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年老いても、凛とした、気持ちのいい女性でいたいから


祖母が亡くなってもう何年も経つ。

祖母は最期の数年間、長男である伯父と一緒に暮らしていたのだが、伯父もいよいよ高齢で施設入所することになり、その家に住む人は誰もいなくなってしまった。

本来なら伯父の妹である私の母が率先して片付けを手伝うところだが、母も病気になってしまって動けない。そんなわけで、結局私が彼らの家の整理を手伝うことになった。

伯父の部屋の大量の書籍、ここに書けないようなすんごい裏DVD、伯父の乗っていた車、仕事に来ていたスーツ、クリーニング済みの何枚ものシャツ。何年も洗ってなさそうな寝具。結構大仕事だった。(まだまだ終わっていないのだけど)

別の和室の箪笥には、祖母の遺品がそのまま眠っていた。

といっても大したものはなく、引き出し3段分の洋服と、いくつかのバッグと、小さなポーチと、何冊かの手帳と。そんなものだ。

伯父の荷物と違って、祖母のそれはどれもいい香りで、綺麗に手入れされていて、ほとんど傷んでいなかった。(環境的な条件はほぼ同じだったのに何故だろう?)

そんな遺品を手にとって、祖母がたまらなく恋しくなった。私は祖母のことが大好きだったのだ。

正直で、飾らない、でもどこか品のある人だった。
化粧も装いもシンプルで華美でなく、でもシックな人だった。
厳選された数少ないものを、納得した形でとことん大切に使う人だった。

その片付けの日の最後に、私は彼女のポーチから出てきた金のネックレスをひとつもらってきた。
金と言っても値打ちのあるものじゃなくて、恐らくゴールドコーティングされてるだけの、ノーブランドのものだ。
彼女がそれをつけていた記憶もいまいち鮮明に蘇ってこない。

でも、それをつけて家に帰った。
祖母からご褒美をもらったようで何だか嬉しかった。

「悪いね、よくやってくれたね」と。

***

最近は身近な人の死が続いたこともあり、生きることや死ぬことについて考えることが多かった。

私たち(の多く)はふだんから死を意識して生きているわけじゃないけれど、その時は確実にやってくる。

時には思ったより早く、突然に、準備もないままに。

最近亡くなった身近な人の1人は、割と高齢の男性で、離婚した後はずっと1人で暮らしていた。
奥さんはおろか、子どもとももう何十年も断絶状態で、
彼の友人がなんとかSNSを頼りにお子さんを見つけて連絡したけれど、「父とは思っていないので葬儀にも参列しません」と返事があったそうだ。
最後の数年は体が辛く、鞭を打つようにして仕事に出ていたようだ、と、彼の知り合いから聞いた。
それでも、愛犬をお風呂に入れてやったり、散歩に連れて行ったりして、それなりに楽しく、彼らしく生活していたらしい。

幸せな人生とは一体なんだろう。

私はぼんやり考えていた。

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