総合商社を新卒入社2か月で辞め、当時社員80人のベンチャーに飛び込んで1年目に遭遇したもの
覚悟を決めて総合商社→ベンチャーへ
総合商社を周囲の全関係者からの反対を押し切って2か月で退職し、当時80人のベンチャーに入った僕は、それはもう「こうなったからには早く裁量持って全速力で駆け上りたい」という血気盛んな状態でした。
初期配属は「事業開発」という謎の部署
そんな僕が入社後、6月1日、配属された部署は「事業開発」という部署。今でも説明に困るのですが、要は「何らかの事業や商品が伸びることに責任を持ち、そのために何でもやる部署」だと思っていただければと思います。基本的に少人数の部署で、当時は4人くらい。所属している人は各々何か1つか2つの事業や商品の責任者でした。
「殺し屋集団」
最初の印象は「みんな死にそうな顔をしているし、なおかつ人を殺しそうな顔をしている」という強烈なものでした。隣の部署から「表情が殺し屋集団」と呼ばれるほどでした。それもそのはず、彼らは文字通り「何でもやらないといけない」部署だったからです。
各所との板挟みになる事業開発
どんな商品なら売れるか?を徹底的に考え、それを開発の人と一緒につくったと思ったら、次はそれをどう売っていくか?を考え営業の人に伝えます(順番が逆のことももちろんありますし、事業開発が単独で考えるというよりかは各所と議論しながら決めていくこともありますが、基本最終的には事業開発が責任を持って全てを推進します)。そのプロセスの中で、開発の人には「こんなものを期日までにつくるのは無理だ」と言われても何とか懇願しますし、営業の人には「こんなものつくって売れるのか?」と言われても何とか説得します。説得したところで、得てしてつくられたばかりの商品は初期は全然うまくいかず、検証と改善を繰り返さないといけないのですが、その際にも「せっかくつくったのになんで売れないんだ」とか「ほら、売れないじゃないか」と開発と営業の間で板挟みになりながらなおも説得と推進を続けます。かと思ったら急に請求ができていないみたいな事故が起こり、経理の人から怒られて請求フローを整理したりもします。あと、諸々含めて計画よりも事業や商品や伸びていないと、基本的に死ぬほどキレられます。それでも何とか、少しでも事業を前進させるために、ずっと何かしらをやり続けないといけないので、残業も社内で最も多い部署であるのは想像に難くないと思います。「一体何のために頑張っているんだろう、、」と時に思います。
とはいえ、わざわざ最大手の企業を辞めてベンチャーに来た自分としては、こんなにも事業や商品に責任を持てる、裁量を持って働ける環境なんて願ってもない、という感覚で入り、入社初期からいきなり1つローンチされたばかりの新商品の担当にしてもらい、うきうきでした
突きつけられた現実
ただ、入社数か月後、すぐに僕は「表情が殺し屋集団」の仲間入りをします。
やはり、新商品の検証販売において、営業は全然動いてくれませんでした。初動こそ「お、新しい商品か、試しに売ってみるか」と動いてくださる方もいたのですが、ひとたび売りづらかったり売った後にトラブルが起こったり成果が上がらなかったりすると、「もう二度と売らない」となってしまいます。中には「なんでお前みたいな半人前の指示に従わないといけないんだ」と言われて喧嘩になってしまうようなこともあり、全く良い出だしではありませんでした。
開発の人にも、トラブルが起こってそれを修正してもらいたい時ですら「工数がない」と言われ続け、中々対応してもらえない期間が続きました。基本的に売上至上主義の初期の成長ベンチャーでは、(当然ですが)その時売れ筋の商品に工数を割くことがトッププライオリティのため、たまーに開発の手が空いた時に対応いただくしか中々方法がありませんでした。
そんな中苦しんでいても、上司はある程度アドバイスはしてくれても基本的に上司自身も別の売れ筋商品の責任者なのでほぼ時間は取れず、たまににやにやしながら「まあがんばれ」と言われるくらい笑
では、どうしたのか?
まず前提として、大変ではありました。恐らく学生時代のメンタリティであればとっくに「もういいわ!」と投げ出しているレベルです。ただ上述の通り、僕は周囲の全関係者の反対を押し切って総合商社を辞めてきているので、後がないというか、もうやるしかなかったので、特に「じゃあ辞めよう」みたいな選択肢は一切浮かばず、「どうしたら結果が出せるか?」ということをシンプルに考え続けるのみでした。
以下は僕がやったことです:
まず対営業には、ひたすら媚を売り、相手を気持ちよくさせるためのあらゆる手段を投じました(フットサルについていく、飲みの場で話す、「さすがですね」とほめちぎる、「いつもありがとうございます」とひたすら感謝する)。もちろんもっと事業寄りのハード面の話だと、営業からボトルネックと言われるもの、「売らない理由」をひたすらなくすことを徹底し、「××だから売りたくない」の「××」を言わせないようにしらみつぶしに課題をつぶしていきました(商品を顧客に届けるまでの納品プロセスが煩雑すぎて売りたくないと言われていたので、そこを簡易化したり、提案の仕方が分からないから売りたくないと言われれば提案資料やトークスクリプトを細かく作ったり)。あとは、ひたすら自分で営業に行きました笑 自分ほどこの商品に詳しく、また目的意識を持って売ろうとしている営業はさすがにいなかったので、「だったら自分で売ればいいじゃん」となり、売っていきました。それで売れることが証明できたり事例ができると、営業も売るようになってくれるという好循環にもなったので、これはとても大事な動きだったかなと思います。
次に開発の「工数がない」問題についてもシンプルで、もうひたすら自分でコードを書いて対応しました笑 がっつりした開発はもちろん無理でしたが、簡単なトラブル時の修正くらいであれば自分で覚えてやってしまうのが一瞬だということに気づき、勉強してやってみてできるようにしました。これも営業が売らない理由として多かった「トラブルが多い」という課題への対処にもなり、かなり有効でした。
つまるところ・・・
要は、目的達成、結果を出すために何でもやったということです。「そんな無茶苦茶な」と思われるかもしれませんが、結果にコミットするというのは実はこういうことなんだと思います。結果にコミットするので「誰がやるべきか」なんて発想は後で考えればよく、とりあえず誰も動かないなら自分が動くしかありません。ただ、それで諦めずにやり続けていれば、いつかは結果が出て、それが上述の通り先行事例となったり売れる証明になったりして、徐々に周囲が動き出すのです。生産性とかフローとかは結果を出した後に考えれば良いと思います。
僕が得たもの
上記の考えは、今思えばとても「経営」の本質に近いと思います。経営者は、「こういう仕事をする人」という境目が特になく、要は会社が成長するために何でもする人です。会社が危機に瀕していたり、新たな事業が立ち上がらず大きな赤字を垂れ流していたら、真っ先に最前線で問題解決に努めるべき人です。確かに組織を率いてなるべく生産的に、スケーラブルに会社を成長させようとする動きも会社が大きくなっていく中、組織化においては重要です。ただ、常に最前線で、圧倒的な当事者として戦い続けるマインドを捨ててしまえば、一気に会社の成長は鈍化すると思います。漫画「キングダム」でも、いかなる武将も最前線で一番敵を倒しています笑
事業開発もいわば同じ
事業開発という職種は「ミニCEO」と呼ばれることもありますが、まさに1つの事業における経営者となり、その成長のために常に最前線で戦い続ける気概を持った圧倒的な当事者です。僕がベンチャーに入ったのはいつか起業がしたい、経営がしたいという想いのもとでしたが、今思えばこの事業開発という部署と最初から出会えたことが、本当に運命の分かれ道だったなと思います。
そんなこんなで、とても苦労しつつもある種振り切って事業成長のために何でもやった僕には、しっかりと成果がついてきて、なおかつそんな自分の姿を見て協力してくれる人たち、認めてくださる方々も一定数生まれてくれました。なおかつ上記のような「経営の本質」を1年目から体に覚えさせることができたので、結果として本当にかけがえのない宝を入社早々に手にすることができたなと思っています。
ただ実は一番の宝物は・・・
ただ、僕がこの怒涛の1年を振り返って思う、本当の意味での自身の宝・財産は、「何があっても前進し続ける」という不屈のマインドだったなと思います。それがなければ、上記のような学びや気づきを得る前にとっくに投げ出しているのですから。それを入社時から持っていたのは、何度も申し上げる通り、周囲の反対を押し切って自分がやりたいこと、行きたい場所に飛び込んだことによって生まれた圧倒的な「覚悟」だったと思います。裏を返せば、背水の陣のような心境で、それは「ここで成果を出せなければ人生を棒に振ったようなものだ」という圧倒的な「不安」でもありました。でも、そこから逃れるために、ひたすらやり続けることができたのです。それはこの1年だけでなく、その後約10年間も何度も心が折れかけた瞬間はあったものの、自分を支え続けれくれた大事な何かでした。自身の人生にとって大事なものを捨てたからこそ、次のチャレンジに全力で飛び込み、必ず成果が出せる。そんな人生の方程式を手に入れたような気がしました。その第一歩としてのこの事業開発での初期配属~1年間の死闘は、紛れもなく今の僕を形成している大事な思い出です。
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