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ファミマのイートインで3時間近くぶっ通しで読んでいた本の感想

ファミマのイートイン。
そんなところに3時間近く居座っている人なんてそれほど多くないと思う。
しかし、今日のぼくはその「どれほど多くないだろう人のうちの1人」になっていた。

小説を読んでいた。
あとがきや解説を合わせても217ページと比較的手に取りやすい厚さの小説を。


【氷の海のガレオン/オルタ】

同じ職場の同僚が教えてくれた本だった。
カフェオレとおやつを買って、3時間。
時々本から目を離して、登場人物の気持ちを想像しながらどっぷり浸っていた。

ぼくはあまり読んだ本の感想を書きまとめるのが得意ではない。
読み終わっても、「面白かった」くらいしか出てこない。

それは今回も同様なのだが、なんだか書いてみたくなったのだ。


斉木杉子、十一歳。自分の言葉を持つがゆえに学校に居場所のない少女は、「学校なんてなけりゃいい」と思った。そして、自宅の庭に生えるナツメの古木に呼びかける。時々、心にねじを巻くように。ハロウー。(「氷の海のガレオン」)
ヤングアダルト小説ファンの間で「何度も読み返したくなる一作」として語り継がれてきた名作に、書き下ろしを加えて文庫化。〈解説・藤田香織〉

(文庫裏表紙より引用)


子どもの頃は特に「人と違う」ということに敏感になり、自分の「人と違う」部分をなんとかして隠そうとしていた経験は、多くの人が持ち合わせているのではないだろうか。

この文庫本に収められた二つの作品では「人と違う」ということで苦しんできた子どもたちを描いている。

集団の中にいると「普通」という言葉を用いて会話することもある。
でも、その「普通」とは果たして誰が決めたのか。
その集団の外でもそれは普通なのか。
そんなことを考えなければならないと感じた。

しかし、それは大人になった自分にだからこそそう思う。
もし子どもだったらどうだろう。
「普通なんてないのさ」と頭ではわかっていても、「誰かといっしょ」という安心感(というか強迫観念?)から逃れることはできるだろうか。

そもそもその強迫観念のようなものは子どもたちがもともと持っているものなのか。
成長する過程で社会から受けた影響によって生まれているのか。

もし後者なら、大人である自分には何ができるだろう。
2歳になったばかりの息子に何をしてやれるだろう。




と気づけば900文字を超えるほど文章に。
とりあえず思い浮かんだことをつらつら書いてみたらなんとなく感想文のようなものが書けた(つもり)。

この夏読む予定の本がまだまだある。
その中に小説は3冊だったかな?
もっと物語に浸りたいなぁ〜。

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