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世界一のタイトルを取った話

学生証を失くした。
卒業ひと月前、大学の授業もすべて受け終わった二月に学生証を失くした。
中高六年間、大学は当初の予定より一年多く五年間。十一年間の学生生活も間もなくフィナーレを迎えようかというこの時期に、僕は学生証を失くした。
入社予定の会社から諸々の証明書を提出するように言われ自室で財布を開くと、学生証が入っていたはずの空間だけぽっかりと焦茶色の財布の革目が露出している。
憔悴しながら散らかった机を物色してみても一向に見つからない。会社から送られてきたパソコンに付属する有線マウスを煩雑に放置していた自分に溜息をつき、それを本来あるべき場所に戻す。
整理整頓は良いこと、良いことをしたのだから学生証よ出て来い。そう思っても学生証は現れる気配もない。


誰かに盗まれたのだろうか。いや他の金目のものは盗まれていないし、だとしたらもっと盗むべきものがあるはずだ。
何処かで落としたのだろうか。それにしてもポイントカードやらキャッシュカードやらが生き残り、ピンポイントに学生証だけが道端にでも投げ出されるということが有り得るだろうか。
釈然としない。謎は深まるばかりである。


再発行はしなくてもいいかと思いつつ一応検索してみると、どうやらそうもいかないらしい。
卒業式の日に貰える学位記(卒業証書を収納できる分厚い本みたいなやつ)は、それまで使っていた学生証と交換で受け取れるものらしいのだ。
更に調べてみると、学生証の再発行は無料と有料(2,000円)の二パターンあり、その理由が〈紛失〉の場合は後者であることも分かった。
学位記を受け取らないわけにはいかないので、僕は初任給を受け取るまでの金欠期間に2,000円を削り出して学生証(a.k.a.学位記交換グッズ)を再発行しなければならないらしい。
現金・学生証・学位記の間で織り成される、パチンコ業界もびっくりの三点交換方式である。


大学はちょうど受験シーズン真っ盛りだった。
翌日の昼下がり大雨が降る中、僕は受験生の混乱を避けるように臨時で設置された事務所前にいた。
コロナ禍に起因するオンライン全盛のこの時代に、学生証の再発行はわざわざ大学まで出向かなければならないのだという。
もはや通学定期券も更新していないので片道500円、往復1,000円が追加で僕にのしかかる。
事務所の中は暖房が過剰に焚かれており、雨のせいで湿気を含んだ僕の開襟シャツは僕の背中にぴったりと張りついて気持ち悪い熱を帯びた。
平行二重のつぶらな瞳が印象的な大学生と思しき女性に「ご用件をそちらの用紙にご記入ください」と促されるままに〈学生証の再発行〉の欄に丸をつける。
あのお姉さんに(コイツ留年した上に卒業ひと月前に学生証再発行すんのかよ)と思われるのはちょっと嫌だなと思い、〈5年〉の欄を隠すように用紙を提出する。
お姉さんはいかにも事務的な無表情で用紙を広げると「学生証の写真ってありますか?」と聞いた。「持ってきてないですねえ」と言うと、「写真がないと学生証発行できないんですよねえ」と時計を見た。
無機質な白い壁に掛けられた時計は16:10を指していた。
「ここ、16:30に閉まっちゃうんですよ」
「ファミマで現像してきます」
お姉さんの憐れむような視線を背に、僕は蒸し暑い事務所を出て大雨の道路へ駆け出した。

「それでは一週間後に発行しますので、〜日以降に取りに来てください」
無事に写真の現像と諸々の手続きが終わりひと安心していた僕にお姉さんは告げた。
「え、きょう再発行出来るんじゃないんですか?」
お姉さんは一瞬さも当たり前と言いたげな表情を浮かべ、直後に申し訳なさそうな表情を作り「そうなんです」と言った。
出費は3,000円では済まないらしい。追加で一往復となれば4,000円、あとさっき証明写真で200円使ったから4,200円……。
学生証一枚落としただけで、残り少ない貴重な学生時代の自由時間と金が目減りしていくとは思ってもみなかった。

「あんた、警察からなんか来てるわよ。なんか悪いことしたんじゃないでしょうね」
朝10時。眠い目を擦ってリビングに降りると、母親が茶封筒を手渡してきた。
再発行の申請から一週間が経ち、ようやくきょう大学に取りにいける。
鋏で封筒の端を切り、内封された紙を取り出すと〈拾得物〉の文字が目に入った。
「どうだった?」
母親が心配そうな目で問うてくる。
「学生証、駒沢警察にあるって」
書いてある内容を要約して読み上げる。
一転して「よかったわね〜」と呑気そうな母を尻目に、読みこぼしがないように再度紙の上に視線を滑らせる。
何処かで落としたらしい学生証は、何処かの良心的な人に拾われて駒沢警察に流れ着いたらしく、一ヶ月以内に取りに来いと書かれている。
きょう大学に行くついでに駒沢警察にも寄ることにしよう。
拾ってくれた人には本当に感謝しかない。しかし、胸に残るのはどうしようもない虚無感である。
二度の大学往復と4,200円をかけて、僕はスペアの学生証を得たに過ぎないのだ。それも残り一ヶ月、卒業すればただの飾りと化してしまう​──​──
そこまで考えたとき、チン、という音に思考を遮られた。そして、僕は焼き上がったトーストと冷蔵庫にある何某かのジャムを取りに立ち上がった。

各所を回り、両手に二枚の学生証を携えた僕は思いを馳せた。
今、僕は学生証でワンペアが作れる。
これはもしかしたら世界一なのではないか。
通常、学生は各々一枚ずつ学生証を持っている。
どんなにがんばっても一枚ではポーカーの役を作ることができない。
もし、世界の富豪たちが集まって「金が有り余って仕方がないから〈学生証ポーカー〉の大会を作ろうではないか」という不可思議なノリが生まれたとする。
その情報は彼らの情報網によって、乾いた土に水が染みていくように各国の学生に隅々まで行き渡り、多くの学生が名乗りを上げる。
ポーカーというゲームは本来高い役を作れた人の勝ちだが、同じ役になった場合、より価値が高いカードを持っている人の勝ちである。
学生証ポーカーはそこが重要になる。
なぜなら学生証は誰しも一枚しか持っていないからである。つまり、その一枚に如何に装飾を施して〈価値が高い学生証〉を作り上げることができるかが肝要なのだ。

ロスチャイルド家の息がかかった金髪に蒼い目の青年は、Lil Uzi Vertの額のダイヤの如く、己の学生証にありとあらゆる宝石を埋め込み豪華絢爛な学生証を誇示していた。
スペイン王室の王女は学生証に掲載された自身の美貌を指差し、「あたしの写真、これをオークションに掛ければ一億は下らない額になるわ」と言ってのけた。
とある国からやってきたどこの馬の骨とも知れない男は、「ポリコレの波的に勝つのは白人じゃなくて俺じゃね?」と軽口を叩いた。
外野で外ウマに興じる富豪たちはあれやこれやと出場者を物色しながら、どの学生証がいちばん価値があるものなのか喧々諤々の議論を交わし、そろそろ誰にベットするか決めた様子である。
そんな中、レイトポジションに陣取った僕は最後に颯爽とカード(学生証)を広げる。
大スクリーンに表示されたのは何の変哲もない二枚の学生証。
ワンペア。
会場がどよめく。
一瞬の静寂のあと、誰もが予想だにしなかった展開に会場のボルテージは最高潮に達する。どこからか指笛の音が響き、富豪たちは頭を抱えながらもスタンディングオベーション。他の出場者は端からドローイング・デッドだったのだと気づきガックリと項垂れる​────
〈学生証ポーカー〉なら世界一になれるな。
〈ヘヴィメタ編み物選手権〉のうしろシティ金子、DMCのDJ松永、〈学生証ポーカー〉の僕。
いい並びである。
そこまで考えて、僕は一年生の頃から使っている愛着がある旧・学生証を財布に残し、新・学生証を鞄に仕舞った。

三月になり、会社から卒業証明書を送るよう指示されたメールを着信していたことに気づいた。
気づくのが遅れたせいで、もう既に文中にある締切日は過ぎている。
卒業証明書について調べてみると、やはりこれまた大学に行き証明書発行機に並ばなければいけないらしい。
よくよく考えてみると、不思議なことに授業を受けていた2020年度序盤より最近の方が大学に行く機会が多い気がする。
春の陽気の中、僕はSuicaとイヤホン、財布とスマホという必要最低限の持ち物をポケットに仕舞い、1,000円をかけて大学に向かった。

〈学生証が読み取れません。再度お試しください〉
卒業証明書を求める長蛇の列に並び始めて30分(並んでいる人はそれぞれ1mの間隔を空けている分、より長く見える)。ようやく自分の番が回ってきたと思ったらこれである。
番号とパスワードを打ち込み、学生証を規定の場所に再度提示するとやはりまた〈学生証が読み取れません。再度お試しください〉というナレーションが流れる。
そのうちにも横の機械で作業していた人は作業が終わり、また次の人が作業を始め、終わらせていく。
もしかしてパスワードとか間違えたのかな?五年間使ってたけど最近使ってなかったから……。
三度ほど繰り返したとき、僕ははたと気づいた。
これは旧・学生証だから、もう既に学生証としての機能が失われているのでは……?
ということは、新・学生証が無ければ卒業証明書を発行することはできない。しかし、今日は必要最低限のものしか持ってきていない(実際は必要最低限ですらなかったわけだが)。つまり、また往復1,000円をかけて自室の鞄の中にある新・学生証を取りに帰らなければいけないということか……?
全てを察した僕は顔面蒼白になり、証明書発行機の前を離れた。数分前より列は長くなっていた。先頭の女はようやく自分の番がきたとばかりに気だるそうに発行機の前に向かう。
僕はそそくさと大学を出て、誰かに愚痴を言わないとやってられないとばかりに、もはやカカロニ栗谷以外誰も使っていないClubhouseを開き、偶然部屋に入った同期に愚痴を零した。

3/25、卒業式の日。
僕は学位記と引き換えに新・学生証を失った。
これで僕は次の〈学生証ポーカー〉の大会では優勝できない。ただの元・世界チャンピオンである。
最後に、世界一を目指す学生諸君に伝えたいことはふたつある。

一。古い学生証は大学側が勝手に機能を停止してるから、基本は新しい学生証を持ち歩くこと。
二。初任給を貰える日は4/1じゃないから、4/1までに有り金全部使い切ろうとすると後々痛い目を見るということ。

以上である。
僕は4/1までに有り金をゼロにして、4/1に貰える初任給の有難みを存分に感じようなどと思っていたせいで、今は何も買えない状況にある。
卒業式の日に一緒に飲んだ後輩に奢れずに微妙な空気になったのは申し訳なかった。
四月の終わりに初任給が入ったらちゃんと奢るから、それで勘弁して欲しい。
元世界チャンピオンより。

ありがとうございます!!😂😂