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 この世の喜びよ 著:井戸川射子

 幾分、読み難かった。自分の事をあなたや私と表現する穂賀さんが物語の主人公だ。ショッピングモールの喪服売り場で働いていて娘二人はとっくに独立している。ゲームセンターで働く多田、いつもメダルゲームに居るお爺さん。そして一番かなめになっている少女は二つあるフードコートの小さい方にいつも居る。バックヤードから休憩に出るといつも同じ時間に居る中学生の少女がジュースを零したのを助けてから、仲良くなって行くと言う物語だ。

 途中、娘達が怒って名古屋に家出してしまうと言う描写もあるが、少女にとってその頃の自分や娘はどうだったかなと思いを巡らせながら、慎重に言葉を紡ぐ。しかし、少女の方ではそんな穂賀の気遣いになど気づくはずもなく、少女は多田を意識してるし、ハロウィンが終わって、二ヶ月間、クリスマスソングがたくさん流れる館内で一度だけ、少女とゲームセンターで遊ぶ事になった。

 その後(ご)、少女はいつもの場所には居なくなる。家族で喪服店を訪れるも、少女の母は妊娠中で、小さいベビーカーに少女の懸案たる弟が居るのだ。少女は母に変わって寝かしつけをしたりしている。夫も一緒だったのだが、素通りで終わった。

 少女の家族は引っ越すと言っていたので来なくなったのかな?と思いつつも少女の姿を見つけて、こんなふうに語りたかったのだと言う、自分の娘達と団地の芝で遊んでいた時の事を思い浮かべ、少女の元に向かう様子をこの世の喜びと題して終わるのである。

 やはり、女性作家の文章は時系列が曖昧だ。回想と語りと主語の入れ替え、読むのに難儀したのはその為だろう。他にマイホームとキャンプと言う話も小説化されてるが、マイホームは住宅展示場に一泊する話でキャンプは親同士が友達だからキャンプに行って一泊で帰って来ると言うそれだけのお話だった。

 井戸川さんは中原中也賞を受賞されてると言う事で、小説と言うよりは詩で始め評価された人のようだ。音韻や韻律は独特の物があるが、馴染めない方も居ると思う。私も初見で面食らった方だ。普通に書けばいいのに、なんでこう遠回しに表現するのだろうと、ページ数が少なかったのが救いで、これで量が嵩張れば、諦めて読むのを辞めてしまいそうだった。

 でも、短いのに読むのに時間がかかり、読み応えはあるのだから純文学の芥川賞らしい受賞だったと言えるかもしれない。

 小さな日常にこの世の喜びを感じる繊細さに一票と言う事だったのかもしれない。

 以上

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