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短編小説#B

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基本独立した世界観のもの
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#短編小説

生の定義

 生まれるという言葉の定義が自我を持ち得た瞬間であるなら、僕が生まれたのは現在より遥か昔、今となっては気が遠くなるほど前の話になる。ただ身体も小さく手足も細ければ、この狭い場所から抜け出すことも侭ならない。それが僕の生まれ持つ性質であり、それは兄弟と呼ぶべきものもまた同様だった。僕らはみな同じなのだろうと思う。ここは暗くて狭いが、頭上が覆われている分、雨を浴びずに済むのがいいところでもある。ただ正

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目に映るものは

「なるほど。つまりそれが貴女の主張ですか。解りました」

 そう呟く声に安堵の息をついたのも束の間、

「ですが事実とは随分異なっているようです。ならば貴女には真実を知る義務があるでしょう」

 と付け足され、背筋に嫌な感覚が走る。嫌々と首を振り顔を覆い隠そうとするが私の前に立つ裁判官のような男性が腕を一振りするだけで、見えない何かによって引き剥がされた。そして強制的に正面を向く。突如として男性と

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一個食糧七日分

「あっ」

 と間の抜けた声が出る。ココア入りのマグカップを手に、自室に戻ってきてすぐその変化が分かった。デスクの上に置いてある青と緑、灰色のマーブル模様に白い斑がついている球体。座ったとき丁度いい高さになるよう調節して浮かべている。その表面がチカチカと明滅しているのだ。僕はココアを零さない為に慎重に歩いてデスクの前まで行くとマグカップを置き、少し奥の方にあるそれを細心の注意を払って引き寄せた。も

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幻の邂逅

 角を曲がった拍子にぶつかりそうになって、お互いに気付き、微妙にズレたタイミングで一歩下がった。知った顔に浮かんだ知らない表情。見下ろすその子の視線が不意に外れ、彼女はぺこり頭を下げた。違和感を覚えたがそれをその子のか細い声が搔き消す。

「あ……あの、すみません。人違いでした……」

 言って俺の返事を待つ間もなく踵を返し、ひと気の多い大通りへと戻っていく。小走りに駆けていく様にも既視感が募って

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ワンタップのスキでも

 寝ぼけ眼で枕元に置いてある筈のスマートフォンを手繰り寄せようと、布団を這い出した腕で辺りを探す。狭い部屋だからすぐ見つかって、わたしは片手で掴むには大きいそれを布団の中まで引きずり込んだ。煌々と輝くディスプレイが眩しい。痛さに仏頂面になりつつ、わたしはロック画面に表示される通知に目を凝らした。そしてある文字を見た瞬間に一気に覚醒して、勢いよく跳ね起きる。このところ寒さに敗北しっぱなしだったけど、

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神様という名の実像

 ——あたしはどうすればいいの。どうしよう。そんな言葉ばかりが頭に思い浮かんで、足は部屋の中を行ったり来たりするだけ。何もしてないのに汗が頬を伝ってきて、手の甲でぐいと拭った。学校の行事で大役を任された時と同じ、全身が火照ってクラクラとするあの感覚。心臓だって普段は全然意識することがないのに、ずっとうるさく響いてきて、地団駄を踏みながら自分に怒りたくなった。馬鹿馬鹿何やってんのよあたしって、でも本

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神様という名の■■

 ——今日もつつがなく世界は回っている。神様がいなくなっても何も変わらなかった。一日が経ち一年が過ぎ、十年を越え、その後は数える気にならなかった。あの人がいないのに生きる意味なんかないし、誰が生きようと死のうと、世界が再生しようと滅びようと全部がどうだっていい。だというのにおれは生贄としての役目を果たさずに逃げ出して、遺跡で燻っていた時と何も変わらないまま、消極的な方法で自分の死を待ち侘びる子供だ

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神様という名の虚像・黄

 ——馬鹿馬鹿しい。そう唾棄しかけてすんでのところで踏み留まる。曲がりなりにも上官の前だ、私はこの男のことを慕ってはいないが、失言は己の目的を妨げる原因になりかねない。口を噤んで、真剣に演説に聴き入る振りをする。それが一体いつまで続くかは気掛かりだった。部下の士気を上げて扇動する術を掌握している者であればそれもいいだろう。しかし、己が地位を誇示したいだけのこの男の言葉には何一つ重みが存在しない。む

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神様という名の虚像・青

 ——物心ついた頃、自分が人と違うんだということをおれは嫌というほどに思い知らされた。元から両親や兄弟や村人たちから優しくされた記憶はこれっぽっちもなかったが、少なくともこの家で暮らしてご飯を食べて生きる、それくらいの価値はあるんだとそう思い込んでいた。それが間違いだったと気付いたのは馬鹿なことに、父親からお前を生贄にすると言われた瞬間だった。頭の中が真っ白で「え?」とたった一音を呟き、そこからも

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神様という名の虚像・赤

 ——腹が熱い。最初に感じたのは熱の方だった。その数秒後には痛みが追いついてきて、視線を落とせばまだ成熟しきっていない小さな手がしとどに濡れて、灰のような白が赤く塗り潰される。そしてそれは雨のようにカーペットに染み込んでいくのだろう。実際に目の当たりにすることはないけども。耳鳴りに紛れつつ、微かに水音が響いている気がする。しかしもし錯覚なのだと誰かに諭されたなら、そうなのかもしれないと納得してしま

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狩りの時間

 ——未だこの世界は過ちで溢れている。

 静謐に満ちた部屋に厳かな声が響いた。見えるのはせいぜいテーブルの上に置かれている蝋燭に照らされる口元くらいで、異様に低く、少し気を抜いただけで聞き漏らしかねない重苦しい声がそこから発せられること以外何も知らない。果たしてどんな顔をしているかは言うまでもなく、髪や目の色も年齢もまるで想像もつかないのが正直なところだ。そもそもこの妙に聞き取り難い声自体、加工

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死にたがりの死なない傭兵に愛を捧げる・裏

 足早に去っていく背中を見送り、そっと嘆息する。別にベタベタと仲良くしたいわけではないのだが、ああも警戒心を露わにされると少なからず傷付くのが人情というものだろう。誰に見せるでもないが肩を竦めてみせ、あの背中を預けていた草むらに目をやる。頭上を仰げばそびえ立つ木からポカポカ木漏れ日が射して、唇の端を釣り上げた。地面に縫い付けられた人間という存在がいくら同族で殺し合おうが、空に浮かんだ太陽も月もまる

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死にたがりの死なない傭兵に愛を捧げる

 吹きすさぶ冷たい風が髪と服とをはためかせる。ビュウビュウと鼓膜の奥にまで響く色は唸り声の——いや、まるで怨嗟の声のようだった。物言わぬ屍となった仲間たちの代わりに仇敵を一人でも多く倒せと叫ぶ。頬に付着した血は早くも乾き、手の甲で擦れば粉状になってそこにこびりついた。目より少し下の高さにある手を裏返す。手のひらはまだべっとり濡れていて赤い。血に塗れているのは顔や手だけでなく、元から黒色の生地なので

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異世界が実在すると証明された結果がこちら

 蛙が潰れたような声ってきっとこんな感じなんだろうな、というグエッと醜い音が僕の口から漏れた。これが就寝中じゃなく昼寝の最中だったら絶対胃の中身をぶちまけてる。そう確信するほど上半身を激しく圧迫されて、夢から現実へ一気に引き戻された。いつも通り勝手に開けられたらしい窓から差し込む光が照らすのは、見慣れたという意識すらもないほど当たり前にある僕の部屋の天井——のその前、あんまりな方法で僕を叩き起こし

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