見出し画像

滋賀の神社巡り~粟津神社・本多神社

5月21日

会ってまずは、おっさんに大津駅まで連れて行ってもらい自分への誕プレにワッフルを12個買いました。

実家暮らしだった頃、岡山駅に行った時には匂いにつられてよく買って帰っていました。京都で1人暮しを始めて数年して、実家から近い倉敷駅にお店が出来た時は嬉しい…けど、もっと早く出店して欲しかったという思いで複雑な気持ちになりました、そのぐらい私はマネケンのワッフルが大好きです。

それから色々相談した結果、お昼はサイゼ。
いつも食べるガーリックトーストが無くて、プチフォッカにしました。


この日はコインパーキングに車を置いて、歩く事になりました。歩きに行く前に体に虫除けスプレーを塗ってからスタート!

粟津神社

最初に滋賀県大津市の粟津神社に来ました。
御祭神は大国主命・大導寺田端之介・田中恒世。

265年に彦坐ひこいますの王により創建されたと伝えられており、古くは粟津山王権現と称していた事もありました。

またこの地区の開発に尽力した大導寺田端之介を合祀しているため、田端山王権現とも呼ばれており、通称田端宮の名でも知られています。

白鳳2年(673年)田中恒世という人物が日吉の神に粟飯を献上し褒められて以降、毎年この土地から日吉祭に唐崎沖で粟飯御供を行うようになり、田中恒世もこの神社に合祀されました。

昔は粟津祭りという有名なお祭りがあり、その後明治元年(1868年)に粟津神社に改称。

手水舎かな。

社殿

社殿の彫刻はこの神社の神使の猿かな。

領主寄附の石灯籠。

これは…?

神社の前に置いてあったバリケード。

本多神社

再び歩いて次に来たのは本多神社。祭神は本多家を復活させたと言われる本多忠俊・忠次・康俊・俊次の四柱です。江戸時代に3代目の康俊は膳所へと移封され、4代目の俊次は膳所藩主になっています。

明治16年(1883年)本多俊次が藩の隠居場所あるいは迎賓館として建てた膳所城浜御殿の庭園跡であるこの場所に、旧膳所藩士など有志によって本多神社は創建されました。

瓦には本多家の家紋である立葵。

本多公浜御殿址の石碑。

本多神社古墳。古墳がある場所に神社を建てたという事なのでしょうか。

広鶴稲荷

屋根瓦には丸に鬼蔦紋かな?
違ったらすみません。

広鶴稲荷神社の横穴式石室には子授け地蔵が祀られています。鎌倉時代に彫られたと言われている石棺仏だそう。

これは近くに咲いていた紫陽花。

丹保にほの宮。幕末の動乱に散った尊皇攘夷派の14烈士が祀られています。

今は看板で見えませんが、他の方のブログによるとこの標柱には膳所護国神社と彫られているみたいですね。

 

次回に続きます。

パソコンが駄目になったので、新しく買って携帯での文章入力から脱却したいです。よろしくお願いします!