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慟哭の記憶

はじめに

このnoteは、自分の辛かった過去を記録し、
過去を乗り越えた今書くことで想いを浄化したいと思い、書き進めました。

この文章を通して、3年前の私と同じように痛みに苦しむ人や今辛い思いをしている人の気持ちが少しでも軽くなれば嬉しいです。

——

母の運転する車の後部座席で揺られながら、ぼんやりと考えていた。

大学3年生の夏、
私は突然歩くことができなくなった。

夏休みが始まる前に会っておきたいと、静岡に帰る友人と大学で会う約束をしていた。

大学の最寄りにある私の家から大学までは10分かからない。

にもかかわらず、私は待ち合わせに少し遅れていた。

慌ただしく準備をして、友人の待つ大学へ急ぎ足で向かう。

そのとき、

忘れもしない交差点横のファミリーマートの前で、突然私の足は一歩たりとも前に進まなくなった。

激しい痛みと痺れで頭がぼーっとする。

大学までの通学路であるファミマの前には、いつも女子大生の人だかりができている。

突然固まった私に視線が少しずつ集まってくる。

恥ずかしい・・痛い・・どうしよう・・とりあえず友だちに連絡しなくちゃ

いつもはなんてことはないジップですら、こういうときは疎ましく思う。

痛みを必死で堪え、なんとかスマホをカバンから取り出す。

驚いた友人は機転を利かせ大学の保健師さんとともに、私の元まで車ですっ飛んできてくれた。

ひとまず今の状況を友人と保健師さんに伝え、総合病院へ向かう。

車に乗っても痛みで座ることのできない私は、立ち膝で後部座席に乗った。

——

大学提携の総合病院にようやく到着し、問診を終え、とりあえず痛みを抑えるための薬を処方され、その日は家に帰ることとなった。

予約をしないと詳しい検査ができないため、
後日また検査のため来院しなくてはならないらしい。

この痛みの中でまた来院するなんて、と軽い絶望を覚える。

心配した友人は帰省の日を変え、その日一晩付き添ってくれたが、翌日は流石に申し訳ないと家族の予定を優先するよう頼み帰ってもらった。

数日が経ち、検査の日。

総合内科や整形外科の先生の指示により、CTやMRIなど様々な検査をする。

しかし、結果は原因不明。

ヘルニアのような腰の疾患だが、骨にも神経にも損傷はないらしい。

リハビリを受けることを推奨され、言われるがままに予約をした。こんなに激しく痛む私の身体に異常がないわけないと悔しさにも似た思いを抱きつつ、病院を後にした。

それから週に3回リハビリに通い、そのほかは安静にということだったので痛みがある程度おさまるまでの間、リハビリ以外の全ての時間をベッドの上で過ごすことにした。

過ごすことにした、というより激しい痛みと痺れで身体がいうことを利かず、ベッドの上で過ごすほかなかった。

終わりのない痛みと痺れ。

家から10秒もしないコンビニまで一人で行くこともできない。

情けなくて痛くて辛くて全てが嫌になる。

——

痛みがおさまりつつあった2ヶ月後、
私は少しずつ日常生活を取り戻しつつあった。

洗濯物を畳めるだけで、涙が出るほど嬉しい日が来るなんて思いもしなかった。

普通のことを普通にできることがどれだけ幸せなことなのか改めて感じた。

——

秋も終わり頃、リハビリ以外で初めて外に出かけてみることにした。

湿布も痛み止めも持ったし、きっと大丈夫。

リハビリはいつもタクシーだったから、電車に乗るのも実に2ヶ月ぶりだ。

久しぶりの外出に心が躍る一方で、電車に乗るだけなのに、いつ襲うかわからない痛みへの恐怖で手足がじっとりと汗ばむ。

座席に座りたいけれど、立てなくなってしまうリスクがあるため、立ったまま乗車することにする。

しかし、再びまたあの痛みが襲ってきた。

ああ、もうダメなんだ・・。

途中下車し、諦めて家へ帰る。

その日から一年半、外に出ては痛みが襲ってきて動けなくなるの繰り返し。

今まで当たり前にできていたことができなくなっていく・・

いつあの発作が起こるかわからないから、一人で出かけることはできない。

家の外の世界に対しての恐れが蓄積されていくのと同時に、心には黒い淀みがどんどん溜まっていく

どうして私なの
どうして原因が分からないの
私が何をしたんだろう

毎日毎日答えのない問いが、頭の中を巡っては消えてまた戻ってくる。

毎日続く絶え間ない痛みと自由の効かない身体への不満が思考を冒し始めていた。

しかし、激しい痛みより、夜も眠れぬほどの足の痺れより、何よりも辛いのは原因が分からないこと。

原因が分からない以上、治療法がない。

このまま一生痛みと付き合っていかなきゃいけないんだ。

もう二度と普通の生活には戻れない。

絶望で満たされていく。

——

しかし、その日々が続くこと一年半。

——





突如としてその痛みは消えた。





実際に痛みがなくても脳が記憶から痛みのような感覚を生み出してしまうことがあると聞き、認知行動療法の本をはじめ、痛みや捉え方に関する本を手当たり次第読んでみた。

こちらは一部だが、本当に手当たり次第読んでいることがわかる。

『一切なりゆき 樹木希林のことば』の中に、
今でも心に残っている、当時の私にとって助けになった言葉がある。

「痛い」じゃなくて、「ああ気持ちいい」って言い換えちゃう(笑)
私は最近、放射線治療の後遺症じゃないかと思うんだけど、肩がゴキン、
ウアッてなることがあるの。

それが当たり前なんだと受け取って生活していく面白さっていうのがあるなって思うんだ。そういうとき「痛い」じゃなくて、「ああ気持ちいい」って言い換えちゃう(笑)。

痛みの毎日の中で、この言葉に出会えたことで本当に救われた。

痛い、ではなく、気持ちいい。

痛みが当たり前なんだと受け取って生活していく。

気持ちよくなんてもちろんないけれど、なんとなく「気持ちいい」と言い換えてしまうと痛みがなんてことないような気もしてくる。(それでもやっぱり痛いものは痛いけれど。笑)

ここまで振り返っても、私の痛みがどうして消えたのかは分からない。

月に10万以上の医療費をかけて、あらゆる病院で検査を受けた。結局最後までその痛みの原因がわかることはなかった。

けれど、辛かった記憶がある一方、いいこともあった。

私を身体的以上に精神的に苦しめた痛みの毎日の中で、それまで蔑ろにしていた自分の身体と向き合うことができるようになった。

当たり前のことかもしれないけれど、

①とにかく体を冷やさない
温かいものを飲み、夏でも腹巻を身に付け、ホッカイロを持ち歩く。特にふくらはぎから足首は第二の心臓ともいうから温めること。

②毎日お風呂に浸かる
毎日シャワーで済ますのではなく、お風呂に浸かって自分の身体をマッサージする。そのとき何か違和感があれば、時間とお金をケチらずに病院または整体へ行き体のメンテナンスを行うこと。

③ゆっくり呼吸をする
呼吸によって痛みをコントロールする。ただでさえ現代人は呼吸が浅いというから、気づいた時に深呼吸をすること。

他にもまだまだたくさん

最後に、一番大切なのは心と身体のために休むことは甘えではなく、自己管理のひとつと考え、リフレッシュする時間をもつこと。

——

痛みに支配される日々は辛く悲しかったけれど、
それまでの自分の生活にも問題があったと思う。

それを全て見直し、3年たった今、その痛みが襲うことは一切なくなった。

あの日々のおかげで健康には詳しくなったし、痛みが突然襲ったときの対処法もわかる。

前より私の身体は良い状態になった。

今まで悲しいことは書きたくないと思っていたけれど、

私の中でどうしても消すことができなかった過去。

二度と戻りたくはないけれど、私には必要だった過去。

——

今はもう、コンビニはもちろん、海外にだって行けるし、自転車も再び乗れるようになった。一人で出かけるのももう怖くない。

また痛みの記憶が蘇りそうになったら、
痛みは脳の勘違い、気持ちいいと受け入れよう。

原因は不明でも、対処法が分かっているから今度はきっと大丈夫。




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