「明治維新」という変化のダイナミックさと功罪について

ここ最近、明治時代に起った・作り出された変化が現代の伝統観に与えた影響ってかなり絶大だったんだなぁ、と感じる読書体験が重なったので、それについて交換日記とは別に雑談として書いていきたい。

『明治日本写生帖』を通して見えた当時の庶民風俗

『明治日本写生帖』は、1899年に来日したフェリックス・レガメというフランス人画家が、当時見聞きした日本の風景を描きとめたデッサン集である。

当時来日した外国人の目に、欧米列強の技術を必死で取り入れ、変わっていこうとする日本の風景がどう映ったのか、当時の日本はそもそもどんな庶民風俗だったのかを知ることができる、とても貴重な民俗資料だと思う。

たとえば、当時建てられた洋風建築のホテルにドアマンやボーイがすでにいたようなのだが、服装は白いスーツだけど靴ではなく黒足袋を履いていたり、軍隊でも革靴ブーツはなかなか庶民には浸透せず、足袋を履いているデッサンが残されている。
つい最近、鉄道開通150周年ということが話題になったが、まさにその上野-横浜間の鉄道が開通してから数十年が経った当時、座席の上に靴を脱ぎ、肘枕をして丸くなって居眠りする女性、なんてイラストもある。なんて自由なんだ…!

興味深かったのは葬式の風俗である。
平屋建ての建物の入り口からまっすぐ目の前に棺が置かれていて、戒名やら何やらがその奥に置かれていて、というところは現代へのつながりを感じるのだが、その入り口が、今でいう開店祝いの飾りのように(あそこまで大きく派手ではなかったが)背の高い花飾りで彩られているのである。
その近くには小鳥の入った鳥かごもあり、解説によると、鳥獣を殺生せずに自然へ放すことで、死者の徳を積もうという放生会的な行事が葬式の際にあったらしいのである。どの程度浸透していた行事なのかは分からないが、個人の葬式でそのようなことを行っている例を今まで知らなかったため、とても興味深かった。

他にもいろいろと取り上げたい話題は事欠かないのだが、とにかく今残っている「伝統」だけが当時の庶民の風景ではないのだということが、読んでみてよく分かる。また、当時の庶民の娯楽として「生きて」いた歌舞伎や相撲、落語、長唄、謡などの様子を知ることができたのも大きな収穫だった。
当時の「ニッポン」愛好趣味がフランスで生まれていった経緯が丁寧に解説されているのも、わかりやすくてよかった。

明治から現代に至る「家族」のあり方の変遷と「男の絆」について

前川直哉著の『男の絆 明治の学生からボーイズ・ラブまで』では、欧米列強のキリスト教思想から大きな影響を受けて「家族」のあり方が変わってきたことや、「男なら腹割って話そうぜ」みたいな「男の絆」がどのように生まれてきたのか、衝撃の事実が分かり、これもとても興味深い本だった。

(絶版となってしまったのか、アマゾンではめちゃくちゃ価格が高いが、私は図書館で借りて読みました)

家族のあり方としては、それまでは庶民(特に百姓)の間では恋愛結婚・理想的な育児、みたいな昨今言われていることは全く意識されておらず、女性も男性も労働力として駆り出され、育児は祖父母や兄弟姉妹といった労働力にならない人間に任されていたため、現代より男女の役割が固定されていなかったのではないか、ということを指摘している。
「男女の役割が固定されていない」というのは民俗的・歴史的に的外れな指摘である気もするが、こと育児に関しては、確かにそういう面があったのかもしれない。
私たちが生きる現代において、「育児」とは子どもになるべく不快感を与えずに生活させるため、両親が必死に労力と時間を割いて行う苦行のように言われているが、(そして実態として一人の子どもの育児にかなり大きな負担がかかっているのも事実だと思う)江戸期から明治期の過渡期において、百姓の間では「育児」にそこまでの労力をかけていなかったのではないか、「理想的な育児」といった意識はほとんどなかったのでは、という指摘はかなり重要であると思われる。

また、日本での「同性愛」といえば「男色」や「衆道」文化が意識に浮かび、元来日本は同性愛に寛容な国だったのだ、という言説を信じている人は大勢いると思うが、それを資料とともに喝破していくとともに、それがどのように変容し、近現代の家族形成の意識に影響していったのかということへつなげていく文章には恐れ入った。
例えば、硬派・軟派というと、現代では「硬派=恋愛に興じないストイックな男性」、「軟派=女性にだらしない軽い男性」という構図で、どちらかというと「軟派=ナンパ」のほうが恋愛という点で手練れている感すらあると思うが(そもそもこの言葉を最近使わなくなっているという点は置いておく)、明治期においては「硬派=理性的に劣っている女性とは関係せず、男色を通して男同士の理知的な絆を深める男らしい男性」、「軟派=女色に耽る女々しく軽蔑すべき男性」という構図だったのではないか、という指摘がある。
しかし、大正期に出てきた「同性愛」という定義により、同性間の恋愛は「変態的」であり、治療すべき病であるといった言説が出てくるとともに、男は外に出て働き、女は家の中で家事を取り仕切るという形で、「家族」を構築していくのがあるべき姿である、といった家族論が形成されていくことで、男色という理知的な男性間の絆の行き場がなくなり、性愛面を除いた「男の絆」が形成されていったのではないか、というである。この構造の大転換には驚いた。
昭和期の男性同士の会話として、やたらと女性に関する卑猥な会話(いわゆる下ネタ)を行ったり、相手を好ましく思う言動を行うと「お前俺に気があるんじゃないよな~?」とからかったりするという特徴を挙げており、それは「俺たちのこの絆は断じて世間で異質とされている「同性愛」ではない、女性を恋愛の対象とする男らしい男同士の関係なのだ」ということを強調したいようにも感じる、といったことを指摘しているが、考えてみると「確かに!」と膝を打ちたくなる。

つまり、日本におけるシスヘテロセクシズムがどのように構築されていったのか、ということを明治期から現代にかけて概観しているのであり、そこには確かに、現代における女性としての生きづらさ(または「権威があるべき男性」としての生きづらさ)の源流があるように思える。

「日本」をどう捉えなおすのかー明治期以前と以後の違いについて

最後の一冊はこちらである。

宮本常一の『忘れられた日本人』という本は、民俗学の筋ではあまりにも有名な一冊であるが、それを後世の日本中世史研究者として、これもかなり大家の人間が解きほぐしていく、という構造の書籍である。

どんな内容が書かれていたのか、人に話したいことはいくつもあるが、ここでは「日本」という意識付けの変化について特に挙げたいと思う。

例えば、「百姓」という言葉を聞いて、何を想像するだろうか?

ほとんどの人は「え、農民なんじゃないの?」と思ったことだろう。
ところが、この本ではそうでない可能性を資料を基に指し示しているのである。
明治期に作成された壬申戸籍という戸籍がある。これは現在も資料として残っているが、研究者であっても閲覧ができない状態らしい。しかしそれは原典の話であって、実はその草案となった資料が地域に残っている事例がいくつかあるらしく、その話に私は仰天してしまった。
曰く、農業などできそうもない枯れた土地ばかりの島々で、代々漁業を行っており、周りも同じように漁師の家ばかりという地域があったが、壬申戸籍の草案資料では、その地域の家々の生業について、士農工商のうちの「農」と記されていた、というのである。しかもそういった例が他にもあるというのだ。では、明治期に「農」とくくられてしまった「百姓」とは、実際にはどういった存在だったのか?

すべてをある程度の区画のなかにまとめてしまわなければ、という明治維新のくくりから取りこぼされていったものがいかに大きいものなのか、この事実だけでも想像できるのではないだろうか。
また、資料と向き合うだけでは取りこぼす可能性がある、現地を訪れることの大切さということも同時に実感できる。

また、この本では「日本」という括りだけではなく、その周辺国との関わりも考慮して歴史学・民俗学というものを考えていくべきだ、という指摘を行っている。
例えば対馬・九州という地域がある。
地図で見てもらえればわかると思うが、思ったよりかなり韓国に近い。
その地域が昔からさまざまな国との交易・交流を行っていたというのは中高の歴史で学ぶところであると思うが、どうして「交易・交流」だけで終わると思ってしまうのだろうか?
どうして、韓国よりもずっと遠い京都や江戸と、対馬・九州地域が同じ歴史体験を共有し、同じ文化体系に属していると信じることができるのだろうか?

同じことは例えば北海道地域と北東アジアとの関わりについても言える。
要するに現代の私たちは海を「国の境界線」と考えがちであり、実際そのように機能しているのだから仕方ないことなのだが、陸の交通網が発達していないその昔、海は境界線ではなく交通路だったのである。
どうして交通路がその地域の生活文化に何も寄与しないと言えるだろうか?
現代でも地方の幹線道路沿いではショッピングセンターやチェーンのファミレスなどが並び、人々はその交通圏内で生活を完了することができるようになっている。
同じことが昔の海でも言えたのではないだろうか?

自分が何に帰属しているのか、という意識は、明治維新でかなり変わっていったのではないか、そしてそれは、文字でこうやって書くよりずっとずっと、ダイナミックで決定的な変化だったのではないだろうか?と思うのである。

まとめー何を捉え、何を再生産して生きていくか?

ここまで、明治維新という変化について、私が新たに発見した事実を3冊の本からまとめてきた。
明治維新というのはある意味、それまでふわふわと存在していた身分制度や交通路、法制度などを、頑張って欧米列強に倣い強固に定義しなおしていった、革新的な再生産の行いだったと思う。
それが現代では「伝統」ともてはやされ、逆にそのレールにのっとっていないと「日本的」でないと糾弾されたり、国から支援されない対象外の存在となってしまうというのは、もはや笑うしかない状態ではないだろうか。そのようにのたまうあなたは一体何を知っているというのか?

何が伝統なのか?それのどこが伝統なのか?では革新的とは何なのか?革新的といいつつ同じようなことが今までも行われてきたのではないだろうか?

今、私たちはきっとまた転換点に立っている。
あらゆる物事の変化のダイナミズムは、年々大きくなっていっているように思う。
歴史的な転換点に立つとき、そのダイナミックな変化に人がどう対応していけるのか、その変化で社会から取りこぼされ存在を消されていくものが一体どういうものなのかということを、明治維新という日本における一つの前例を軸として、再定義・再生産することができるのではないだろうか。

簡単に文書が作成され削除されうる時代の資料が、いったいどのように残されていくのか。
私たちはどのように歴史に記載されていくのだろうか。
すべてはその再定義・再生産の営みにかかっているように思える。
あなたは、どう思うだろうか?

(緑青)

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,615件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?