Xtendチーム座談会 その2 (インタビューシリーズ第7回)
前回に引き続き、X線分光撮像衛星XRISMに搭載されるX線CCDカメラ、Xtendの開発チームの座談会をお届けします。登場するのは、
冨田 洋さん(JAXA)、
森 浩二さん(宮崎大学)、
中嶋 大さん(関東学院大学)、
吉田 鉄生さん(JAXA)、
です。
お互い気心しれたチームという印象ですが、逆にやりにくいことはありますか?
冨田)特にないかな。
森)距離が近いからこそ”なぁなぁ感”が出ることもあるが、そこも改善できているし、気心知れたメンバーでの開発はプラスしかないという印象です。
これまでも年に何回かは顔置合わせていたので、家族(ファミリー)という感じ。チームには歴史があって、冨田さんは長男世代ですよね。
冨田)X線天文業界が国内になんとなくあって、その中にCCDチームがなんとなくあって、Xtendメンバーの多くは皆そこのチーム。日本でCCDやるならそこだ、という感じ。
日々どのようなお仕事をされていたか、教えてください。また、その中で印象に残っていること、苦労したこと、エンジンかかった瞬間などあれば教えてください。
冨田)もともとハードウェアを触るのが好きなのですが、今回は、IM (Instrument Manager)として、本格的にマネジメント業務に携わりました。印象に残っているのは、その仕事。例えば、メーカーとコストの調整を行ったり。
苦労したのは、CCD異常事象。一方で、不具合が起きると、「やってやるぞ」、「ここは私の腕の見せ所」という気持ちになるので、そこまで悲観的にはなりませんでした。
荒井さんもおっしゃっていた「明るく悩む」というマインドかも(注3)。
私はサイエンスが好きなので、もしかすると不具合=謎と脳内変換していて、”謎の解明"に近い感覚かもしれない。未知のものを解明する事への活力かな。
もちろん、一人で全部はできず、皆に助けてもらってやらないといけなくて、皆でうまく協力して乗り越えられたと思う。100点満点かは分からないけれど、合格点。
森)私は、近くにご神体(フライト品)が無い状況で、何ができるかを常に考えていました。ちょうど、キャリブレーションに係る業務などをやっていたとき、そんな時に、CCD異常が起きて・・・ もう、Xtend開発に係る全ての記憶を上書きする様な衝撃的な出来事でした。その後は、CCD異常の原因解明と対策に全力投球です!
この歳になって、皆で侃々諤々、朝から晩まで議論して、実験して、解析して、この異常事象を解決していくのは、不謹慎かもしれませんけど、面白かった。
CCD異常の件で、前島プロマネや戸田サブマネと議論して、こういう考え方があるのかと、これまで知らなかったやり方で、考え方を整理したりしました。こういう、大学ではなかなか学べないことが学べて、実は、前島・戸田との議論も楽しみにしていました。
もちろん、原因究明中は本当にどうしようと思っていたが、こんなアドレナリンが出る機会なかなかないし、仲間たちと苦難を乗り越えることができたと思います。
つくづく、優秀な仲間がいっぱいいるなぁと思いました。自分の考えていることが正しいか、皆で意見を戦わせるのは面白かった。
中嶋)私は、大学院時代の先輩やポスドク時代の後輩などが関連するメーカーにいてくれて、彼らと一緒に開発を進めるのが楽しかったです。それから、ASIC (注4)のFM(注5)を自分の研究室で取り扱っていて、これがいずれ宇宙に行くのかと、良い緊張感をもって開発に従事できた気がします。
森さんも言われていますが、CCD異常事象はそれまでの開発に関わる苦労も喜びも、全ての記憶を塗り替えるほど衝撃的な出来事でした。このチームで解決できなかったら誰も解決できないと思っていたし、なぜか、きっと最後はうまくいく、僕らならできる、と妙な自信もありました。当時は、寝ても覚めてもCCDの異常事象のことを考えていました。
今となっては良い思い出になりつつあります。でもまだ原因究明を含め全て解決したわけではありませんから、気を引き締ねばと考えているところです。
吉田) 私は、経験も知識も他のチームの人と比べると足りないので、常に心がけていたのは「他の人が100%試験に集中できる環境を整える」ということ。メーカとのやり取りや機材の輸送など、サポートに徹していました。
一番大変だったのは、試験設備の調整。 特に、他プロジェクトとの干渉調整が大変でした。熱真空試験なんて、4月の予定が10月になり、何回調整したことか・・・ ただ、XRISMだけでなく、いろんなプロジェクトが同時進行で進んでいるんだという実感もありました。
私にとって、エンジンかかった瞬間は2つ。
1つ目は、NEC府中事業所でXRISM衛星本体を初めて見た瞬間です。それまでのFMは資料の中だけの存在だったのでとても感動しました。
2つ目は、CBF(注6)の音響試験に参加したときです。これが私にとっての初めての試験でした。1つの試験をするために本当にいろいろな調整や準備が必要でとても大変でしたが、初めて試験担当として活躍しているという思いが湧いたことを覚えています。
(その3 につづく)