狩りの時間

 ——未だこの世界は過ちで溢れている。

 静謐に満ちた部屋に厳かな声が響いた。見えるのはせいぜいテーブルの上に置かれている蝋燭に照らされる口元くらいで、異様に低く、少し気を抜いただけで聞き漏らしかねない重苦しい声がそこから発せられること以外何も知らない。果たしてどんな顔をしているかは言うまでもなく、髪や目の色も年齢もまるで想像もつかないのが正直なところだ。そもそもこの妙に聞き取り難い声自体、加工している故の不鮮明さが原因である。今自分が想像できる性別さえ、正解か疑わしい。まあ彼であれ彼女であれ年上だろうが年下だろうがこの活動をするにあたって一切関係のないことだ。重要なのは、所詮は有象無象の集団に過ぎない我々を束ねる力量がある一点だけ。裏を返せばもしそうと思えなくなったなら、容赦なく見捨てるということだ。その思想はおそらく全員に共通する点ではなく、結果的には分裂となるのかもしれないが、元から表舞台で活動しているわけではないのだ、大きな影響を出さずに済む筈だ。それに万が一我々がどうにかなったとしてもまた第二第三の組織が生まれていく。この世界はそういう仕組みだ。それに、近年は多数派の暴力に屈すことなく、少数派が己の主張を声高に叫ぶ時代である。一つの声は渦となってこの国を、そしていずれ世界をも変えてくれるに違いない。

 ——この国の真実を知る我々が今変えねばならない。これまでの活動に対して、まだ目に見える結果が表れていないことを考えればあまりに長く険しい道だ。だがこの世に蔓延る過ちを放置し続ければやがて何が正しいのか分からなくなる。世界の全ては公平であるべきだ。その未来を実現する為に、如何なる労力も惜しまないと誓おう。我々だけは正しい行ないをし続けなければ。

 集まった人々は皆、沈黙を保っている。果たして淀みなく滔々と語られる演説に耳を傾けているのか、皆がフードを被り、顔を隠しているので窺い知れない。唇から吐き出されるのは幾つかの呼吸だけだ。興奮によって荒くなる息遣いも聞こえている。何となくあの人だろうか、と見当をつけた。とはいえ知っているのは、名前と呼ぶには感情を伴わないただの記号だ。顔を隠し名を偽ったところで、露出が増えるほどに真実へと近付くのは、自明の理だ。無論敢えて詮索する気はない。しても逆に自分が正体を晒すだけだ。貶めるつもりも馴れ合うつもりもない。
 ガタッ、と物音が聞こえ、そちらに目を向ければ喋るのをやめた代わりに、静かに立ち上がったのが見える。全身が黒一色に覆われているので、やはり体型すら分からない。ローブの前を開いてみせれば、中身は人ならざるものではないか……それは未知に対する想像力だ。こうして前にいて今すぐにでも存在を確かめられるにも拘らず、自ら手を伸ばそうとはどうも思えない。顔を知り名を知れば、それは確かな輪郭を持って人になる。ひどくつまらない真実だ。宇宙人でも幽霊でも、何者であったとしても、この今という時代を生きていない者が我々を牛耳っているなどとは、あまりにもチープな妄想だが。

 ——では、時間だ。各々が自らの為すべきことに当たれ。全ては、この国を正す為に。次世代を担う子供たちの為に。世界には絶対のものが必要だ。

 幾度となく繰り返されたその言葉を合図に各自好き勝手なタイミングで立ち上がって、そして、一人また一人と部屋から退出していく。しかし中には机を枕にして寝入っている者などもいた。誰も己の身分を明かそうとしないが、年齢も職業も皆バラバラなのは明白である。きっと無理を押してわざわざ参加しに来たのだろう。であればそうなるのも致し方ないことだ。このまま放っておけば活動はおろか本来の生活に支障が出る可能性もあるだろう。呼びかけることは出来るが……暫し躊躇って、結局はやめておくことにした。ここに来てからずっと何も言わずじまいだったが、必要にならなければ話さない人間は本当に一言たりと口にしない。その反対に喋る人間はとことん喋る。味方に揚げ足を取られるという可能性を考えていないのか。それとも一部の隙もない専門家なのか。であるなら、ありのままの姿を明かして、堂々とその正当性を語ってくれと思わないでもない。……おそらくそうではないのだろう。高尚な行ないをしている自分に酔っているだけの人間や軽視している人間は幾らでもいる。

 ——全てが、正しくあらねばならない。

 自らも退出しようと立ち上がった瞬間、ふとそんな声が聞こえてきて、浮かせた腰もそのままに声の主を見返す。顔を上げもせずに定位置に座っており、表情はやはり一欠片も読み取れない。独り言なのかもしれなかった。しかし姿勢を正すこともせずに暫し、その次なる言葉を待った。 

——ひと度許せば、過ちは伝播し人々は皆言うだろう。他の誰かが許されるのであれば、自らもまた許されるべきだと……。そうした傲慢がやがて綻びを生み、世界の理をも壊す。我々はその事実を決して忘れてはならないのだ。

 その通りだと口に出さず同意した。それを理解していない人間のなんと多いことかと嘆く。なにも若者が生み出す新しい文化を否定しようというのではない。在りし日の栄光を蘇らせようなどと思っていない。ただ道具は正しく使われるべきだと主張する。前提が崩れれば根底も揺らぎ、他者への信頼もままならなくなる……そんな不安を少しも抱いたことがないのか。この場に集う人間でも共感し得ないことなのだろうか。渦を巻いた疑念。だがその声は信じるに値する。ひとまずは。
 中途半端な格好から改めて立ち上がり、息をついた。この身体は疲労知らずなので便利だ。それを言い出すなら、そもそも現実に近付ける意味もないが。自らの与り知らぬところで決められていく現象に口出しする権利はない。出来るのは目の前で起きる間違いを正すことくらいだ。
 外に出てざっと辺りを見回していれば果たして先程まで同じ場にいた者なのかどうか、声がいうところの己の為すべきことを行なっている何者かがいる。

「それ、誤用ですよ。その使い方だと真逆の意味になってしまうので注意してくださいね」

 逆ギレされないよう穏当に指摘するも、された方はぽかんとした顔だった。じきに我に返ったようで、分かりました、今後は気を付けますと一息に告げると、まるで逃げるように指摘した相手から離れていく。しかし指摘した方は満足げにしているし、された方ももしかしたら、一生記憶に留めておいて二度と同じ過ちを繰り返さないかもしれない。繰り返すなら繰り返すでまたあの人間か別の誰かが間違いだと指摘するのだろう。
 意味を覚え間違えたまま使ってしまい、それが真意だと勘違いされて、すれ違うという事故はもう二度起きてはならない。そんな願いを胸に抱いて密かにエールを送り、歩き出す。自分もまた信念を持って見知らぬ者に声をかけるのだ。……歪んだ言葉を狩っていけば正しい世界がやってくるに違いないとそう願って。

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