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「官能小説を書いてみよう」と思い立ったことはあるか

家族が家にいない時間を見計らい、ソワソワしながらリビングのパソコンの起動ボタンを押す。
ドアの鍵が開く音に知覚過敏になりながらネットサーフィンに乗り出す。
身体のあらゆる感覚を研ぎ澄ませながら、一期一会の「宝物」を探す。

スマホが普及した2020年現在、こんなハイリスクローリターンなスリルを味わう中高生はいるのだろうか。いたとしても、恐らく数は少ないだろう。自室で、学校で、トイレで、風呂で。18禁動画を見る場所は、何もリビングのパソコンの前だけに限らない。
2010年代は大きなデジタルの進化が見られなかった、という言説を見たことがあるが、個人的にはそれは大きな間違いだと思う。
中高一貫男子校で多感な学生時代を過ごした僕は、この進化の恩恵に多大にあずかった。高校1年生の初夏、僕はガラケーからiPhone4Sに機種変した。その時、もう既に周りは全員スマホだった。
ガラケーユーザーだった当時、僕はこれ見よがしにスマホを使う友達が羨ましかった。スマホを持っているということは、当時望むことのすべてが出来るに等しかった。
教室の黒板に各々のスタメンを書き連ねていた『プロ野球ドリームナイン(通称『ドリナイ』)』、授業中に皆が隠れてやっていた『パズドラ』や麻雀アプリの『天極牌』。そして、いつでもどこでも ───── ─

スマホを使うようになり、風呂で動画を漁り事を済ませるというライフハックを覚えた僕は、その自由さと引き換えに想像力を失った。
今は、親指を何回かタップするだけで動画にありつける。でも、それ以前は、枠にハマらずに何とか親の目を盗んで18禁動画にありつこうと試行錯誤していた。
サボることを覚えてしまうと、それ以上に努力しようとは思えなくなる。
僕は、在りし日の試行錯誤の数々を数時間前まで完全に忘れていた。それをふと思い出し、僕はこれをnoteに記録しておかねばならぬという使命感に駆られたのだ。

友達に聞くと、それぞれ様々な方法で親の目をかいくぐっていた。
例えば、ある友達は家族共用のパソコンに「2000本安打の偉人たち」というファイルを作り、その中にお気に入りの動画のURLを保存していた。
また他の友達は近所の公園の草むらの陰に、道端で収集してきたものを集めた「みんなのエロ本ゾーン」を作って友達同士で共有していた。
みんなどうやったら親にバレないで楽しめるか工夫していたのだ。
そういえば、最近は道端にエロ本が落ちているのを見ていない。あの風景も前時代の遺物となってしまったのだろうか。小学生もスマホを持つ時代だ。通学路で拾ったエロ本をワイワイ読む楽しさに代わって、ブラウザのプライベートモードでお気に入りの動画を保存する小賢しさを手に入れたのだろう。何だか少しもったいないような、羨ましいような複雑な気持ちになる。

さて、パソコン時代の中学生の僕はというと、平均してエロパソチャンスが月一に限られていた。
母親が専業主婦で父親も17時過ぎには帰宅、当時小学生の妹という幾重にも張られた厳重な警備の網を掻い潜ることはほぼ不可能といっても過言ではなかった。
そんなミッション・インポッシブルをクリアした時の快感といったらない。冒頭のポエティックな「宝物」という表現は決して大袈裟ではないのだ。
中学生の限られた知識から絞り出した単語を検索窓に打ち込み、目当ての動画を漁り、誰も帰ってこないうちに事を済ませる。僕は徐々にエロパソの作法を覚えていった(「検索履歴を消す」という必須事項を覚えたのはかなり後のことだった)。

そのうちに、僕はエロパソだけでは物足りなくなった。数週間前に見た動画の残像やイマジネーションにも頼った。場所を変えればそれだけで興奮するのではないかと思い、ベランダでしてみたこともあった。
しかし、二年もすればバリエーションが尽きてしまう。思いつく限りのパターンは試した。ゼロから想像で果てた日もあった。それでももう限界が近づいていた。やはり、アウトプットの質はインプットの量が物を言う。そんな当たり前の摂理にも気付かされた。

そして、僕は決意したのだ。
自分で官能小説を書いてみよう」と。

小学校5,6年の頃、僕は週末になると西八王子駅から中央線に乗って国立にある塾に通っていた。
その密かな楽しみが、西八王子駅構内のキオスクに置いてある官能小説をちょっとだけ立ち読みすることだった。
日曜の昼下がりに、前屈みになった小学生が一心不乱に官能小説を読み漁る光景はミスマッチだっただろう。当時は気にも留めていなかったが、店員さんも気づいた上で黙認してくれていたんだと思う。「官能小説の立ち読みはしないでください」「小学生が読む本じゃないですよ」という台詞の言いづらさも奏功して、僕は誰にも声を掛けられずにこの時間を楽しんでいた。
僕は、毎週日曜日、電車を待つ数分という僅かな時間を積み重ね、丹念に官能小説を読み進めていった。

僕はこの時の興奮を思い出したのだった。
自分で官能小説を書けば、金もかからないし、親の目を気にする必要もない。しかも書けば書くほど選択肢が増えていく。これは永久機関だと思った。
二つ折りの携帯の小さい画面からメモ帳を起動し、新規フォルダを開く。
僕は思いのままに筆を走らせた ──────

ある程度まで書き進め、一度これでやってみようと思ったとき、僕は重大なミスに気づいた。
自分で書いた官能小説は、一切興奮できないのだ。
書いた時の思考も、その後の展開も、読むたびにすべて分かってしまう。右手の親指で十字キーの下を押して画面をスクロールする。僕は左手を持て余したまま、メモ帳の最下段まで辿り着いてしまった。
僕は絶望の縁にいた。
これだけ頑張ってワクワクしながら書いたのに、何の役にも立たないのか。
僕は小さな頃から作文が得意だった。十余年かけて培った作文の知恵を集約して官能小説を書いたのに、この程度のものしか書けないのか。
自分で自分を興奮させられないものなんて、書く意味が無い。

官能小説は諦めよう。
そう考え筆を折った僕は、「削除」のボタンに手をかけた。
その後はというと、僕は親にかけられていた携帯のフィルタリングを外すため、4桁の暗証番号を「0000」から10000通りを試し打ちするための途方も無い旅に出たのだった。

このエロへの探究心がもたらした僕の密かなる戦いが一段落するのは、2013年、僕が高校一年の初夏の頃だった。

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