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”無常”という冥界の使者『中国の死神』大谷亨

評判がよい本はぜひとも読みたいです。この本を読むまで、中国には無常(むじょう)という地獄の使者(寿命が尽きようとする者の魂を捉えにくる)がいることを知りませんでした。序論からいきなりワクワクです。

そもそも無常は仏教の概念で、日本人的には「祇園精舎の鐘の声……」をすぐ連想してしまいますが、本来の意味は「Everything changes(この世の一切は生々流転する)」→「人はいずれ死ぬ」ということで、「無常≒死≒死の象徴の勾魂使者」と呼ばれるようになったのだとか。

本当はもっと早く読み終えたかったのに、序論の3ページめにいきなり、『山河令』という中国のドラマに無常が登場するという記述があるじゃないですか!? これは予習が必要です。というわけで、未見だった『山河令』もとうとう履修することになりました。おもしろかったです。

さて、この『中国の死神』という本は大谷さんが大学院生の時代に、中国をフィールドしたり、資料を集めて書いた博士論文がもとになっています。でも、フィールドワーク部分は写真がたくさんあるのでおもしろいし、資料編も論文よりはずっと読みやすいと思います。

厦門(アモイ)大学に留学した大谷さん。スマホやデジカメやノートパソコンを持ち、大学名の入ったTシャツを着て(田舎で外国人うろうろして怪しまれないため)、中国南部の福建省を中心に各地で「無情」をまつる廟を探してあるいた話は、かわいいイラストとあわせて冒険エッセイみたいに楽しいです。

イラストにあるいくつかの必須持ち物の中で、「小麦粉」だけが意味不明でしたが、中国の寺や廟の石碑に刻まれた細かい字をはっきりさせるために、表面に小麦粉を塗るのだとか。拓本を取るのではなく、小麦粉を使うとは驚きです。そして、このやり方をするアモイ大学などの歴史学系フィールドワーカーは「小麦粉学派」を自称するとか。おもしろすぎます。

さて、『天官賜福』のおかげで道教の初歩的知識を再確認ので、中国の"鬼"は死者の霊で、日本の赤鬼青鬼とは全然違うことは知っています。そして、中国の漢民族の宗教世界は、上から下に「神界(天庭)」「人界)」「鬼界」の三層構造なことも理解しました。三界を支配するのは最高神の玉皇大帝です。

ただ、『天官賜福』は天官の世界がメインのファンタジーだったので、鬼界については本来の官僚制を省いて、ざっくり描かれているだけでした。なので、この本で鬼界にもちゃんと官僚制度があって、東嶽大帝という閻魔大王がいて、人々の寿命を司ると知って驚き&わくわくです。

東嶽大帝が「◯◯はもうじき死ぬから捕まえてこい」と指示すると、部下の城隍神がそれを聞いて、さらに部下の土地神や竈神、勾魂使者(無常)に指示が伝達されます。

死んだら、良い人は天国へ、悪い人は地獄へというのは日本人的感覚。でも中国では、死んだ人の霊魂は一旦全員「鬼界」に行きます。天寿を全うして、子孫がちゃんと祀ってくれると「良い霊魂」になれますが、寿命以前に死んだり、祀ってくれる子孫がいない場合は「悪鬼」になって人界に悪さをするのだとか。

中国近代の歴史では、例えば西太后の墓を軍閥の孫殿英が暴いて、埋葬品だった真珠を蒋介石の妻宋美齢に献上したとか、日中戦争中に日本側に協力した汪兆銘(汪精衛)の墓が爆破されたとかの有名な実例を、私はてっきり名誉の問題だけだと思っていました。

でも、この本の説明を読んで、ようやく「りっぱな墓に祀る=悪い鬼にならない」の理屈を理解しました。そして、中国の歴史(ファンタジー)ドラマで登場人物たちが、やたら肉親や友人の墓にこだわる意味もわかりました。ドラマ『陳情令』(原作『魔道祖師』)では、惨殺されて埋葬できなかった肉親や仲間の衣服の切れ端や持ち物を、10年以上たってもわざわざ探して塚をつくろうとしていたことの意味も同じですね。納得。

無情みたいな冥界の神は、日本的イメージでは地獄の使者で悪いこともしそうな感じなのですが、中国的には違います。悪いことをする悪鬼(つまり悪い人間の死者の霊)を処罰するのが仕事。そして、なぜか行きている人間の悪人も処罰すると考えられていて、現在ではむしろ後者がメインになっているとか。だから、東嶽や城隍の祀られている廟に無情もちゃんといるのだそうです。

でも、ドラマの『山河令』では、無常鬼、白無常、黒無常たちは悪い役柄でした。原作の小説『天涯客』もファンタジーなので、作者のオリジナルなのか、それとも現代的には鬼=悪イメージなのか。時代により、地方によっても人によっても多分いろいろ違いそうでおもしろいです。

大谷さんの本では、フィールドワーク編で無常の像や絵を探し、その次は無情のお祭りの舞(踊り?)などを見て歩きます。広い中国、各地でいろいろ違う無常がカラー写真で見れてうれしい。そして、文献編では無常がいつ頃、中国のどんな文献にどんな絵や役割で登場して、そういうものが時代の移り変わりの中でどう変化していったのかを紹介してくれます。

福建がメインの無常なので、大谷さんは台湾や金門島もフィールドワークしています。台湾海峡を挟んでの文化や風俗の往来、それぞれの独自発展。興味はつきません。

菊池章大先生の2冊に続いて、大谷さんの本を読んで、中国の生死観とか、天界と鬼界が天国とは違う、中華圏独特の道教+仏教+αの生活空間がわかって、中華ドラマの歴史ものや仙侠ものの解像度もかなりあがった気がします。今後は1.5倍楽しめそうな予感。


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