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養老天命反転地で映えを考える話


養老天命反転地、それは岐阜県の養老にある屋外のテーマパークである。
山々に囲まれた広大な敷地に、前衛的でフシギなアートが点在している。
見晴らしもよい。
デートで一生懸命に山を登って養老の滝を見た帰りに、せっかくなので寄ろうやということになり、入場料を払い、我々は養老天命反転地に足を踏み入れたのであった。

さて、アートとは何か。
持論としては、アートというものへの感受性は人それぞれであり、ひとえにアートといってもそれに対してその人が何を感じようと自由である。こう受け取らねばダメといったルールは無用。
アートとは何か、それは自由である。

ところで、入場料を払い広大な敷地とアートを与えられた我々は非常に狼狽していた。
我々はアートがちっともわからぬ。
園内をぐるりと囲む様々なアート、そこかしこに点在する謎のアート、それらを前にして我々は呆然と「はわわ、こりゃ一体……」などと言いながら目を回していた。

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このアートはこんなことを意味しているのだろう、あんなことを思って創ったのだろう、といった思考は必ずしも必要ではないと思う。
一風変わったオブジェや建物を見て、美しさや非日常を体感することがアートの醍醐味である。
私はこのように考えつつも、彼氏と同じくハワハワと狼狽えていた。

問題はフシギなオブジェだけではない。
訪れた時には快晴だったとはいえ、雨上がりの湿気を含んだ大地や質量感のある雲は写真に重たい印象を持たせたりする。
アートと雄大なる自然を組み合わせることの唯一といってもいいデメリットである。要するに雨上がりの屋外施設はコンディションが悪かった。
果たしてここで映える写真は撮れるのか〜〜〜〜!!?!

そこかしこには明らかにインスタ映えに飢えたる女子たちが、オシャレでかわいらしい素敵な格好をして、荒涼たる地面にて写真を撮ったり撮られたりしており、非常に楽しそうである。
それを見て私はふと胸を衝かれたのだった。
私のイメージするインスタ映え女子たちは、もっとなんかこう、
『どう撮ったって映えること間違いナシ!』という場所や物を撮るものだと思っていた。喫茶店のカワイイケーキとかクリームソーダとか海とかさ。
なぜそう思うか?私がわりとそうだからである!
また、インスタ女子たちはそういった映えて当然なものを求めて出向き、思っていたものと違ったらややテンション下がる〜みたいな偏見もあった。が、私が見かけたインスタ女子たちはそうではなさそうであった。
どんな場所でも楽しく写真を撮れる人達にはきっととても良い写真が撮れるであろう。間違いなく超映える。
というかそういう子達がいる空間こそが写真のモチーフとして映えていた。華やかだったんだもの。

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我々も負けじと写真を撮りながら園内を一周するも、そもそもここに訪れる前に登山して滝を見てきたため瀕死。脱出を目論むも、整ってんだか整ってないんだか分からぬ園内でコケそうになる。危うく尻でスライディングして出口を目指すところであった。
私ももう若くないのね。

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写真とは「何で撮るか」以上に「何を撮るか」だし「何を撮るか」だけでなく「どうやって撮るか」だよなぁ、と思った次第である。おしまい。


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