櫛の歯が欠けるように~ブラック企業に入社して~

ここ数年、毎年3/31に一本上げていたのですが、新卒一年目だった昨年、就職と転職について書いた内容が少しセンシティブだった(会社の人にも見られているため)ので、下書きに留めていました。
一年経ったいま、ほとぼりも冷めたのでもう公開してもいいかと思い、一部加筆して載せます。

「今月末をもって退職することになりました」という紋切り型の挨拶が、バイブとともに画面上部に現れる。
僕はそのバナーを上に追いやって、流し見していたストーリーズに再度目をやった。
あるべきものがポロポロと欠けていくさまを表した慣用句は「櫛の歯が抜ける」か「櫛の歯が欠ける」のどっちだったっけ。
溜まっていたストーリーズを消化し、無為に流れていくリールを眺めながらふと思った。

「同期が退職する」という経験をはじめて味わったのは入社一年目の六月上旬だった。
それぞれの配属先で、慣れない仕事をこなすのに一生懸命になっていたあの時期。
同期への謝意と心身の健康の大切さを説いた彼女の長文LINEは皆を動揺させるには充分で、彼女の退職はすぐに同期内のトップニュースになった。
LINEグループが出来て以来「同期(42)」と表示されていたそのグループ名は、いつの間にか「同期(41)」になっている。
LINEを起動するたびにその変化を実感するものだから、否が応でも喪失感を覚えてしまう。
その後も時を重ねるごとに、その数は(40)、(39)……とゆっくりとされど確実に減っていった。
さながら不規則なベンジャミン・バトンである。

あれから一年弱、退職者が増えるにつれて、同期が退職することへの皆のリアクションは薄れていった。
このところは、月末になると誰かしら退職している気がする。
全員が定型文に近い長文の退職報告を行う中、ただ一言「ワイもです/お疲れ様です」とだけ言い残し去っていった彼を例外として、今は同期の退職が特段話題に上がることもない。
一般的に考えれば、新卒一年で二割以上が退職していくのは異常だ。
現に、中高大の同期の中で新卒入社の会社を既に離職しているのはひとりかふたりしかいない。
しかし、その会社で働く人はそれを異常とは思わない。
朱に交われば赤くなるとはよく言ったもので、ブラックに染まれば判断基準も自然と黒に寄っていくのだろう。
社会に対して無色透明な新卒なればこそ、その傾向はより顕著になる。

いま、先述のLINEグループは「同期(32)」となっている。
先日、「1年間お疲れ会」という名の同期会が行われた。
入社から一年が経過したから「1年間お疲れ会」。
別になんてことはない名前の会だ。
そう名付けたアイツも、別に深い意味を込めてはいないだろう。
だが、ここ一年の同期のすり減り方を踏まえると、(年10人消えたけどみんなよく頑張ったよね)という奇妙な連帯意識を勘繰ってしまう。

当日、我々は遅めの退勤後に会社近くの居酒屋に集合した。
残っている同期の半数ほどが集まった。
その盛況ぶりは、まん防が明けて小康状態にある今を象徴しているようだった。
春の訪れを報せるようなパステルカラーを身に纏った女性陣に、砕けた格好の男性陣。
研修時点ですぐに私服通勤が許された我々は、今も基本的にラフな格好で出社している。
壁際のハンガーに掛けられた薄手のアウターたちは色とりどりで、スーツ姿のビジネスマンで溢れた居酒屋内の他の区画よりも目立っているような気がする。
同じ会社で働いているという一点のみで繋がっている我々同期は、仕事の愚痴を肴に束の間の休みをめいっぱい享受した。

昨年四月一日。
入社式の日、会議室に集められた同期は全員がスーツを着込んでいた。
前日までに有り金を使い果たし一文無しで会社に向かった僕は、同期たちの熱量の高さに困惑していた。
自分と同じように斜に構えた人間が大半だろうと勝手に思っていたのだが、実のところ正反対で、「オレはバカだからよく分かんねえけどよ」という前置きのあとに鋭いことを言いそうな、根っから明るい主人公気質共が蠢いていた。
彼らは初日から互いのことを下の名前で呼びあい(僕も合わせた)、飲み会では目を輝かせながら自分の夢を臆面もなく語り合った(さすがに合わせられなかった)。

おめでたい奴らだと思った。
一年目から俺が会社の中心になると言わんばかりの口ぶりは滑稽に聞こえた。
いくら若手に裁量権がある会社といえど、はじめは下積み期間があるだろう。
きっと苦しいこともあるだろう。
挫折して夢を諦めることもあるだろう。
その下積み期間をすっ飛ばして我が物顔で夢を語るなんて、ひどく楽観的でおめでたい頭をしている。

ただ、それと同時に彼らのことを羨ましくも思った。
研修期間は講義のため、会社のお偉方が代わる代わる研修部屋を訪れる。
お偉方は尽く「オレはバカだからよく分かんねえけどよ」と言いそうな表情で根性論を説いた。
彼らは彼らの成功体験に基づいて話をするわけだから、彼らにとってはその根性論は成功の秘訣なのだろう。
その道こそ唯一の正解と言わんばかりの自信に満ち溢れた彼らの演説。
それに感動しているのか、配属のためのポイント稼ぎか、不自然なほど深く頷きながらメモを取り話を聴く同期。
何も疑問に思わずその演説に感化される神経が羨ましかった。

中高大と、僕の友達にはこのようなおめでたい連中は少なかった。
いなかったと言っても過言ではない。
大概がいけ好かなくて、斜に構えていて、それでいて外面はいいから外からの評価はそれなり以上を保っている。
そんな要領のいい皮肉屋ばかりだった。
だからこそ、僕は同期の真っ直ぐな一挙手一投足に困惑しているわけで、ここでは僕のような人間がマイノリティなのだ。
恐らくこの会社が求めているのは彼らのようなメンタリティの人間で、僕は外れ値にあたるのだろう。
配属先もそんな人間ばかりなのかもしれない。
そう思うと、これから社会人生活を上手くやっていける気が到底しなかった。

Instagramを閉じたスマホでSafariを開く。
検索してみると「櫛の歯が欠ける」という表現が正しいらしい。

最初に辞めた彼女は開業医の娘だった。
入社前のオンライン研修で観た彼女の家の背景は他のそれとは大きく異なり、綺麗に磨かれたグランドピアノやパチモンのダビデ像のような石像が品良く配置されていた。
時に馬車馬働きを強いられるこの会社は、彼女が入るべき会社ではなかったのだろう。採用ミスマッチの極致と言える。

彼女の背景の隅には、化粧台が映っていた。
画面越しにもニスの艶やかさが見て取れるような、上質な化粧台だった。
その中に漆塗りの櫛があった。
綺麗に整えられた化粧台によく似合う立派な櫛だ。
陽の光の当たり方なのか、櫛が纏められたゾーンの中で、その漆塗りの櫛は一際輝いていた。
もちろん、欠けている歯などない。

時間を持て余した僕は、癖でストーリーズを更新した。
上げたのが誰かを確認する前に左端のストーリーズをタッチすると、出てきたのは例の最初に辞めた彼女だった。
きょうは彼氏とディズニーシーに行っていたらしく、その充実感が画面越しに伝わってくる動画だった。
あれだけ疲弊していた彼女のことだから、いまは休みを満喫できているようで何よりだ。
そう思いつつ、このタイミングで出てきてほしくはなかったなとも考えた。
ここ数分の偶然で、ただでさえ僕の頭の中で櫛と彼女がリンクするようになっていたのに、それを更に補強するような要素は別に要らない。

Instagramを閉じた私は、「同期(32)」のグループLINEの人数が減っていないことを確認し、スマホをベッドに放り投げた。

あとがき

あれから一年が経った。
いま、グループLINEは「同期(28)」と表示されている。
ここ一年は思ったほど人が辞めなかった。
4人、入社時の42人から考えれば一割。
一年目の二割を加えて、入社二年目までに新卒の三割が辞めた計算になる。
世間的な基準で言えばおかしいのだろうが、僕ももう"そんなに辞めなかったな"と思うほどブラックに染まってしまったのかもしれない。
合わない人は一年目で辞めたから、二年目になっても残っている人はある程度ブラック耐性がある人だということなのだろう。

ブラック企業は遠心分離機みたいなものだ。
莫大な労働量というGがかかっても涼しい顔をして着いていく根性論大好きくんたちと、異常な労働環境を見切って辞めていく人たち。
彼らはGでぶんぶんと振り回され、遠心力により強制的に分離させられる。
それは、自分の適性が早めにわかり、向いていない人はより早く新たな道へ進めるという点では幸せなことなのかもしれない。

ブラック企業が遠心分離機であればホワイト企業は自然沈降だと思う
Gへの耐性が弱い人でも、手厚い福利厚生というセーフティネットで助けてくれる。
Gへの耐性という一要素だけで、身体を壊すことは少ない。
やはりこれの方が幸せなのは火を見るより明らかだ。

明日からまた新卒が入ってくる。
去年、僕の下に入ってきた新卒もまだ辞めていない。
来年の新卒も​───────せめて僕が関わる人だけでも​───────辛さを感じないような働き方をさせてあげたい。
去年自分が書いた文章を久々に読み返して、その思いをさらに強くした。

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