないから、むしろ忙しい方が好きだったりする。


けれども他の人に「忙しい方が絶対幸福だ!」って言われるのはちょっと違うんじゃないかと思っている。もちろん、幸福かどうかを聞かれること自体はいいかもしれないけど、こうだと決め付けるのには異議がある。当然そう思っていない人も一定数いるからだ。

それは今行っている職場の社長に言われた言葉だが、社長が言ったからって全部正しいとは思ったりしていない。違うと思ったところは口では「はい」と返事はするが、内心ではスルーしている自分がいる。


そもそも趣味嗜好も考え方も違っている人間同士が、全員共通の価値観を持ちうることなどあり得ないと思っている。

そもそも生きた時間軸も違うし、接してきた人やものも違うし、何に興味を惹かれるかも違うだろう。

それを自分がこう生きてきたから、こう思うからこうだ、というように自分軸での画一的な価値観に収めようとすること自体意味がない行為だし、一歩間違えば洗脳レベルになるだろう。自分にとってそういったことはそもそも納得感のかけらもないので、僕は聞き入れないタイプだ。笑


お金に興味があればない人もいて、服が好きな人もいればそんなにこだわりがない人もいる。

そういった自分と他人との違いを踏まえた上で、それを受け止めてその人がどう思うかといった対話する姿勢が大事になってくると思っている。

世の人は対話する姿勢が足りないような、そんな気がする深夜23時。

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