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パーティに参加して考えたこと

僕は普段、プレオープンや記念のパーティには出席しない。
誘われても出席しないでいたら誘われなくなった。
もちろん全く問題ない。

しかし、全てのパーティに欠席するのか?と問われるとそんなことはない。
結婚パーティは必ず出席する。
親しい友人の記念パーティにも出席する。
パーティそのものは好きじゃないが、親密な友人に心からの自然な祝意を表すことは大切にしたい。
ただ親密な友人が少ないので、その機会がないのだ。

この度、友人が営む飲食店の周年パーティがあり出席した。
知り合いがいなければ挨拶だけして早々に帰ろうと考えていたが、意外にも色んな人から話しかけられた。

「テレビで紹介している店って本当に食べに行ってるんですか?」とか「子育てしていた頃、子供が大きくなったら紹介されている店へ食べに行くんだ!と心の支えにしていました」とか色々だ。
面識がなくても、多くの人に影響を与えているんだと実感した。

ある有名なブーランジェリーの店主は「ウチがオープンしてすぐ、お客さんが全然いない頃に紹介してくださって、本当に助かりました」と言われた。
今では店を訪れてもなかなか買えない大人気店だ。
僕は紹介したことすらほぼ忘れていて、指摘されてぼんやり思い出したくらいだが、そうか、昔の僕、グッジョブ!と感じた。

この間、初めて訪れた店で入店するなり「やっぱシャオさんだ!予約の名前を見て、昨夜は眠れませんでしたよ」と言われた。
え?誰だっけ?とぽかーんとしてしまったが、昔、有名なリストランテに勤めていた若者だった。
「初めて出会ったのは20年くらい前じゃないですか!もう若者じゃないですよ」と笑われたが、話をしていると少しずつ思い出して来た。
「シャオさんに色々指摘されて、助けてもいただいて、本当にありがたかったと思ってるんです」と言う。
え?そんなに厳しいこと言った?さらに助けたって何を?と思い出せなくて再びぽかーんとしてしまった。
しばらくして少しずつ思い出してきて、ああ彼はあの時のことを言ってるんだなと理解した。

長くこういう活動を続けていると、良かれと思ったことを逆恨みされたり、全く見当違いの嫌われ方をしたり、会ったことすらないのに敬遠されたりと色々ある。
でも僕は僕が良いと思う店だけを紹介するというスタンスを30年間変えずにやってきた。
そのことを評価してくれる人たちが少しでもいてくだされば僕は十分だ。
僕が良いと思わなかった店でも、他の誰かが良いと思ってくれれば、きっとその人が自分の価値観に信念を持って紹介してくれるだろうし、その紹介を受けた人が客として訪れてくれるはず。
信念を持って語る言葉は伝わるからだ。

パーティは続いていたが先に失礼しようと思い、店を出ようとすると会場となっているレストランのご夫婦が駆け寄ってきて話をしたいと仰った。
それならばとビールを追加し話を聞くと、自らの料理人としての経歴やなぜこの店をやることに至ったのかを語ってくださり、シャイだけど熱い人だと感じた。
すごくオシャレな店で「映え」を狙っているのかな?と感じていた僕のほうが勘違いしていてごめんなさいと謝りたくなった。

僕が苦手なのは、時流に乗って儲けてやろうとしている店で、そういう店は短期間に出店費用を回収しようとする。
それでも流行りの店で写真を撮りたい客が短期間に大勢来るので、提供している料理と値段のバランスが悪くても構わない。
どうせ一度来て、写真を撮ればもう来ないのだから、できるだけ払ってもらえるように上手く仕組みが作られている。
そして流行りが過ぎれば閉店し、また次の流行りの業態に切り替える。

逆に僕が好むのは10年先を見越して営業している店だ。
10年後にはどういう姿でありたいのか、ビジョンを掲げ、そこへ向かって努力を続ける。
おいしい料理を適正な値段で提供し、贅沢ができなくても家庭を持ち、子供を養う。
そういう姿を見せることは、次世代の料理人のタマゴに対し「こういう料理人になりたい」というロールモデルとなる。
その店で働いた料理人が独立し、影響を受けた料理を提供すれば、店のDNAが引き継がれたようなものだ。
それは料理人として生きた証になるし、その料理は街の財産になる。

レストランをビジネスと捉えるのか、カルチャーと捉えるのかの違いといえるだろう。
もちろん比率の問題で、どんなレストランにも両方の側面があるけれど、僕はカルチャーを重視する。
想いだけ空回りした料理はNGだが、料理人の想いが皿の上にしっかり展開された料理が好きだ。
口頭で綺麗事を述べても、皿の上が誤魔化された料理であれば、どんなにおいしくても僕は高い評価をしない。
そのためには僕自身が学び続けていなければならないし、謙虚でいなければならない。

騒がしいだけのパーティは空虚だが、参加者との会話から思考を紡ぐことができれば新たな発見と学びになる。
今回は発見と学びを得ることができた。
たまにはパーティに参加してみるものだ。
そういえば僕にしては珍しく、来月も祝賀パーティがあるので、そこでも何か得るものがあることを願っている。

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