見出し画像

対人ストレスから解放されたフリーランスの末路(体験談)

精神疾患や生きづらい性格を抱える人の中には、会社で働くことが苦痛で、フリーランスになることを夢見ている人がいるかもしれない。

筆者は、ある精神疾患を持っているため、集団の中で穏便になじむのが困難であるためフリーランスを選んでいる。過去3年間は会社にフルコミットをしたが、2018年度は、ほとんどの時間を自宅で過ごす働き方をした。

在宅勤務のフリーランスは、仕事依頼さえ安定していれば、はたから見るとストレスフリーな働き方に思えるかもしれない。確かに、会社生活で感じるようなストレスから解放されるのは事実だ。しかし、フリーランスだからこその悩み、葛藤というものも新たに生まれてくる。

この記事では、在宅勤務のフリーランスになったからこそ生じた生活上の問題点について記述する。n=1の個人的な話ではあるが、筆者は大したパッションもない凡人なので、真似できないような成功者の体験談よりは誰かの役に立つと思って発信する。

1)「廃人化」に全力で抗い続ける意思が必要

会社に入ると、自分以外の誰かのために時間を使うことになる。一方で、フリーランスの生活は、誰かのために時間を使わなくてよい。100%自分の望むように時間割を設計でき、関わる相手も自由に選べる。気に入らない仕事相手に、感情的に失礼な態度を取ってしまったとしても、会社や上司の面目をつぶすことはなく、自分に悪評が立つだけで話が終わる。

嫌なものはすべて排除できる。限りなくストレスフリーにできる。これがフリーランスのメリットであることは間違いない。

しかし、不思議なことに、不快な気持ちを排除し続けていると、楽しい気持ちも失われてくる。嫌なことを排除した生活において、何をすれば自分を喜ばせられるのか、それが分からなくなってしまうのだ。「楽しい」という気持ちは、不快な気持ちとセットでしか存在しえない相対的な感覚であることを実感する。

また、ストレスを排除しまくっていると、今まで当たり前のように出来ていたことができなくなる。筆者は週5日・8時間勤務で出勤していた時代、毎朝弁当を作り、夜も自炊していた。風呂も当然、毎日入っていた。しかし、在宅勤務が長くなると、料理が億劫となり、完全栄養食BASE PASTAに頼る機会が増えた。さらに風呂は、長い髪を乾かしたり入念な全身保湿を行うとトータル1時間は要するため、これも億劫に感じられ、3日に1回程度しか入れなくなってしまった(さすがに危機感を覚えたので、現在は昔と同じペースに戻している)。

つまり、簡単に言えば、廃人街道まっしぐらになるのだ。筆者のかかりつけのカウンセラー氏は、在宅勤務になる前「人はストレスをなくしすぎると廃人になるよ」と警告してきたが、本当だった。恐ろしいほど退廃的になり、布団の上で鬱々と思考をこねくりまわすだけの時間が増える。

フリーランスとして生きる上では、廃人へのいざないに強く抗う姿勢が求められる。ストレス排除を目的としてフリーランスを望む人は特に注意したほうが良いだろう。

2)せまる老衰死、1日1食で満ちる腹

「家でもやれる仕事を、なぜ出社してやらねばならぬのか」

毎日満員電車に押しつぶされながら出社していると、出社に要する労力や時間がひどく無駄に思えてくる。一方、PC作業のみですべてが完結するフリーランスは、ずっと家で仕事をすることが可能。満員電車でエネルギーを削がれることはない。

しかし、在宅勤務になって思い知った。出社に伴う身体活動が、いかに自分の健康を支えていたかを。

引きこもっていると、体力や胃腸機能が恐ろしく低下する。その変化は、1日1食で十分腹が満ちることによって示される。それ以上食べると、胃腸は消化拒否。1日3回食欲を満たすことは、動物としての日々の小さな喜びの一つだ。引きこもっていると、それが奪われてしまう。

もともとBMI16程度の痩せ型の筆者は、30kg台に突入した。毎朝やっていたラジオ体操すら息が上がるようになり、次第にやらなくなる。本当に体が動かなくなるのだ。精神と同様、人の体はある程度ストレスを受けていたほうが健全であるのか、休息を取れば取るほど慢性的な倦怠感や頭痛に苛まれ、ますます動けなくなる悪循環

筆者はここから抜け出すために、ジムに通い、AppleWatchを購入して1日あたりの目標消費カロリーを設定・達成することで、なんとか持ちこたえている。ちょっとでもサボると、1日1食の魔の手に引きずりおろされる。なお体を動かすことは怒りの解消にもつながる。エネルギー保存の法則は感情と運動の間にも存在した。

PC作業を主軸とするフリーランスの生存に何よりも欠かせないのは、毎日体を動かす努力だ。まだ20代なのに、寝たきりや老衰死が他人事ではなくなる。私は何度か自殺未遂をしているし、自傷行為の常連であったが、身体機能の低下によってじわじわと殺されていくほうがはるかに恐怖に思えた。

3)自己存在の定義が崩壊する

サラリーマンが、仕事に飽きたり嫌になったりしても特定の仕事を続けられるのはなぜだろうか。

理由の1つは、人の目と評価軸が明確に存在するからだ。

会社に属している限り、「営業マン」「採用担当」「編集者」など、さまざまな肩書が自分に自動的に付属する。その肩書きありきで自分という人間が他人の目に映される。ゆえに、自らも、知らないうちにその肩書きを演じるためのマインドに変わり、その肩書きに準じた目標を見つけるなどして、建設的な行動を起こすようになる。

また、会社は評価軸を明確に与えてくれる。半期の目標、業績レビュー、表彰制度、上司からの期待。どんなに茶番めいていても、それらで高評価を出すことをしておけば間違ってはいないので、日々行動すべきことが自動的に決められる。

現役サラリーマンにとっては些細なことに思えるかもしれないが、こうした人の目と評価軸は、人を動かし続けるために重要な要素だったのだ。

引きこもってどの界隈にも所属しないでいると、自分が何者なのかが完全に分からなくなってくる。独立当初は、独立前に続けていた仕事の一部を継続する形で自分の定義を維持していたが、クライアントと接するのがリモートばかりの生活を1年も続けると「私って結局、何の人なんだっけ?」と疑問が膨張してくる。

会社に行く。特定の界隈の人と定期的に接する。これらの行為は、自分の定義を確認する行為でもあったのだ。

特に筆者は、嫌なこと・やりたくないことは無限にあるが、仕事としてやりたいことは特にない。結果として稼げれば、手段としての職業は何でもよい。「成功するまで数を打てば成功する」という発想で、クライアントワークとは別に稼げそうなことは手あたり次第手を出している。FX研究、バイアウト狙いのサービス開発、メディア運営などなど…。

しかし、一つの手段を完遂するために構築したプロセスを日々淡々とこなしていくのはなかなかに難しい。なぜなら、フィードバックがないからだ。成功には成果の出ない下積み期間が必要ではあるものの、人からの勇気づけも成功の保証も一切ない中でそれを行うのは、簡単なことではない。

稼ぐことではなくビジョンの実現そのもの(たとえば、ミドリムシで飛行機を飛ばす!)に強いパッションがあるような人はできるかもしれないが、筆者は刹那的で飽き性で、物事を長期的に見る視点に致命的に欠けている。一人の世界に黙々と没頭するタイプではなく、他者の注意を引き付けていないと気が済まないタイプだ。

ゆえに、堕落せず建設的な行動を積み重ねるためには、人の目と評価軸を意識的に用意する必要がある。評価軸に関しては、最悪何もしなくても困るのは自分だけであるので、「誰かが困るからやらなきゃ」というような強制力のある評価軸を一人で作るのが難しい

さらに、「成功に向けて頑張っている自分」「ライターとして活躍している自分」のような虚像を映す鏡としての他者の存在が欠かせないが、これまで色恋以外の手段で人と親密になる作業をほとんどしてこなかったことや、現在は自分の定義や趣味も不鮮明であることが理由で、お互い勇気づけ合えるような新たな交友関係の作り方が見い出せずにいる。人の目を作るのも難儀する。

行動の目的、モチベーション、自分のアイデンティティ。在宅勤務フリーランスは、自己存在のすべてを揺るがす働き方だった。

認知上の出来事はすべて茶番ではあるが、自力で稼ぐためには、自ら茶番を作り出し、積極的に茶番に乗っかっていく能動性が欠かせない。さもないと、方向性を度々見失い、思考に溺れながら時間を浪費してしまう。

結論:ビジネスモデルとアイデンティティを誰かが用意してくれるのはありがたい

「サラリーマンは、不当に搾取される存在である」

ネット上には、そんな言い回しで、独立を煽ってくる人たちがいる。

しかし、彼氏やネットで出会った男性以外の人とほとんど接さないフリーランス生活を1年以上続け、すべてのスケジュールを自分で決定し、廃人化と老衰死に抗いながら自力で稼ぐ方法を模索し続けた結果、サラリーマンへの印象は変わった。

誰かが考えたすでに回っているビジネスモデルに乗っかるだけで、お金が発生すること。外的要因によって自分の中にモチベーション、ひいてはアイデンティティを自動的に生み出してくれること。これらは大変ラクチンでありがたいことだった。

サラリーマンとは、仕事に要する労力を差し出す代わりに、自己決定に要する労力を省いてもらえるシステムなのだ。

元職場をやめる前、元同僚に言われた。

「すべてを自分で決めなきゃいけない生活って大変じゃない?」

すべてを思い通りに動かしたかった幼稚な私は答えた。

「すべてを他人に決められた通りにする生活って大変じゃない?」

あれから1年経った今の私は、相変わらずフリーランスを続けるつもりではいる。できれば一度、自分で作った事業や会社を売ることを成功させてみたい。

しかし、時折ふと思うことがある。

「もしも誰かに求めてもらえるならば、もう一度どこかに所属してもいいかもしれない。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?