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「性差の日本史」展にみる仏教の罪

LGBTQの時代にマッチ
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)にて2020年10月6日(火)~12月6日(日)に開催されていた企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」を訪ねた。

『男女の区分はどう生まれ、どのように変化していったのか?』
LGBTQへの理解が急速に広まりつつあるまさに今、国立の博物館が「ジェンダー」に注目したということで、開催前からSNSを中心に話題となっていた展覧会だ。

Yahoo!ニュース(12/5付)・産経新聞
揺れ動く「性差の日本史」 歴博展に大きな反響 その理由とは

日時予約券は埋まり、図録も増刷。平日の午後に訪ねると、老若男女問わず、多くの人々が熱心な眼差しを向けていた。

展示は、時代区分によってさまざま趣向が凝らされ、どこを、何を、どう展示するか、その取捨選択に苦労したであろうことが容易に想像された。なかでも筆者が僧侶という立場でショックを受けたのは、「仏教と日本の性差の関係」だった。

仏教が日本に植えつけたもの
古代日本では、「男女の役割」といった区分はなかったという。ところが時代が下り、仏教の受容とも密接に影響し、そこに変化が現れる。

仏教経典のひとつ『法華経』(提婆達多品)にみえる龍女成仏の物語には、女性は(略)「五障」の身であるとの説に対し、八歳の龍王の娘がたちまち「変成男子」して、成仏したとある。女を劣ったものとする女性観を前提とする(~略~)女人結界(女性が聖域に入ることを禁じる)を批判した宗教者もいた。だが、後の世になると、いずれの教団も伝導に際し、女性を救われがたい劣った存在とみなす差別的思想を背景に、変成男子説や女人往生・成仏論を盛んに持ち出し、女人救済を唱えた。このことは、女性に対してのみならず、次第に、男性を含む社会一般の人々の考え方に影響を及ぼしていく。   --「性差(ジェンダー)の日本史」図録より抜粋

変成男子説とは、女性は男性に「変成」すれば成仏できるというもので、つまり女性はそのままでは成仏できないというもの。<月経のある女性は忌むべきもの>という考えなどから「女人禁制」という発想が一般化したのも、平安末期から鎌倉時代にかけてだという(それ以前はそうではなかったということ)。

仏教は、現代でもカースト制が根強い、インドを発祥とする。その仏教が日本に定着していく過程において、インドの差別構造に端を発する差別意識までが、かたちを変えながらも浸透してしまったということだ。

現代の当然は、当然ではない
会場では村木厚子氏のインタビューも上映されていた。「制度が確立していく、そのたびに、表から女性が排除されている」との言葉は重い。

家父長制度や、ここへ来てまた関心の高まっている夫婦別姓の問題、それらの根底に、一千年前からの仏教由来の差別意識があったということになる。
それをあらためて眼前に見せつけられた筆者は、陳列された証拠品を前に立ち尽くし、身をえぐられたような気持ちで建物を後にした。考え直すべきテーマを授かったという点においては、収穫の多い、すさまじい展示であったが、これから僧侶は何を前提として、誰に語りかけていくべきなのだろうか。

現代に当然のこととして身に馴染んでいるものが、実は当然ではなかった。価値観もどんどん変化していくということを、よくよく肝に銘じていかなければならない。

それにつけても圧巻の展示量
それにしても流石は国立の歴史民族博物館である。日本の歴史学、民俗学、考古学にまつわる資料が30万件以上収蔵され(東京国立博物館は11万7700件)、本企画展以外にも、6つある常設展示室を全部見るには、丸2日はかかるだろう。ぜひまた再訪したいと思えるすばらしい施設であったので、まだ訪れたことのない方には、ぜひ一度訪問をオススメしたい。

そして今回の企画展の衝撃は、後遺症のように私をたしなめ続けるであろう。


Text by 中島光信(僧侶・ファシリテーター)



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