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南大東島産の『地酒』はなぜ生まれたのか?苦難続きの紆余曲折なストーリーを辿る【対談:その3】

沖縄本島から遥か東に位置する南大東島で、地元産のサトウキビにこだわったラム『CORCOR(コルコル)』を手がける(株)グレイスラム。
穏やかな自然の恵みを存分に詰め込んだ「地酒」は、今では日本国内だけでなく海外にもその名が届くようになった。

ただ、コネもカネも前例もない状況から始まった事業には多くの壁が立ちはだかり、悪戦苦闘の道を辿り続けてきた。
そんな状況を孤軍奮闘しながら乗り越えてきたのが、もともと会社員だった金城祐子氏だ。
原田マハ著『風のマジム』のモデルにもなるほどのエピソードは、会社設立から約20年が経った現在も色あせない鮮明さを持つ。

全くの更地状態から始まった金城氏の取り組みに対して今回、ある新規事業開発担当者が現地を訪れて対談をすることになった。
数々の問いに対し、金城氏の口からは「小説にも記されていない出来事」が次々と明かされていくことになる…

■金城祐子(きんじょう・ゆうこ:写真右)
 2004年に沖縄電力の社内ベンチャー制度(MOVE2000プログラム)を活用して(株)グレイスラムを設立。南大東島産のサトウキビを活用した無添加・無着色のラムを製造・販売している。事業活動以外にも地域振興に関する活動にも関わり、現在は南大東村観光協会の会長も務めている。

■佐藤鉄平(さとう・てっぺい:写真左)
 地元の職業能力開発大学校卒業後、岡野バルブ製造(株)に入社。長年、製造現場を中心に携わってきたが、3年前に新事業開発本部に異動。現在は沖縄県沖縄市にある商店街にあるオフィスを拠点に活動し、社内の新規プロジェクトを担当している。


■友人が営むバーで知った「意外な事実」

佐藤
 そもそも、金城さんがグレイスラムを立ち上げるまでにどんな経緯を辿ってきたんですか?

金城
 最初は沖縄電力の子会社(アステル沖縄)に派遣社員で入った後に沖縄セルラーに移っていましたが、アステル沖縄で直営店の運営メンバーとして戻ることになりました。その時に当時の店長から「やりたいことがあったらどう?」と誘われて沖縄電力で社内ベンチャー制度の資料を渡されました。その時は正直、「大変そうだ…」と思って資料を引き出しにしまいました。

佐藤
 最初はそこまで乗り気では無かったんですね。

金城
 ただ、しばらくしてアステル沖縄の事業がうまくいかず事業を撤退する話が社内で流れました。私がアステル沖縄に戻ったのは、当時働いていたメンバーが好きだったからなんですよ。気心が知れて皆が一生懸命で、飲み会でも熱心に商品の話をする雰囲気に心地よくて。「この人たちと仕事ができるからいいのに」と感じていたのに、皆がバラバラになると働いている意味がないなと感じてしまいました。

佐藤
 そんな状況だったとはてっきり知らず…

金城
 そんな時、たまたま親友がショットバーを開いて彼女のお店の売上に貢献するために通っていた時期にラムと出会ったんですよね。サトウキビからラムが出来ると知り、「コレってめっちゃ沖縄らしくない?やってみると面白いかも」と思って夫に相談しました。

佐藤
 旦那さんの反応はどうでしたか?

金城
 夫は南大東島に荷揚げする仕事をしていてサトウキビの栽培が盛んだと知っていました。実は当時、子どもが生まれて間もない頃でしたが、「あの島でラム酒が出来たら面白くない?」と聞くと、「いや、それは大変だよ… でも、やってみるんだったら応援するよ」と言われたことでラムについてめちゃめちゃ調べるようになったんです。 

佐藤
 実際に調べ始めてどんなことが見えてきましたか?

金城
 調べると、地元の商工会が地場のサトウキビを使ってラムを作る構想していたことがわかったんです。「これは話が早い」と、那覇から南大東島に年間でどれだけの酒が入っているのかを調べると相当量の泡盛が入っているとわかりました。「これだけお酒が飲まれている場所であれば、泡盛には勝てないけど『地酒』を作る意味があるんじゃないか」と思ったんですよね。

佐藤
 他にも影響を受けた出来事はあったんですか?

金城
 友人のバーでお酒を飲んでいると、フランス人の知人が「沖縄でラムを作らないのはおかしいんだよ。だから、祐ちゃんが作るべきなんだよ」と熱弁されて(笑)わかる人から見ると「(沖縄産のラムが無い)この環境は不自然なんだろうな」と感じました。


■事業化への苦悩と葛藤。突破口を開いた推進力

佐藤
 ベンチャー制度に応募した時の社内の反応はどうでしたか?

金城
 応募したことはオフレコにする決まりがあり、それを知った上司も反対してはいけないルールでした。第2次審査で公表された時、社内でも「えー」「工場を作ろうとしているの?」と驚かれました。ただ、「何かやりそうだよね」とも言われました。

佐藤
 色んな反応があったんですね。

金城
 一方で「酒づくりもしたことないのに大丈夫?」「女性なのに大丈夫かな」といった声もありました。応募した他の人は仕事熱心で家庭を顧みない男性ばかり。しかも、たまたま応募した男性がみんな離婚して… 役員からも心配されて「実は私、男なの」って言おうとした位でした(笑)

佐藤
 既にお子さんが居たと聞いていますが、その時は何歳だったんですか?

金城
 1歳でした。子育ても夫や母がかなりやってくれていたので、息子は私がラムのことをやっている記憶しか無いと思います。でも、あの時はプレッシャーで鬱になりそうでなり切れない状態で、出社したくないのに出社できない勇気も無かったんですよ(笑)休む勇気もなくて「とりあえず出社しよう」という状態でした。

佐藤
 関係者とのやりとりも大変そうですね。

金城
 村の人からは「サトウキビは村全体のものを使わないと地酒と認めない」と言われ、沖縄電力の役員からは「(当時珍しかった)インターネットで売るなんてとんでもない。オリオンビールを見倣って1軒ずつ扉を叩いて売ってこい」と。税務署も「販売先から署名を貰ってこい」と言われ、味方も居れば敵も居るような状態でした。各方面から色々言われ、「もう、あーっ!」となっちゃって…

佐藤
 精神的に参ってしまいそうですね…

金城
 ただ、販売先の候補に署名を貰うことは結果的に前宣伝になったんですよ。「実は沖縄電力でラムを作ろうとしていて、実際に出来た時に使ってみたいと思うんだったらサインしてもらえますか」と話すと、「やるやる」と皆さん賛同してくれて。この時は私の力だけではなく、沖縄電力の社員が行きつけの居酒屋やホテルなどにもサインを頂いて300筆ほど集めました。

佐藤
 300筆はすごいですね。

金城
 さすがに税務署も驚いていました。ただ、その間にも署名してもらった先から「出来ましたか?」と電話がかかってくるのもプレッシャーで… 「まだ免許が下りてなくて商品はできてないんですよ」と毎回説明している状況でした。一方で「待っていてくれる人が居るんだ」と励みにもなって乗り越えられたと思います。

佐藤
 その行動力は新規事業を進めるには大事そうですね。

金城
 あの時、税務署から求められた宿題に「ウソだろ…」と思いましたが、いま考えてみれば「ありがとう」なんですよね。そういった意味ではムダなことは無いんだなと思いました。


■南大東島産の『地酒』にしたためた想い

CORCORのロゴは南大東島の形をモチーフにしてデザインしている

佐藤
 商品についても聞いてみたかったのですが、「CORCOR」の名前ってどんな由来なんですか?

金城
 CORCORは「CORAL CORONA(サンゴの冠)」の頭文字から名付けています。南大東島は珊瑚礁が隆起してほぼ円形のすり鉢状になっていることが由来です。他にカッコいい名前もあったと思うんですが、「音で簡単に響くもののほうがいいんじゃないの?」とシンプルに付けました。

佐藤
 作り方でこだわった部分はありますか?

金城
 原材料の仕込みから製造、瓶詰めまで一貫生産にこだわりましたね。海外だと、製造と詰め口の産地が離れているのがほとんどなんですよね。そうではなく、南大東島で作るものだったらちゃんとしたものをやりたくて。

佐藤
 品質面ではどんな風にこだわっていますか?

金城
 無添加の素材にこだわっています。最初は「おいしくない」「クセが強い」とか色んな意見もありました。嗜好品だから仕方ないと思いましたが、万人受けするお酒は大きな会社がやることだし、ウチでやるのはちょっと違うのかなというのがあって。

佐藤
 せっかく南大東島で作るのに、味だけ万人受けするモノを作っていたらおかしいですよね。

金城
 樽貯蔵に関しても、美味しくないお酒を樽に入れるだけで何となく美味しい雰囲気になるんですよ。それよりも、素材だけで作ったホワイトラムで味と香りがあるもので勝負したいとこだわりました。

佐藤
 こだわった結果として強みになった部分はありますか?

金城
 南大東島にはもともと「地酒」がなかったので、最近は「コレ、有名ですよね」と言われることもあるんですよ。こちらとしては「えっ、有名なんですか!」とドキッとするけど、結構言われるんですよね。これは南大東で全部作っていてよかったなと凄く思いますね。

佐藤
 話を聞くと、ラム酒というよりジャンルとしてCORCORを確立していると感じました。今までの概念を変えるには、尖らないとできないよね。あとは金城さんだからできた部分が大きい気がします。

金城
 南大東島って、石垣島や宮古島と違って「行ったことがない」「凄く遠い」と言われることも多いんですが、メジャーではなく、マイナーで秘境のような要素も私にとって好きな部分なんですよ。


《次回へ》CORCORらしさを後世に向けてどう紡ぐか

事業化に向けて次々とのしかかる難題。
時には心が折れそうになりながらも、新たな物事に対する好奇心と多くの人を惹きつける金城氏の推進力はCORCORを生み出す大きな原動力となった。

法人設立から20年が経ち、今ではCORCORの存在が南大東島にとってアイデンティティの1つとなっている。
地域とともに培ってきたその味は、これから10年後、20年後に向けてどのように繋いでいくのか。

対談の後半となる次回は、「CORCORらしさ」をさらに深掘りしながら、将来に向けた展望に話題が及んでいく。


次回の投稿は、6月26日(水)を予定しています。
公開後、以下の埋め込みリンクからご覧いただけますのでお楽しみに!

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