死にたがりの死なない傭兵に愛を捧げる

 吹きすさぶ冷たい風が髪と服とをはためかせる。ビュウビュウと鼓膜の奥にまで響く色は唸り声の——いや、まるで怨嗟の声のようだった。物言わぬ屍となった仲間たちの代わりに仇敵を一人でも多く倒せと叫ぶ。頬に付着した血は早くも乾き、手の甲で擦れば粉状になってそこにこびりついた。目より少し下の高さにある手を裏返す。手のひらはまだべっとり濡れていて赤い。血に塗れているのは顔や手だけでなく、元から黒色の生地なので分かりにくいが、服もところどころ汚れてしまった筈だ。幾らか重みが増したように感じるのはきっと気のせいではない。——死体に紛れて上手く敵兵をやり過ごしたのだから当然のことだろう。地面よりよほど吸い込んだに違いない。木を隠すなら森の中とよく言ったもので、生き残りが混じっているなどとあの連中は疑いもしなかった。勝敗は決したも同然なのだから確認して回る余裕はあっただろうに。だからこそ、生き残りがいようがどうでもいいということだろうか。多少なりと戦闘訓練を受けた人間を全投入しても、無駄な時間稼ぎしか出来ない惰弱さだったのだから。
 実をいえば故郷に愛着などない。帰るべき家も待っている家族も元からいなかったのだ。軍学校に入ったのだって、隣国と一触即発の情勢を鑑みた政府がたとえ肉の盾にしかならずとも構わないと、誰にも教育の対価を求めなかったからだ。ただそうやって集まってきた、あるいは集められた子供は誰も、似たような境遇で生まれ生きてきた仲間だった。友人という名前で表すには重い。なにせそれまで生きる気力もなく、惰性のように生きて、本能的に死に場所を求めていた者が、全員で生き残って新たな人生を始めようと志したほどの関係だ。無論夢物語であることは承知の上だが、誰一人欠けてほしくないと皆が思っていたのは疑うべくもない。だというのにだ。
 結果、ただ一人生き残ってしまった。裏切り行為だ。だが腰に携帯したサバイバルナイフを取り、自らの喉元に添えるまでは出来たが、薄皮一枚裂くことも恐ろしく、後を追うなんてとても無理だった。それは感情に本能が反した結果ではなく、気持ち自体がついていくことを拒んだ故だ。己が本性を知るに至り、幼子のようにがたがた震えている最中。急所を逃れたが、出血の多さが既に死が免れないものであると明らかな、仲間の中で一番そりが合わず、口を開けば喧嘩ばかりしていた男が薄く唇を開く。瞳はぼんやり中空を見やって、溢れる声は酷くか細い。しかし、障害物も他の生存者もいないこの砂礫の中では、捉えられないものではなかった。この瞬間以降ずっと脳裏に焼きついている。それは、純粋な呪いだった。結局戦う以外の学を身につける暇なく、だからよく分からないが、一族に伝わる禁呪だということは知っている。使い損ねた寿命を他人に明け渡す術だ。心臓が熱く締め付けられて、痛いくらいに己の生を実感させる。——だからもう、死ねない。
 死なないのならば、無謀な復讐も可能だ。重たい身体を何とか起こし、敵の一団が去った方向を見る。一度駆け出したら飢えた獣のようにもう、止まらなかった。


 木漏れ日の下だろうとふかふかの寝台の上だろうと、瞼を下ろし、眠りに呼び込まれれば決まってあの日の夢を見る。青褪めた顔で無惨な身体を引きずっている変わり果てた姿の仲間が、口々に忘れるなと囁く幻影を見る。不死となったのだからきっと、一睡もせずとも生きていけるだろう。だが幼少時からの習慣とは恐ろしいもので、不要となってからの年月が遥かに長いというのに、悪夢しか見ないと知っていても寝ずにいられない。いや自らが人間だと実感しなければ狂ってしまうと、そんな不安が根底にあって、そうさせる可能性もある。——と。

「ここにいたんですか」

 草を踏み分けて歩く音で気付いてはいたし、無視したところでこの男が絶対に放っておかないことも知っている。それでも寝転んだまま微動だにしなかったのは、単純に目を開けて一言応じる行為すら億劫だったから。爽やかな風と暖かく漏れる陽射し、その心地よさに誰しも抗えはしない。何より人ではない何かに身を堕とした存在といえど、束の間の平和を享受する権利くらいはあるだろう。

「用事がないならどこかに行ってくれないか」
「お断りします。僕達は仲間なんです、そんなに嫌がらずともいいでしょう」
「今は、だがな。いやきみはまた追いかけてくるのかもしれないが」
「さて。どうでしょうね?」

 はぐらかすような素振りだが、きっとどこかから情報を仕入れて再び同じ国で、同じ隊の一員として再会することになるだろうと想像するに容易い。最初出会った時こそ敵対関係にあったが所詮はどちらも流れの傭兵。殺し損ねた相手と味方になることもそう珍しくはなかった。この大陸の至るところで戦火が続いており、海へ出ることは傭兵になった当初——およそ百年前と比べ、ずっと難しくなった。移動手段が限られて、働き口もある程度絞られているので、案外顔見知りも多い。相手が生きていれば、というただし書きはつくが。しかし、傭兵は傭兵で固められるのが常といっても、全員が一纏めにされるわけではないので毎回同じ隊に編成されるとなれ、違和感が生じるものだ。ましてや己は不死であると知れ渡っているので、新人はまだしもこの男のように、それなりに名の売れた者が避けないはずがない。本人に問いただせば今のように悪びれた態度もせずに、毎回行き先を調べて追いかけ、責任者に自ら志願しているのだと答えた。以来即席でもチームとして体裁を保つ為に多少はコミュニケーションしていたが、する気がなくなっていった。
 薄く目を開けて確認をすれば、ちょうど隣というには若干離れているが、横を見て視界に入るくらいの距離に男が立っているのが映る。声で咎める代わり、彼から顔を背けて、無視する姿勢を貫いた。

「今日の夕飯の担当はルーインだそうですよ。腕に縒をかけて作ると言っていましたから期待ですね」

 黙って聞き流す。

「あとはレイスが誰か組み手をしないか探してました。確かあなた体術も得意でしたよね? 相手をしてあげればどうです」

 ならきみがすればいいと一瞬考え、最前線に出るには不向きなたちだったと思い出した。それは男が最も得意とするのは他人を囮に隙を突く戦い方をすることであり、一対一で真正面から戦うにはあまり向いていないのが理由である。これまで生き残ってきた以上は、出来ないこともないのだろうが。僅かな期間のみの結束である傭兵集団に軍隊並みの統率力などない。だから往往にして即時即断の状況となるのが当たり前で、結局信じられるのは自分自身だけなのだから、そのやり方は実に合理的ではある。誰に咎められるでもないことだ。

「それと、仕掛けるのは明日になるそうです」
「——いよいよ明日か」

 ええと男が首肯する。子供じみた意地を張るのはやめて、目を開けると機敏な動作で起き上がった。男に寝首をかかれるなどと思わないが、積極的に関わってくる理由が不明な以上は警戒する対象に違いない。じっと彼の顔を見つめれば横目での視線が返ってくる。相変わらず一体何を考えているのか分からない目つきだ。不死よりはまだ得体の知れる存在であるはずだが、周囲の人間と親しんでいるようでいてその実、距離を置かれているところがある。変わり者ばかりの中の更なる異物。だから構おうとしてくるのかもしれないとふと思った。——自分たちは同じ穴の狢であると。

「結局用事があったんじゃないか」
「僕は用事がないとは一言だって言っていませんよ?」

 舌打ちする。男がくっくっと喉を震わせて笑う。居心地の悪さに耐えかね、葉と葉の隙間から漏れ出す光を手で庇を作って遮って、それで眩しさを追い払ったつもりにして立ち上がった。意外にも男は追従せずに、立ったまま、こちらのことを見上げている気配がした。

「これからどこに行かれるんです?」
「きみが言っただろう。レイスが組み手の相手を探していると。すぐ戦えるよう調子を戻しておくよ」
「そう……ですか」
「不死でも痛みを感じないというわけではないのでな。……数日間も寝込むような状況は御免被るさ」

 たとえばそうすることで戦況を覆せるのだとしても。食い扶持を得る手段がこれしかないから、仕方なしに戦っているだけである。だから、一定の結果は求めるが苦しんでまで戦いたくはない。今後も適当でいいのだ。どうせ永遠に続いていく。
 追ってこないのをいいことに基地の方へと歩き出す。耳元ではいつまでもあの日の風が鳴っているような気がした。

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