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「アポカリキシ・クエイク」#2

【承前】

その時の地震は、そう大きなものではなかった。震度4、ぐらい。けれど、ぼくが感じた心的衝撃は……。

雷電、ですか。『雷電為右衛門』。江戸時代の、史上最強の力士……!」

アパートの一室。谷松老人の力場のためもあってか、ものが倒れたりはしなかった。ぼくには……谷松の言葉が、もはや狂人の戯言とは思えなかった。あれを見た。体験してしまった。世界のほうが狂いだした。いや、ぼくの常識が、異常な世界から目を逸らしていたに過ぎない。世界はもともと、常識で図り知れるようなものではない。

「そうだ。釈迦ヶ嶽の師匠に雷電為五郎がいるが、そちらではない。南海トラフを揺り動かしたのは、為右衛門だ」
「なぜです。何百年も前の力士が、なぜ?」

谷松は、深い溜息をついた。ぼくの無知に呆れたわけではなく、心底深い問題を、一から詳しく論ずるために。

「彼らは、その本人ではない。普通の人には『見えない』、『大地のエネルギー』を感じ取れ、と言っただろう。霊的な存在なのだ。神がかった力士は神と、地霊と合一し、死後その情報は大地に刻まれる」
「……つまり、あれは、だと」

ぬるくなったお茶をすすり、谷松は頷いた。そして、滔々と喋りだす。

「そのようなものだ。多神教で言えばだが。―――いや、仏教やバラモン教、ヒンドゥー教では、あれらを阿修羅(アスラ)とも呼ぶ。地下世界パーターラを支配し、地軸を動かし、天上界の神々の支配を揺るがす悪魔と。そうした側面もある。オリエント、ギリシア、ケルト、北欧……世界中の神話に現れる巨人族。それは、力士のことだ。仏教では彼らを護法善神として取り込み、金剛力士……いわゆる仁王としている。かつて、あのような力士が世界中にいた。聖書にもこうある」

 "人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。"
 ―――旧約聖書『創世記』6章1-4節

―――ぼくもかつては、力士の端くれだった。四股名は「葦の海 渡(あしのうみ・わたる)」。怪我で引退し、今はしがないちゃんこ屋だ。土俵で活躍出来ない分、若い奴らに頑張ってもらいたいし、現役力士や先輩たちには最大限の敬意を払う。個人的に相撲の歴史を学び、それなりの知識を得た。それがまさか、こんな事態に巻き込まれるとは。

「あ、あの。あなたは何者なんです。なぜそんなことを知って……さっきの超能力は……ええと、そもそも、なぜぼくを訪ねて?」

谷松は右掌を向け、ぼくを制した。質問が多すぎた。これから少しずつ知って、呑み込まねば。

「まず……葦の海君。『ヨハネの黙示録』を知っているか。新約聖書の最後の書を」
「はぁ、知識としては。うちは仏教ですけど」
「聖書には数多くの偽典、外典がある。正典に含まれなかった書物だ。その中のひとつに、これがある」

谷松は、鞄から古びた本を取り出した。分厚く、重い。黒い革表紙の装丁。
「大正時代、ワシの曽祖父が手に入れた。ギリシア語の古い写本から訳されたものだ。原典はパレスチナのサマリヤ地方にあるという」
大正……百年前……まさか!?
「そうだ。関東大震災も、彼らの仕業だ。ここに予言されていた通りな」

その表紙には、こう記されていた。

『黙力士録(アポカリキシ)』

続く

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